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夢の”最後の晩餐”/沢野ひとし

 ジジイの朝は早い。日の出と共に起床する。この三十年間まったく変わらず、夏は四時起き、冬は五時起きである。起きるや否や、まず机の上を片付ける。続いて東の空に向かって柏手を打ち、洗濯物を干し終えると、キッチンで夏はミルクティー、冬はミルクコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせる。
 午前中は原稿や絵を描くことに集中して、なりふり構わず仕事部屋一面に資料や本を広げ、寝ぼけた頭脳を奮起させる。
 新型パソコンがあるのに使用せず、文字を書くのは相変わらず原稿用紙に読みにくい文字で手書き。ジジイは昭和の時代から一歩も進歩していない。
 午後になると息子の娘が通う保育園の、近くの公園を散歩する。偶然を装い、孫娘との出会いを日々楽しみにしている。

 最近は昼食を摂らないことが多い。早めの夕食は、冬は鍋料理、夏は湯豆腐と極めて変化に乏しい。酒飲みだから自らダイコンの漬物を作っては、いそいそと食卓に並べる。
 妻はアジフライと餃子以外の料理に興味がない。最近、大きなニシキヘビが飼い主の家から逃げたニュースを見た妻は「ウチに来たら叩き切ってやる」と包丁を研いでいた。
 妻は反論されると根に持つタイプなので、私はなるべく差し障りのないことを言ってその場を逃れ、「不老長寿」を願って九時半には寝床に入る。そして中国語会話集を開き、一分で爆睡する。

八丈島のくさや

 時々夢に“最後の晩餐”の場面が出てくる。夢の中では、遠くに美女のコーラスグループがいて、なぜかフランク永井の『有楽町で会いましょう』を繰り返し歌っている。
 “晩餐”の場所は、八丈島の海岸であることが多い。ムロアジのクサヤを手でほぐして食べている。流木を燃やし、網の上で皮目から七分、裏返して五分焼き、焦げ目が付く前に軍手で取る。島の焼酎をオンザロックで飲みながら、波頭を見つめ、コーラスを聞いてトロトロする。
 次の場面では、中国の雲南省で食べた新鮮なライチのほんのりとした甘さと香りを思い出している。この10年間、中国各地をなんの目的もなく歩いてきたが、雲南のライチはもう一度口にしたい。楊貴妃に取られないように隠しながら食べたい。

雲南省のライチ

 “最後の晩餐”への思いは続く。
 信州のトウモロコシも半分でいいから欲しい。川上村で娘や息子、孫たちとキャンプをして、炭火で香ばしく焼いたトウモロコシに数滴の醤油を垂らし、淡い夕暮れの空を眺めながら、もう一度噛み締めたい。白樺林の中で孫たちが小猿のように飛び跳ねている姿を見ると心が和む。
 そして晩餐のテーブルには大磯で出合った「ティー・ハンデル」の香り高い紅茶を置きたい。ここのミルクティーを口にすると、四、五十代の頃に通ったカトマンズで飲んだチャイの味を思い出す。トレッキングをしながら仰ぎ見たヒマラヤの高峰にもう一度会いたい。

 もうすぐ夏がやってくる。夏になるとジジイも少年時代の夢多き日々に戻ることができる。

大磯ティーハンデル

文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、『ジジイの片づけ』(集英社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。最新刊は『真夏の刺身弁当』(産業情報センター)。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi
沢野ひとしさんのイラストエッセイ『もう一度あの町に行こう』は、今回を持ちまして連載終了となります。長い間ご覧いただき、ありがとうございました! バックナンバーは、こちらからもご覧いただけますので、ぜひまた遊びに来てくださいね。
『食べたり、書いたり、恋したり。』
『もう一度あの町に行こう』
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