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扇町ミュージアムスクエア

大阪の中心、梅田から東西にのびる扇町通りを東に1キロほど進むと扇町公園がある。かなり大きな緑地帯で、プールやロッククライミングの練習場などもある。

その扇町公園の近くに、かつて『扇町ミュージアムスクエア』という小劇団のメッカのような商業施設があった。今はもうない。

演劇に興味のある人には知られた施設で、大阪における小劇団ブームの一翼を担っていた。上本町に近鉄劇場があったが、この2つが当時のムーブメントを支えていた。近鉄劇場の方は東京系の劇団の公演が主だったけれど、扇町ミュージアムスクエアは大阪の小劇団の公演に特化していた。


大阪の地下街というのは昔からかなり発達していて、10年以上前に東京からやって来た友人が「一歩も外に出ずにホテルに行けた」と感心していた。

今は『ホワイティうめだ』という名称になっている梅田の東半分に広がる地下街は、私が大学生のころは、ウメ地下と呼ばれていた。
阪急うめだ本店の真下からまっすぐ東に向かって延々と続いている通りがあり、その東の果てのどん詰まりに「泉の広場」という噴水広場があった。地下鉄の一駅ぶんぐらい続く地下街。そんなのが、縦横無尽に梅田の地下には張り巡らされ、現代進行形で増殖し続けている。

「泉の広場」から外に上がって、さらに東に200メートルほど進んだ先に『扇町ミュージアムスクエア』があった。
それほど大きくはなかったが、シネコンが流行る前のことだったので、いわゆる複合施設の走りともいえた。小劇場の「フォーラム」、ミニシアター「コロキューム」、ギャラリー、カフェレストラン、それに「Souvenir」という雑貨店が併設されていた。私は大学生のころ、その雑貨店でアルバイトをしていた。




小劇場の「フォーラム」では、よく『劇団☆新感線』『南河内万歳一座』『リリパット・アーミー』など、今では名をなした小劇団の公演があった。大阪の小劇団がマグマのようなエネルギーを放っていたころだ。
3代目桂雀三郎による『雀三郎製(じゃくさんせい)アルカリ落語会』という新作落語の披露もあった。

ミュージアムスクエアでバイトをはじめる前から、演劇好きの友人に誘われて、時折、近鉄劇場に小劇団の公演を観に行っていた。『第三舞台』、『夢の遊眠社』、『スーパーエキセントリックシアター』などを観た。正直、なんだか訳のわからない部分もあって、友人につきあっているという感覚もあった。けれども、得体の知れない熱気には痺れるような魅力もあったから、ミュージアムスクエアでバイトをするようになったときは、そこで『劇団☆新感線』等の公演があると知って、ちょっと興奮したのを覚えている。

ところが。
そうは問屋がおろさない。公演のある日は、開演前のかなり早い時間から、店内が混みあう。だから、もちろんシフトに入っている。
扇町ミュージアムスクエアは、西からイタリアンレストランと雑貨店が通りに面してあった。その二つを両翼に抱えるようにして建物の正面入口がある。劇場専用の入り口は、雑貨店の東隣にあった。
公演目当ての観客は、たいてい泉の広場からあがって扇町通りを東進してくる。そのためビルの正面入口がまず目に入る。だから、そこから入って、雑貨店を通り抜け、劇場の入り口をめざす人がたいはんだ。「Souvenir」には、けっこうアート色の強い雑貨が揃えられていたので、開演前に買い物を楽しむ観客も多かった。それほど広くはない店内の通路は、雑談しながら重なりあう小さな人の塊があちこちにいくつもでき、やがてそれが膨れあがり、レジまでたどり着くのもやっと、ということになる。むろんレジ前は大混雑。劇場までの動線確保や誘導などもあった。

バイトだから、用事があればシフトを外すことはできた。
でも、休みをとって、みんなが忙しく働いているなか、劇場入口に並ぶ勇気は当時の私にはなかった。

開演を待ちわびているお客さんの熱気と興奮にあてられながら、ポストカードの品番をレジで打ち間違えて、店長に泣きつき、余分な仕事を増やしたりしていた。ぽんこつなアルバイトだったと、思い出すだけでため息が出る。

公演がはじまると、時々、かすかに壁の向こうから何かを叫ぶように語る役者の声が聞こえることがあった。
独特の、高く、大きく響く声。はるか遠くにある何かをつかもうとする声。役者とは身体全部を使って表現するというけれど。テレビよりも舞台のほうが、そのことを肌で強く感じる。俳優たちから発せられる強いエネルギーに浸食されるのだ、観る者の脳が。
当時旗揚げした小劇団は、大学由来のものが多かった。だからだろう。出演者たちも若く、観客も若かった。互いの熱が蠢きあって、伝染し、エネルギーが渦を巻き起こしていた。

古田新太、渡辺いっけい、筧利夫、野田秀樹、三宅裕司、小倉久寛。
みんな有名になった。10年ぐらいして、テレビで彼らを普通に見かけるようになったころ、妙な違和感を覚えた。舞台で鍛えられただけあって、その演技力には他を圧するものがあると思ったけれど。もちろん、テレビにはテレビの話し方や演技があるのもわかるけれど。
あの全身からほとばしるような、滴りおちるような熱量は、テレビ画面から感じることはできなかった。それが、少し寂しかったのだと思う。


アルバイトを卒業して社会人になったら、扇町ミュージアムスクエアに、『劇団☆新感線』か『南河内万歳一座』の公演を観に行こうと思っていた。けれど、時間に追われるうちに、気づくとミュージアムスクエアは姿を消していた。

羽野晶紀ちゃんの舞台での姿。観ておけば良かったなぁ。
と、ちょっと後悔している。





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