哲学堂公園にもう一度行きたい/沢野ひとし
通っていた中野区の小学校は、東中野の家から歩いて三十分の距離にあった。下校時は思い立つと違う道を選んで帰っていた。だが年中迷子になり、もう一度学校まで戻っては、泣きべそをかきながら再び慣れた登校路でとぼとぼ帰って行った。
はじめての遠足は新井薬師前の中野区立哲学堂公園であった。校庭に集合して、先生の赤い旗を先頭に一年生坊主が騒がしく、列をなして何組も歩いてゆく。
授業のない日が、これほど楽しいとは思わなかった。初めて通る賑やかな商店街にも浮き浮きさせられ、新鮮であった。
哲学堂公園の中には、不思議な名前が付いた建物がいくつもあった。そしてそっと覗くと、なんと妖怪も潜んでいるのだ。これは、哲学堂を建設した哲学者井上円了が、実は妖怪学の権威であることにも由来する。
公園の係の人の案内で四聖堂(しせいどう)、六賢台(ろくけんだい)、宇宙館、絶対城、無尽蔵の説明を受けるが、一年生が理解できるはずはなかった。
お弁当の時間になると、車座になった生徒を前に、先生は哲学について話をしてくれた。
「哲学とは自分を、社会を、宇宙を考えること」「哲学は心の中の雑草を取り払うこと」と言った。
自由時間は肩に掛けてきた画板で絵を描く。画用紙にクレヨンでたぬきの顔をした灯籠を写生した後は、いつもの癖であちらこちらをふらついていた。
どんどん奥のほうに行くと、公園の外に巨大な塔が高くそびえていた。まるで大砲の弾丸を直立させたような形をしている。人は摩訶不思議なものを見ると体が自然に近寄って行くものだ。
呆然と見上げ、しばらくしてふと「自分は遠足に来ているのだ」と我に返った。だが気が付けば、迷路のような道を歩いて来たので、公園まで戻れなかった。
その時「坊やどうしたの?」割烹着姿の親切そうなおばさんが声をかけてくれた。迷子になった事を話し、一緒に哲学堂公園まで戻ったが、あたりにはもう誰もおらず、静まりかえっている。
私は、おばさんが教えてくれた「みずのとう」にいつの間にか誘拐されていたのだ。
しくしく泣いていると、おばさんは「安心しなさい。学校まで送ってあげるから」と手を繋いでくれた。
それから何十年も経ってバスの窓から、あの野方配水塔が見えた時、思わず「あっ」と大声を上げた。小学校の遠足の日を思い出し、切なく胸がしめつけられた。
イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。
文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)も絶賛発売中。
Twitter:@sawanohitoshi