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おじいちゃんの文机

父方の田舎の家には、お盆と正月には必ず行っていた。
日帰りのときもあったが、泊まることもあった。

私が小学校の低学年の時分には、まだ台所が土間で、中央に井戸、壁際におくどさんが並んでいた。水道は引かれていたから、井戸は使っていたのかどうかは記憶が定かではない。

玄関は昔の日本家屋にはよくあるタイプの縦に長い土間で、上がり框から続く8畳の和室の長辺の長さぶんだけ土間があった。奥に12畳の床の間があって、和室が4室、田の字型に配されていた。床の間の隣が6畳の仏間で、その手前が6畳の居間だった。居間の前に3畳ほどの板の間があり、台所の土間へと続く。

祖父母は、家を継いだ叔父一家に本宅をゆずり、離れで起居していた。
子どもが起きるころには、祖母はとっくに起きていて、着物にかっぽう着姿で叔母と朝食の支度をしている。台所には調理用の流しの他にも洗い場がいくつか並んでいて、歯磨きはそこで済ます。朝食は居間の卓袱台でいただくこともあったが、従姉弟たちとわいわい言いながら食べるから、たいていは台所に続く板の間に折り畳み式の大きな机が出されていて、そこで食べた。

子どもたちが食べ始めると、祖母はそっとかっぽう着を脱いで、床の間へと向かう。床の間の隅、縁側に面した障子の裏に祖父の文机が置かれていた。

その前に坐して、祖母は毎朝、墨をする。
祖父がいつ、何時、何かを書かなければならなくなっても困らないように。祖母は静かに墨をする。腰が少し曲がっていたが、墨を摺っているときは、その背は美しく伸びていた。子ども心にも近づきがたい凛とした美しさがあった。硯はノートくらいの大きさで木の箱に入っていて、祖母は墨を摺り終えると蓋をする。

祖父は起きて来ると、居間の卓袱台に廊下を背にして座る。
そこが「おじいちゃんの指定席」だった。

夏は卓袱台、冬はこたつに変わったが、祖父の座椅子の位置は変わらなかった。いつ見ても、でんとその定位置に座って、新聞や書物を眼鏡をずらしながら読んでいた。

わが家の床の間には、桃の節句以外は、季節を問わずいつも達磨大師の掛軸が掛けられていて、子どものころはそれが少し怖かった。禿げ頭で恰幅のよかった祖父は、掛軸の達磨大師にそっくりだった。小学校の校長先生を務めていたというだけあって、座っているだけで辺りを払う威厳があった。

だから、私は祖父に甘えた記憶も、話しかけた記憶もあまりない。私にとっての祖父は、尊敬すべき遠い存在の人だった。けれども、弟は一番年下の孫ということもあって、祖父に「はげじじぃ」と軽口をたたいていて羨ましく思ったものだ。

私たち一家が帰る間際になると、祖父はおもむろに座椅子から立ち上がり、床の間の文机に向かう。そして墨色のあざやかな達筆で、封筒に私と弟の名をしたため、いくばくかのお小遣いを入れてくれる。
「おじいちゃんが文机に座る」は、「お小遣いをくれる」合図だった。
祖父が席を立つと、私はいつも心の中で「やったぁ」とささやいていた。
でも、それは心の中だけのこと。実際には、お小遣いの入った封筒を手渡されると緊張した面持ちで、「ありがとうございます」と言うのだ。


祖父には、なかなか素直に甘えられなかったのだが、一度だけおねだりをしたことがある。

中学で器械体操部に入部した私は、試合に出場するのに床運動用のシューズが必要になった。ユニフォームは学校が貸し出してくれるからよかったのだが、シューズは個人で購入しなければならなかった。確か1万円近い金額だった。中学生には大金である。

悩んだ私は、祖父にお願いすることを思いついた。なぜ、親ではなく、祖父にねだったのかは、今となっては定かではない。
とにかく、私は祖父に手紙を書いた。何度も書き直した覚えがある。
なにしろ、祖父に手紙を書くのも初めてなら、甘えるのも、おねだりをするのも初めてのことだったから。それに、祖父は村の共同墓地の石碑に、請われて揮毫するほどの達筆だった。何度も、何度も、何度も書き直した。

時を待たずして、万年筆で丁寧にしたためられた手紙とともに1万円が送られてきた。あまりに達筆すぎて、中学生には読めない箇所もあったが、「大人の手紙」の香りがして胸がときめいた。むろん、早速、シューズを購入し試合に臨んだ。

その1年後に、祖父は急死した。
脳卒中か何かだったのだと思う。いつもと朝の様子は変わらなかったらしいのだが、他出していた叔父が戻ると床の間で倒れて亡くなっていたそうだ。
祖母はその少し前から癌を患い入院していた。叔母はその看病で病院へ。従姉弟たちは学校で、祖父が倒れたときには誰も家にいなかった。

その3か月後の同じ日に、祖母も昇天した。
あまりの偶然に、祖父が呼んだのかと思った。二人の静かで強いつながりを想わずにはいられなかった。


奇しくも、手紙とシューズが私にとって祖父の形見となった。
もう履くことのないシューズと手紙を、今でも大切に持っている。



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