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無意識な音について、あらためて意識してみた/新井由木子

 その日、実家の居間では、母が趣味のピアノを弾いていました。曲は「あなたーの、燃える手でー」という歌詞で始まる、母のお気に入りのシャンソンです。いい曲だなーと思いながら、わたしも母の背後にあるテーブルで、雑誌のページをめくります。

 季節は夏。常緑樹の森から吹く風が、開け放した窓を通り抜け、涼しく心地よい。床の上では飼い猫が気持ち良さげに身体を伸ばして眠り、窓の外では父が散水する庭木に虹がかかっているのが見えます。エレガンスな午後のひと時が流れていた、その時でした。

 母がいきなりくるりと振り返ったかと思うと、
うるさいっ
 と、叫んだのです。
 わたしはびっくりしました。うるさいって? 今、この部屋で一番大きな音を出しているのは、まぎれもなく母の奏でるピアノなのに。豆鉄砲をくらったハトのような顔をしていたであろうわたしに、母は続けて言いました。
鼻をかめ
 言われて気づくと、その瞬間にもわたしは鼻をすすっていました。
 ピアノの音に比べれば微かなボリュームの鼻すすり音。しかしそれは、人には我慢のならない音なのでした。

 実のところ、わたしも他人の鼻をすする音は、かなり苦手です。特に満員電車内などで聞こえると、他に移動するすべのない状況なだけに、厳しいものがあります。
 あ……あのお姉さんだ……。気になるなあ。8秒に1回のテンポで、繰り返しすすっているな……。
 それがワンテンポずれたりすると、ますます腹が立ったりします。

 決して大きな音ではないけれど、気になり始めると我慢ならない音。それなのに、その音を立てる側になると気がつかなくなるのは、何故なのでしょう?

 わたしは集中するととても鼻息が荒くなります。それはまるでダース・ベイダーにも似たゴウゴウとした鼻息です。これも人から指摘されて気がつきました。
 それに、年を重ねるごとにいびきも大きくなってきているらしい。隣の部屋に眠る娘からの報告で知りました。
 自分自身の立てる音は、聞こえていない。人は自分に対しては、いつでもとても寛容なのです。

 しかし無意識の音というのは、そんなに迷惑で不必要なものばかりなのでしょうか? 無意識とはいえ、必要なものもあるのではないでしょうか?

 例えばわたしは朝目覚める時に、フンガーという叫び声をあげます。布団の中で伸びをする時に出る声で、やはり長い間無意識でした。しかしある朝叫んだ時、目覚めかけだったために、その声に自分自身で驚き、そして自覚しました。これは起きるための気合の声であり、必要だということを。

 と、やはり鼻息も荒く、この原稿を書いています。これももしかしたら熟考するために必要な鼻息なのかもしれません。

思いつき書店084文中のコピー

(了)

草加の、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴る連載です。毎週木曜日にお届けしています。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。
「この世はまだ たべたことのないものだらけ。東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、思いつきで巻き起こるさまざまなことを書いてゆきます」http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook