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雲の仕立て屋(#シロクマ文芸部)

 夏の雲を選別し、ふわふわの雲布を仕立てる。
 ボギたち雲一族が累々と受け継いできたなりわいである。

 一族が暮らすスキィ島は、アイスランドの西部フィヨルドに点在する群島の一つで、周囲わずか三マイルの地図にも載らない小島だ。この海域には、千とも二千ともいわれる無数の小島が浮かんでいる。
 アイスランドは二つのプレートがぶつかり地殻変動が活発なため、緯度が高いわりに夏は穏やかにあたたかい。イースターの時分になると、スキィ島の氷雪はすっかり溶け、なだらかにうねる丘は短い草におおわれ島一面が緑の草原になる。海風が島を撫でまわすように休みなく吹きつけ、高い樹は育たない。
 ゆるやかな波のごとくうねり、遮るものの何もない丘の中ほどに、石を積み上げただけの工房と平屋の家が十棟、それに雲見の塔、島にある建物はそれきりだ。雲一族は、数千年にわたってスキィ島で変わらぬ暮らしを営んできた。スキィはアイスランド語で「雲」を表す。

 ボギはこの春、十歳になった。
 雲一族の男子は十歳になると、雲を収穫する仕事ができる。ボギはそれをずっと待ち望んでいた。
 スキィ島のある西部フィヨルドの群島は、野生のアイダーダックの繁殖地でもある。アイダーダックダウンは、羽毛の宝石と讃えられ最高級のダウンと持てはやされているけれど。温かさでも軽さでも、雲布にはるかにおよばない。
 そりゃそうさ、とボギは胸をはる。
 だって、あのふかふかの雲でできているんだもの。
 雲布はとても貴重だ。
 というのも、雲の採取はひと夏で一度きり。良い雲ができなければ、収穫しない年もある。刈り取りは早すぎても遅すぎてもいけない。入道雲は育ちすぎると、一瞬にして灰色に曇り雷雨をもたらす。そうなっては、もう使い物にならない。
 刈り取りの見極めは、族長でもある祖父のエノクが行う。
「いいか、ボギ。雲の底を見るんだ」
 夏の雲は低い位置にできる。入道雲はとくに低い。
 祖父のエノクは毎日雲見の塔にのぼって、入道雲のかけらができていないか観察し、雲が育ちはじめると真下の草原に座って、昼も夜も眠らずに見守る。夏の島は白夜で一晩中明るい。おかげで一番のタイミングを見逃さずにすむのさと、ボギの頭を撫でる。ボギは祖父の脚の間にはさまって、同じように雲の底を見上げる。けれども、まだ子どものボギは、夜の九時を過ぎるころには、どんなに夜が明るくてもうつらうつらとまぶたが閉じるのをがまんできなくなる。

 ピリリリリリィイイ。
 甲高い音にボギはびっくりして夢の底から飛び起きた。
 祖父が刈り取りを知らせる銀の笛を吹いたのだ。
「ボギ、起きろ。刈り取りだ。皆に知らせてこい」
 ボギは一発で目覚め、工房に向かって駆け出す。一族の男たちは、族長が草原に居座ったときから工房で待機している。
 ピュピューイ。
 祖父が先ほどとは違う音階で笛を吹くと、小さな綿雲が一つ空から降りて来た。祖父は尻に長いロープのついた銛を手にして小雲に飛び乗り、入道雲の壁に沿って舞い上がる。祖父の軌道に従ってロープもするすると空をあがっていく。ボギは一瞬立ち止まって目で追う。ぼくも早く雲に乗れるようになるんだ。ボギはまた駆け出す。
 工房前に男が二人いるのが見えた。ロジとゲイルおじさんだ。綿雲が二つすべるように降りて来ると、二人も雲に飛び乗り空へと向かう。ボギが工房に着くころには、男たちは皆、道具を肩に出て来ていた。
「ボギ、ごくろうさん。行くぞ」
 父さんに肩を叩かれた。「よく見て覚えるんだ」小さな鎌を手渡される。いよいよだ。ボギは鎌を握りしめ父さんの後を追う。十歳に満たない幼子たちは収穫が終わるまで、事故を防ぐため家から出ることを禁じられている。去年までボギは、家の窓にかじりついて収穫を見ているだけだった。

 入道雲はまるごと収穫するわけではない。とくに雲の頂上は、粒子がまばらで布に仕立てるには適さない。どこから収穫するかを見極めるのも、族長の仕事だ。雲の両端のできぐあいをはかりながら決めるんだよ、と祖父は教えてくれた。
 もくもくと聳える入道雲の壁の中央を小雲に乗った祖父が昇っていく。ロジおじさんが雲の右端から、ゲイルおじさんが左端から、祖父に合わせて高度を詰めていく。一族の男たちは三組に分かれ、三つのロープの山の周囲で待機する。ボギも父さんと真ん中の山の組に加わる。ロープが風で揺れる。
 白夜の空は澄んでいる。ボギは陽ざしに目を眇める。
 一直線に昇っていた祖父の雲が止まった。ロジとゲイルの乗った雲も同じ高さで雲の両端に滞空する。祖父がロープのついた銛を雲に突き立てるように投げるのが見えた。続いてロジとゲイルたちも左右の頂上に銛を投射する。銛の先端は三叉に分かれ返しがついている。ロープが三本、入道雲を捕らえた。
 ピリリリリリィイイ。
 合図の銀笛が空の高い位置から鳴り響いた。
「よーし、そおれ」「よーし、そおれ」
 男たちが三方から掛け声をあげてロープを引く。入道雲が少しずつ空からはがされていく。ちぎれたり破れたりしないよう、三組が同じ力かげんで引くのが難しい。綿雲に乗った祖父のエノク、ボジ、ゲイルがそれぞれの組に声をかけて調節する。
「引き過ぎだ。手をゆるめろ」「右がそれてる。ロジ組、も少し強く引け」「よーし、そおれ」「左が遅れてるぞ」「よーし、そおれ」
 ピピィイイ。
 地面まであと三ヤードほどのところで笛が鳴った。男たちはロープから手を放す。入道雲は自らの重さにまかせてふわりと丘に倒れこむ。拍手と歓声があがる。
「おお、いい雲だ。去年よりいいんじゃないか」
「よく詰まっていてふかふかだ」
「うん、旨い」
 端っこを誰かがひと口ほおばって笑う。ボギもかけらを口に含む。綿菓子みたいにふわふわでお日さまの味がした。緑の丘が白い雲で波立っている。

「皆の衆、もうひと踏ん張りだ。刈り取りと選別を頼むぞ」
 綿雲を空に返し、祖父のエノクが族長として指示を出す。
 入道雲は二ヤード四方に刈り取る。雲の中央部分が厚みもあり雲粒もそろっていて上質だ。厚さごとに選別し積み上げる。薄いものが必ずしも劣るわけではない。外套用には薄いものほど好まれるからだ。
「ボギ、鎌はこんなふうに使うんだ」
 父さんが手本をみせてくれる。よお、ボギ坊も一人前だな、励めよ。男たちが口々に声をかけてくれる。おとなの仲間入りができたみたいで、ボギは胸がふかふかする。
 刈り取った雲布は、母たち女がこれから毎日工房でふとんや外套に仕立てあげる。雲の端のはぎれはそのままでは使えないので、糸に紡いでセーター
に編みあげたり、クッションに詰めたりする。

 雲布は天からのおすそわけだ、と祖父はいう。
「幸せのおすそわけさ」
 ボギはそのとおりだと思う。
 北国の眠らない夏は短く、胸までふかふかにしてくれる。
 


【追記】
雲布は王侯貴族といえど、どんなに金銀財宝を積んでもあがなうことはできない。スキィ島は結界で守られ、誰も近づけないからだ。雲布はほんとうに必要とする人のもとへと贈られる。たとえば、クリスマスにプレゼントを配ってまわる老人のもとには、毎年、十二月になると新しい真っ赤な雲布の外套が届く。アムンゼンが北極を発見できたのも雲布の外套のおかげという噂もある。誰に贈るかを決めるのも族長のたいせつな役割とされている。

<了>

※この作品はフィクションです。スキィ島という島は実在しません。 


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今週は、まにあいました。ほっ。
小牧部長よろしくお願いします。


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