#108 外見を模倣すると冒涜となり、中身(概念)を模倣すると敬意となり、オリジナリティーとなる

こないだ、ラルクの『Dive to blue』を聴いていた時に、関連する楽曲として出てきた全く別のアーティストの音楽が出てきました。

どうやら、それはDive to blueのパクリ曲としての批評を浴びているコトで有名の曲だったようです。

確かに聞いてみると、『うーむ、うごく似ている、そして外すところでしっかり外しているあたりもなんかわざとらしく感じるな』と思ってしまいました。

とはいえ、音楽をやっている人が良く言うこととして、コード進行が同じ曲は全体的な雰囲気が被ることが往々にしてある、という話も聞くので、一概にメロディが似ているだけで全てをパクリ認定するわけにはいかないのかもしれません。

そこでふと感じたのが、『パクリ(悪意のある似せ方)とオマージュ(悪意の無い似せ方)の違いってなんだろう?』というもの。

これは各人のとらえかたの違いの部分もあるので、断定的な答えを導くのは難しいかもしれません。

私が好きな、山口智充さんが昔やっていたルイ・アームストロング氏の物真似。あれは私が思うにオマージュだと思います。

黒人さんの差別につながるからと、黒い肌のメイクをするのはグローバル化の進む現代となってはちょっと問題もありそうですが、少なくとも深みのあるだみ声であったり、口で奏でるトランペットの音だったりは一級もの。

そしてここに、私が思う『粗悪な模倣と質の高い模倣の違い』というものが如実に表れているのだと思う訳です

タイトルにも書きましたが、表面的な情報だけを似せようとして出来たものは、パクリ(オリジナルに対する冒とく)として、そして内面的なモノを表現しようとしたものは、オマージュ(オリジナルに対する敬意)として相手にくみ取られるのではないでしょうか。

勿論例外もあります。しかし、例えば先ほどの音楽の類似性にしても、例えばラルクとGLAYは個人的に似ているバンドだと思っていて、それはどちらも互いの個性が光りながら『ロック』という音楽性を楽曲で表現しているバンドだから、だと考えています。

意外なことに、オリジナリティーというものもまたオマージュから見出されるものだとさえ思っています。その人やモノの持つ”概念”(内側に秘めた特質)を理解し、それを自分なりの方法でうまく表現すれば、それはオマージュを超え、質の高いオリジナルと昇華しうるものだと思っています。

モータースポーツの世界で、ポルシェというのは唯一無二の存在と言われています。独特な駆動方式、理想的な前後重量配分、一目でそれとわかるフォルムなどは、たとえそれらの情報をそのまま利用したところで、ポルシェを上回ることはできません。

しかし、このポルシェのように『唯一無二』であり、色褪せることのない名車というのが日本にも存在します。それこそ、日産のGT-Rであったり、ホンダのNSXといった車達。

表面上では決して似通うことのないこれらの車達には、どこか深くで似通うものがあると感じています。それは、純粋なモータースポーツの技術を動員して得た性能美かもしれませんし、或いは多大な製作費をかけてつくられたというプライドから生まれるものなのかもしれません。

少なくとも、容易に言語化できないからこそ”概念”なのであり、それゆえ模倣する上での難しさというのもあるのだと思っています。

音楽の知識には疎い人間ですが、音楽というのは譜面に書かれていること以外のことを非常に要求してくる、いわば感覚の世界です。非言語的な情報を譜面の中から見出し、それを表出する技術が高い人ほど、音楽的センスがあるのだと思っています(なので、自分にはセンスはありませんが)。

同じ曲でも、一般の人とプロの人が演奏するのではそれこそ違う音楽になるように、概念をくみ取って自分なりに解釈していくことで結果的に表現されるものの質の違いというのは圧倒的でしょう。

私は人のエピソードなどを聴くのも好きです。Youtubeなどでも、自分が好きな有名人とかの学生時代など、赤裸々に語っているのを聴くと、今に至る過程などがくみ取れて非常に興味深く感じるからです(とはいってみたものの本心としては他人のネタ話は理屈抜きに面白いからというのが心情です)

ただ、たとえばアスリートの練習にしても、東大生の勉強術にしても、その方法論だけをひたすらにやるよりは、そこに内包している何らかの特性を取り入れていく方がそれを実行する側としても自分の行動に自分なりの個性が見いだせて楽しいというもの。

よくスピーチの練習をする上で、スティーブ・ジョブズ氏のやり方だけを参考にして身振り手振りだったりを真似る人というのがいますが、それはあくまで表面的な情報の模倣でしかなく、オリジナリティーはありません。

ジョブズのスピーチもまた、”良いスピーチ”という概念を模倣し、そこにオリジナリティーが加わった結果の産物ととらえるべきでしょう。見習うべきはジョブズそのものではなく、そこに包含される概念なのです。

お笑い芸人で言えば、私はロバートのコントだったりが好きなのですが、たとえば秋山さんなんてまさにモノや人から”概念”を取り出して自己流に表現することが物凄く上手だと思います(勿論こんないやらしい評論ぶってコントを見ているわけではなく、ゲラゲラ笑いながら見ているわけですがつくづくスゴイと思う訳です)。

例ばかりをあげて収集がつかなくなってきましたので、そろそろここら辺で終わりにしようと思いますが、最後に念のためことわっておきます。

ファンの方、自分がGLAYもラルクも俄かなのに、”似ている”とかいってたとえ話に使ってすみませんでした!!!

それでは!!!!!!!!



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