#113 【成功体験が逆に自信を失わせる!?】過去の栄光にいつまでも縋っちゃダメな理由

最近、ふと頭の中にモヤっと浮かんだことをノートに書いて発散する『筆記開示』という技を使ってイライラを発散させることがあります。といっても、何か具体的なものに対してイライラしているというよりかは、私の場合専ら言葉にするのもバカらしいようなセンチなことばっかりなんですけれどね。
でもだからこそ文字にしたててみると何にモヤモヤしていたのかがはっきりわかって便利なモノと思うわけですがね!

さて、本題です。皆さんはよく、自信をつけたければ成功を重ねることだ、なんてきいたことがあるはずです。あるいは、自信をつけたいときに自分のよかったことを振り返ろう、といったように。
ところが、この文言にはある”落とし穴”があるのです。
それは、自分の成功体験を何回も繰り返し回想していると、段々と自信を見失ってしまうということ。

え、なんで??その理由を開設させてください。
キーワードは『反芻思考(自動思考)』と『強迫観念』です。

例えば、仮にあなたの経験として『会社をつくって大儲けした』という一つの成功体験があったとしますよね。
はたからみれば、もうそれだけでその人のその後は安泰で、お酒でも飲みながら既成事実に耽って余生を過ごしさえすればもう人生ハッピーじゃん!みたいに思えるかもしれません。
確かに過去の栄光というのは、ごくごくまれに、何かの引き出しに思い出した際に『こういうこともあったなあ』みたいに誰かと談笑する分には都合が良いかもしれませんが、そういう”成功体験”ともなる思い出というのは一種の中毒性があることに留意すべきです。一度回想しだすと、それでいい気分になり、癖になって何回も同じ思考をしたがるのです(これは人間の”自動思考”という脳みその仕組みからもある程度備わっているものだそうです)。
すると、そういう反復性の思考というのはうつ病の方などに見られる反芻思考に陥り、結果その思考が頭から離れられなくなるだけでなく、反芻という行為そのものによる抑うつ状態、ネガティブエピソードに突入してしまうという訳です。
いや、そうはいったって、考えてること自体は自分の自信になるようなことなんでしょ?なんでそれを考え続けてるとネガティブになってくるの。と思うかもしれません。
ここでもう少し詳しく反芻について掘り下げてみたいと思います。
まず二つの理由があります。
一つは、物事というのはそれが『良い事実』とか、『悪い事実』というのは概して存在しないもの。
よって成功体験というのはあなた自身が中立な事実に対し『これは良い体験だ』という風に主観的なモノの見方をしているに過ぎないと言うコト。

ということは、当然どんな成功体験も、見方によっては悪い見方もできるということ。そして反芻思考の特性として、一定の思考を続けていると、良い側面がフェードアウトしていって、悪い側面が如実に見えてくるという性質があります。

さらにここで、本来の回想する事象が”成功体験”であるがゆえのさらなる悪循環があるのです。それが”強迫観念”によるもの。嫌な記憶ならば、忘れたいと思う故執着しないことは、少なくとも良い記憶よりかは楽なことなんです。しかし、良いと自分で思っていたいような記憶というのは忘れ切りたくないもの。それゆえ反芻も強まるという訳です。

そしてこれこそが、ポジティブな体験を反芻することがネガティブな体験を反芻すること以上に危険かもしれない理由となりうるものです。

過去の良い記憶も、悪い記憶も、安いお酒のようなもので、呑み続けると悪酔いするのがオチです。

相変わらず締め方のわからない私は、過去を振り返るのはほどほどにしましょうとかいう適当な結論でこの話を終えたいと思います。

それでは!

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