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【連載小説】「北風のリュート」第44話

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第44話:龍の秘密
 『空の赤潮対策本部』の速報が午後五時にあると、昨夜、グループトークに流斗がつぶやいていた。テレビをつけて待ち構えていたレイは、流斗のアップにひっくり返りそうになった。チャンネルを変えても、どこの局でも流斗がしゃべっている。
「あら、あらあら。流斗君、いつのまに」
 母が料理の下ごしらえの手をとめ、エプロンを外しながらソファに腰かける。空の状況が深刻になって以来、午後診は閉め、往診で対応している。
「あなた、天馬さんがニュース速報に」
 往診から戻った父にも声をかける。弟の櫂も二階から降りて来た。
 小羽田家にとって、流斗は家族未満親戚以上ぐらいにはなっている。
 
 レイは流斗の活躍が誇らしくもあり、悔しくもあった。
 ようやく『龍秘伝』が見つかったというのに、ちっとも解読が進まない。自分が情けなくて歯痒かった。  
 『龍秘伝』は漢字ばかりだった。レイは理系組だから漢文を碌に学んだことがない。それでもAIに頼れば何とかなるんじゃないかと思っていた。 
 スマホで撮影した画像データを翻訳してもらうつもりだった。ところが、画像をアップしようとしたら、写っていない。父の一眼レフでも撮影してみたが、やはり写らない。
 あきらめて手入力することにしたが、また、つまずく。
 秘伝の文字は、一時間経つと消えるのだ。幾重にも鍵が掛けられている。何度も光の文字を呼び出すと、永遠にロックが掛かってしまうかもしれない。作業は午前と午後の二回だけにした。旧字のため、書き写すのもひと苦労だ。地道な作業を繰り返す。呼吸が苦しくなると酸素マスクを装着する。これもかなりの負担。二十五日から避難が始まると流斗から聞いている。もう少しの辛抱だ。

 書き写した序文をAIに入力してみた。

龍慾傳祕於是 我司北風、風龍也 我隱故有於幽谷 其處北果之氷谷也 
是令記故事、稱龍祕傳 何日若有我呼者、我覺醒 迄至時祕於是忘却 

 現代語に翻訳させると。

ドラゴンは秘密を呼び出したい。北風、風龍、そして私が隠れる谷、北の果実のある谷は、私が物語、龍の秘密を覚えている場所だ。もし私が誰かに呼びかければ、私は目を覚まし、秘密を忘れてしまうだろう。 

  いくらレイに漢文の知識がなくても、この訳文がおかしいことはわかる。いったん書き下し文に直すよう指示してみた。

龍は是を秘して伝えんと欲す。我は北風を司る風龍なり。我、故ありて幽谷に隠れむ。そこは北の果ての氷谷なり。是に古き事を記しめ、龍秘伝と称す。いずれの日か、若し我を呼ぶ者有れば、我覚醒す。時至るまで是を忘却して秘さん。

  ようやく意味らしきものが見えてきた。さらに現代文への翻訳を指示する。手間だが、いきなり現代文に翻訳させるよりも、この方がずっと意味の通じる文章に訳してくれる。
 全訳し終えたのは、明日から住民避難の始まる二十四日の夜だった。
 風龍の慟哭の深さと、何を守ろうとしたかを知り、涙が止まらなかった。

「序文」
 龍は、これを秘して伝えることを望む。
 我は北風を司る風龍である。故あって深き谷に隠れる。北の果てにある氷の谷だ。ここに古い記憶を書き留め、『龍秘伝』とする。いずれの日か、我を呼ぶ者あらば、目覚めよう。その時まで、これを忘却のかなたに秘す。

「伝承」
 そこは世界の蝶番ちょうつがいのような場所だった。
 東と西の大地の深くえぐれた裂け目は、太古の昔に一頭の巨大な龍がつけた爪痕だと伝えられている。底なしの谷から唸り声をあげて天へと疾風が舞い上がるのを風の龍と呼んでいた。竜巻と呼ぶものもいる。
 七の新月になると羽毛のような雪が降り始める。
 北風がその大いなる翼で大地と地に棲む人々を翻弄するころ、北風に乗ってやってくるものがいた。彼らを龍人と呼んだ。
 遠い昔の忘れられた地球の子守唄のような記憶だ。

「龍秘譚」
 天地あめつちの分かれし時であった。空には風を司る二頭の龍がいた。
 大地をなだめ冷やす風をもたらす北風の龍と、大地を癒し暖める南風の龍である。二頭の龍は世界を二分し、暦も二分していた。大地はまだ一つだった。その背に跨り風琴を弾く者を龍人と呼んだ。風琴の胴は龍の逆鱗、弦は龍の髭を張り、風の声を玲瓏と奏でた。北龍はおすでその背には龍人の娘が、南龍は雌でその背にはおのこの龍人が乗っていた。龍人は逆旅の友であり、光陰を共に吹き抜けた。季節は風龍に依りて巡った。
 南風の龍は一の月から六の月まで、北風の龍は七の月から十二の月まで空を統べた。七の新月の夜、南北の龍は邂逅し、北風の龍は羽毛のごとき初雪をもたらす。そは天に舞う花のごとくして、人は風花かざはなと呼んだ。交歓の一夜をよろこぶと、南龍は南へと還ってゆく。一の月の満月に二龍はまた相まみえ、北龍は北へと去る。眷属たる風徒が数多あまた付き従い、ほしいままに風を起こす。風徒は脚と爪を持たぬ小さき龍の姿をしていた。彼らを人は「魚」と呼んだ。
 太古の昔、魚は空を泳いでいた。空と海とを自由に往来していたが、やがて深き海の底で水龍に仕え、空に還らなくなった者をリュウグウノツカイという。故に風徒とリュウグウノツカイは同じなりをしていた。
 往古、人には真白き肢体をなびかせ空を泳ぐ風徒の姿が見えていた。空には魚が泳ぎ、海にも銀鱗を翻し魚が群れる。人は獣を狩り、海の魚を釣って暮らしていたが、風龍の遣いである風徒は敬い狩ることはなかった。
 ところが、あるとき風徒に矢が向けられた。
 その年、南龍の飛来が遅れた。雨が幾日も降らず、草木枯れ、大地がひび割れた。雨乞いの甲斐なく、天は一滴の雫すら落とさなかった。渇き餓えて倒れる者が増えたある日、一人の若者が風徒に向かって弓を引いた。高い空を泳ぐ風徒に矢は届かず、矢数ばかり重ねた。風徒の幼魚が近寄ったのを射た。その体が割けてわずかに雨滴がこぼれた。それを見た村人たちは、次々に空に向かって弓を引いた。幼魚ばかり仕留められたが、子を助けんと降りてくる成魚もまた射られた。いくら風徒の腹を射抜いても、降る雨は地をわずかに湿らすほどでしかなかった。弓を引く者は後を絶たず、南風の龍はその渦中に現れた。
 人々の愚かな行為を止めようと、背に乗る龍人のスサが風琴をかき鳴らし声を挙げたところ、人が放った矢は誤ってスサの心の臓を貫いた。
 南龍は嘆き狂い、七日七夜、嵐が吹き荒れた。嘆きの叫びは雷鳴となり、哀しみの涙は豪雨となりて止まなかった。七の新月の邂逅に合わせ飛来せし北龍は、荒れ狂う南龍を鎮めんとした。北龍が振り下ろした前脚は、雷の一撃を受け、力の加減を失して大地を抉り、あまつさえ南龍の腹にも爪痕を残した。
 南龍は鎮まり、嵐は静まった。
 北龍の一撃によりて大地は二つに割け、二枚の羽根のごとく東西に開いた。最果ての北でのみ辛うじて繋がり、そはつがう蝶のようだと、蝶番の谷と呼ばれるようになった。
 南龍は、嵐による洪水が村を全滅させたことを知る。自らの飛来の遅れが招いた悲劇であった。北龍がつけた爪痕から血が流れるも厭わず、南龍はスサの斃れた地で苗床となることを望んだ。
 南龍はスサのむくろと魂を抱きて横臥し、大地となった。やがて龍の鱗から草木が芽生えた。龍と人とが和してできた地として、彼の地は後に大和やまとと呼ばれた。日本列島が龍の形をしているのは、それ故である。
 まがつ神にならずに済んだと南龍は感謝したが、北龍は自らの降ろした鉄槌によって南龍を傷つけ、大地が割けたことに慄いた。悲劇を繰り返さぬよう、以後人から風徒の姿を隠した。我は眠りにつくゆえ龍人はいらぬと、龍人の娘のヒミカを大和の地に残した。自らの逆鱗と、南龍の逆鱗を合わせて新たに風琴をこしらえ、自らの髭を抜いて弦とし、ヒミカに伝えた。この弦鳴るとき、呼ぶ声に応えようぞ。幾世代重ねようと、ヒミカの血を継ぐ娘の呼びかけには眠りから覚めんことを誓い、風琴と口伝と龍秘伝を授けよう。人のなかで生き、人として幸せになるがよい。我のことは忘れよ。
 スサの骸は南龍の宝珠とともに葬られた。鏡のごとく円く輝くその地を、人は鏡原と呼んだ。後の世の人は、彼を荒ぶる神スサノオノコ即ちスサノオとして祀った。嵐を起したは南龍であったことは忘れ去られ、スサノオの神通力とされた。
 我、北風の風龍は、かような仕儀によりて、東西に分かれた大地の継ぎ目にある北の幽谷に隠れ、眠りにつかむ。さらばリュートよ。愛しき者よ。幾星霜重ねようとも、そちの声には応えようぞ。

「口伝」
風龍幽谷に隠れ 龍人風徒秘す
三密鳴動すれば 風穴道をひら
風花天地を鎮め 虹龍鏡に消ゆ
 
我が力を必要とする時のために口伝を残し、我に至る方途を示さむ。
三密とは、風琴、龍秘伝、龍人なり。我の力借りたき時、龍穴にて風琴を弾き、口伝を唱えよ。さすれば我に至る道開かむ。龍穴は洞なり。深き大地の裂け目の洞なり。鏡原にありて、龍人の眠れる洞なり。我が髭の鳴りて呼応する所なり。

 『龍秘伝』は、ここで終わっていた。
 魚たちにも変化があった。琴乃おばあ様の魚のように直接、話してはくれないが、問いかけると、合っていれば縦に、間違っていれば横に首を振るようになった。わからないときは、くるくると回る。意思の疎通がわずかではあるが図れるようになった。
 レイは『龍秘伝』の内容を、流斗と迅に教えても良いかと魚に尋ねた。読んだ後に消去してもらうから、と言い添えて。傍らにいた魚は、他の魚に問うように室内を見回す。魚たちは次々に叩頭した。
 レイは『龍秘伝』のファイルを二人に送り、「読んだら破棄してください」と書き添えた。そうして、レイは自らのパソコンからも『龍秘伝』のファイルを消去した。

続く



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