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『英草紙』第一巻 第二篇「馬場求馬(もとめ)妻を沈めて樋口が婿と成る話」


エッセイ「虚実皮膜論」で触れた、江戸時代の小説の走りである『英草紙』からおもしろそうな話を意訳してみました。

『英草紙』は江戸時代中頃に、都賀庭鐘(つがていしょう)が著した読本(よみほん)で短編9話からなります。読本というのは、今でいう小説で、読本はこの『英草紙』から始まったとされ、滝沢馬琴や上田秋成にも影響を与えたといわれています。

では、『英草紙』の世界をお楽しみください。



* * * * *

応仁の乱が終わり、戦国時代が始まるころの話である。
近江の観音寺城は難攻不落の山城で、近江源氏の佐々木氏の居城だった。ご城下は栄え、楽市が開かれるほどのにぎわいだ。それでも、貧富の差というのは、いずこにもある。平和で栄えているこのご城下でも乞食が多かった。

乞食たちの元締めを「乞食頭」といった。いったん定まった身分というのは世襲されることが多い。乞食頭もそのご多分に漏れず世襲を重ね、代々、小二郎という名を継いでいた。

乞食たちは毎月、決まった額を乞食頭に収める。代わりに、雨の日や雪の日に食うものに困ると、頭は粥を炊き出してふるまう。また、頭の家に集まって、草履やわらじを作って生活の足しにしたりした。

歳月を重ねていくうちに、しだいに頭の家は裕福になった。そこで土地や田を買って地主になったが、それでも、乞食頭の名はついてまわり、人々から蔑まれる。市場に行っても、道を歩いても、忌み嫌われる。当時、河原者といって軽蔑されていた歌舞伎役者の仲間にすら入れず、人として扱ってもらえないのは、本当に悔しいことだった。

さて、当代の小二郎は、本名を元義といった。
生まれついて才覚があり、この不条理を変えたいと願った。乞食頭の職を甥に譲り、小二郎の名も襲名させた。自らは頭を剃って出家し、浄応と名を改め、かねてから蓄えた財産をすべて持って隠居屋敷へ移り住んだ。以来、乞食とは全く関わりを持たずに過ごしたのだが、それでも世間は呼び名を変えず、浄応をみると「先代の乞食頭」と呼んだ。

浄応は50歳過ぎで、妻は7年前に亡くなっている。男の子はなく、娘が一人いて、名をお幸といった。お幸は誰もが振り返るほどの美人で、浄応は掌中の玉のごとくかわいがった。女のたしなみだけでなく、和歌の稽古もさせた。なかなか手に入らなかった伊勢物語や源氏物語も探し求めて読ませる。ほかにも私家集や勅撰集など、これといった歌集はすべて目を通していた。浄応は娘の才能が自慢で、せめて町人か百姓の中からふさわしい婿をと願ったが、乞食頭の家柄が災いして、入り婿を希望する者などおらず、お幸は18歳になっても縁談がととのわなかった。

ところが、隣の人がこんな話を持ってきた。
「馬場求馬(ばばもとめ)という浪人がおります。かなり由緒のある家の出で学問の才能もあるのですが、両親と早くに死に別れたため貧乏で、30歳近いのに妻はまだおりません。生活のためには入り婿になってでも、家伝来の兵学の職について立身したいという望みの持ち主です。お宅の娘さんと夫婦にする気持ちはありませんか」

「その人と娘を夫婦にして、家を立派に再興させたら、自分の家の名誉も晴らすことができる」と浄応は思い、隣の老人に仲人をお願いした。

隣人は、今度は馬場に、浄応の家柄もすっかり聞かせて言う。
「あなたは才能があって、小さなことにはこだわらない方です。もし、あの家を頼って、身を立てる機会を待つ気があるのなら、私が仲をとりもってあげましょう」

「自分は衣食にも困って妻を迎えることはおろか、このまま無名で終わりそうだ。今の乱世では、功名を挙げれば家柄は問題にならない」
馬場はそう考え、老人の話を快諾した。

すぐに日取りを決めて、浄応の家に婿入りし、お幸と夫婦になった。絶世の美女を妻としたうえに、衣食も十分で何不自由ない生活がはじまった。

才能のある人物を婿に迎えることができたと喜んだ浄応は、近所の人や求馬の友人らを代わる代わる招いて、7日も宴を催した。

ところが、甥の乞食頭の小二郎はこの話を聞いて腹を立てた。
「あいつも、もともとは乞食頭じゃないか。婿を取ったのなら、わしにも祝いの酒の一杯ぐらい出してもよいはずだ。婚礼が済んでひと月も経ち、宴会を7日も開いたというじゃないか。それなのに、招待状のかけらも送ってこない。日頃からわしを疎ましく思う気持ちがあるから、こんな失礼をやらかす。あいつを困らせて、この腹立ちを晴らしてやろう」

手下の乞食を集めて、浄応の家に繰り出した。門前の騒がしさに何事が起ったのかと浄応が門口に出てみると、剥げた椀やぼろぼろの蓆を持った連中が騒いでいる。顔を赤土で塗りたくった厄神祓い、首に蛇をからませた蛇遣いなどもいる。竿の先で欠けた椀を回している者や平家物語を盛んに語っている者など、皆、傍若無人のふるまいだ。

小二郎が先頭に立って宴席に乱入し、酒やご馳走をかきこみながら「花婿さんにお目にかけろ」とわめきちらす。祝い客はびっくり仰天して逃げ出す。求馬も友人と一緒に逃げ隠れた。

浄応はしかたなく、小二郎をとりなす。
「今日の客は婿の呼んだお客で、わしの客ではない。そのうちにお前も呼ぶから一杯やろう」
乞食仲間にも酒を呑ませ、銭をはずんで帰した。

お幸は部屋に閉じこもって泣いて一夜を明かし、求馬はようやく友人の家から帰って来た。浄応は婿に恥ずかしいところを見せたと平謝りに謝る。
仲間の柄の悪さを嘆き、一刻も早く求馬が立身出世し、よその国に移り住んで、こんな世間体の良くない家柄を隠したいものだと願った。

求馬はどうにかして軍師の家を再興しようと、和漢古今の書物を片っ端から学んだ。それだけでなく、家に伝わっていた書籍も研究し、新しい説も打ち立てた。衣食住に悩まされず、ひたすら学問に専念した結果である。

軍師として自分よりも優れた人物など、もうほとんどいないと、自信を抱くまでになった。なんとかして早く仕官したいと、自分を雇ってくれる大名を探し求めていた。そのかいあって、足利将軍家ゆかりの大名で若狭の国の武田家から招かれた。禄高は1200貫。奉公の約束もできた。来年の正月に若狭へ住まいも移すようにとの命も受け、求馬は舞い上がらんばかりであった。

さて、皆さん、ご覧なさい。人の心というのは変わりやすく、信義を破るのは人の常であります。

――初めからこんな幸運に恵まれることがわかっていたなら、乞食頭の婿になんかならなかったものを。ああ、生涯の汚点だ。

求馬はそんなふうに思うようになり、妻の家のおかげで学問を究めることができたことなど、いつのまにか春の氷が溶けるように忘れ果てていた。

いよいよ若狭へ旅立つ日となり、浄応は盛大な送別の宴を開いた。
観音寺から若狭へ行くには、琵琶湖を船で下る。書物や家具などを船に積み、馬場夫婦と供の者たちも船に乗って出航した。夜には長浜に着いた。
向かい風になったので、ここで停泊して風待ちをする。ちょうど十五夜で、月が明るく輝いている。求馬は船首に出て、月をめでた。供の者たちは皆寝入って静かで、あたりに人影も見えない。魔がさしたと言ってもいい。寝ているお幸を起こして、船首へ誘い出した。

「今夜は、一年の最初の満月です。月見をしましょう。明るい月が水に映った景色は、曇りやすい秋の月の光にも劣らず美しいですよ」
と話しかけ、妻が用心していないのをみて、力の限り湖面に突き落とした。

そして急いで船子を起こし、
「大変だ。早く錨をあげろ。ほうびをやるぞ」と言う。
船子たちは訳のわからぬまま櫓をこいで、ひと息に20丁ほど船を進めた。
ここで初めて求馬は、妻が湖に落ちたことを話した。
「妻は月見をしていて、過って湖に落ちた。助けようとしたけれど、沈むのが早くて見えなくなった。かわいそうなことをした」
顔を袂で覆い嘆いてみせる。船子どもには酒代をはずんだ。船子たちはおかしいと思ったけれど、求馬の本心がおそろしく、誰一人、これ以上問いただそうとはしなかった。

船は琵琶湖の北端の北浦に着き、一行はそこから武田家の城下へと陸路を進んだ。殿様へのお目見えも無事終えると、宿舎に移り住んだ。


武田家の筆頭家老に樋口三郎左衛門という人がいた。ここ数年はお役目で京都住まいだったが、近ごろ帰国した。筆頭家老の無事の帰国を祝って、家中の侍たちが次から次へと訪れる。馬場も遅れをとるまいと、初対面の挨拶に伺った。仕官して日も浅い若輩者にもかかわらず、丁重に扱ってくれたことに感激し、それからもちょくちょく訪ねてご機嫌を伺った。

樋口は、若いのに才能がある馬場をかわいがった。彼がまだ独身なのを気の毒がって、馬場の近所に住む梅山という男を呼び寄せた。
「私の妾腹で、京都で育った娘をこのたび連れて帰って来てね。この娘を、馬場に嫁入らせようかと考えている。彼は若いけれど、気位が高いので、承諾してくれるかどうか、ちょっと心配なのだが」
と言う。

それを聞いて梅山は、
「彼は貧乏から身を起こして、当家に出仕することがかないました。樋口様と縁者になることができますれば、これほどの幸いはありますまい。この縁談はきっとまとまりましょう」
と言う。

「では、あなたに世話をお願いしよう。馬場に申し入れて、よい返事を聞かせてください」
樋口はよろこんで告げた。

梅山は馬場の家に行き、樋口の意向を語った。馬場は大喜びだ。
「ご家老様が私を婿に望んでくださるとは。身に余る幸いです」

梅山が仲人となって、吉日を選び、結納を行った。
婚礼の佳き日を迎え、馬場は婿入りの儀式として舅の家に出向いた。このときの馬場は天にも昇る心地で、そのうれしさといったら形容する言葉もない。玄関から入って、案内人に従って客室の次の間へと進んだ。

その時である。
両側から7,8人の女房たちがぱらぱらと現れた。馬場を真ん中にぐるりと囲んで、手にした竹やりで、馬場の頭や肩やそこら中をめった打ちにする。馬場は不意のことで驚いたが、女相手では対抗もできず、降る雨のようにたたかれ、あわてて身を縮めて小さく固まる。

「どなたか。助けてください」
と叫ぶと、奥のひと間から若やいだ美しい声がする。
「義理知らずを打ち殺しても無益です。堪忍してやりなさい」
女房たちは打つ手を止め、頭を抱えて蹲っている馬場のもとに集まり、耳を引っ張ったり、肩を引いたりして、奥の間へと引っ張って行き、花嫁の前に無理に座らせた。

――私に何の罪があって、なぶり者にするのだろう。ご家老の威勢を自慢して、見せびらかすつもりだろうか。
馬場は口の中でぶつぶつと、つぶやきながら首をあげた。
燭台が煌々と真昼のように明るく、一段高い畳台に美しい背を伸ばして優雅に座っている女人は、元の妻のお幸であった。
馬場は、驚きのあまり肝をつぶした。

「死んだ妻の怨霊か」
「私は妻の亡霊の夢を見ているのだろうか」
「ああ、そんなことはどうでもよい。身に覚えのある罪。今さら謝ろうにも言葉もない大罪だ」

額にじっとりと冷や汗をにじませて言う。
傍らに控えている女房たちは、口に袖をあてて「ほほほ」と笑う。
その時、家老の樋口が奥の間から出てきた。

「婿殿よ。つまらないことを言うものじゃない。これこそ私が帰国の船で、湖で溺れていたのを助け上げ、世話をしている我がいとしい娘ですぞ」

馬場の驚きは、いかばかりであったか。
「私は悪いことをしでかしました。どうかお許しください」
頭を畳にこすりつけ、平謝りに謝った。
樋口は言う。
「それは私の関知せぬこと。なんとも言えませぬな」

お幸は腹立ちのあまり、涙を流しながら罵る。
「こんな薄情者。私の父の援助で、家代々の業である軍学者になれながら、恩をありがたがろうともせず、私を湖に投げ込みました。けれども、そんな私を天が憐れんで、樋口様に助け上げられ、養女となりました。今、どのような顔であなたは私に顔向けできますか」
最後は涙の絶叫となった。馬場は顔を真っ赤にして恥入り、返す言葉も見つからない。ただ首をうなだれて、謝るばかりだった。

樋口はお幸に向かい、
「婿殿はこれほど深く罪を後悔している。これからは、もうそなたを軽く扱うことはあるまい。私の顔に免じて、怨みはこれで終わりにせぬか」
とすすめた。奥方も出て来て、共にとりなす。
もともとお幸も口では罵ってはいても、本心では夫を捨てる気持ちはなかったので、いつもの心優しいお幸にもどり、この席上で婚礼の儀式を行った。

樋口は改まって、告げる。
「婿殿は、舅殿の卑しい身分を残念に思い、夫婦の愛まで失ってしまった。今より私が代わって舅の縁につながるけれども、家老とはいってもそれほど俸禄が多いわけでもないから、婿殿にはお気に召すまい。これからは貴賤の字面を問題にせずに、信義の心でお付き合いいただけますかな」

馬場は心から罪を悔いて、顔を赤らめ、ひたすらに謝罪し、夫婦連れだって宿舎に帰った。

この後、馬場夫婦は互いをこのうえなく愛し、慈しみあい、樋口夫婦を実の父母のように敬ったという。また、観音寺から浄応を呼び迎え、孝行を尽くし、老後の世話をし、死の看取りをした。馬場樋口両家も、縁続きとなって、共に繁栄したという話である。


(了)







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