私と詩と。

はじめて詩を書いたのは小学2年生のときだった。

2年生になって、中学卒業までずっと仲良しの親友ができた。のんちゃんという。家もひと筋ちがいの近所で歩いても2分もかからない。6年生までクラスもずっと一緒。毎日、ふたりで遊んだ。
その日はのんちゃんが風邪かなにかで学校を休んだうえに雨だった。のんちゃんとも遊べない、外にも出られない。私はつまらない一日を過ごした。「お見舞い」という考えが小学2年生の私にあったのかは定かではない。でも、病気で寝ているのんちゃんを励まそうと、歌を作ることを思いついた。

ノートを一枚破って、即興で作った歌ともいえないシロモノをささっと書きなぐり長靴をはいた。それに気づいた母が、雨の中どこに何をしに行くのかと尋ねた。「のんちゃんに歌を作ったから見せに行く」というと、「お母さんにも見せて」というので、手に持っていたノートの切れ端を渡した。

それを見た母は、「詩を書いたのね」と言った。
私は「詩って何?」と訊く。
「こういうのが詩よ。上手に書けているから、どんどん書いたらいいよ」

そういった母は、翌日、かわいいA5サイズのノートを買ってきてくれた。
「これに詩を書きなさい」
母から手渡されたノートは、表紙に水森亜土ふうのかわいい女の子と犬が描かれていた。そんなかわいいノートはこれまで持っていなかったものだから、私には宝物のように思えうれしかった。

そのノートをうめるのが楽しくて、どんどん詩を書いた。
5月になったら5月の詩。秋になったら秋の詩。消しゴムの詩。空の詩。目につくものやら行事やら、ことあるごとに詩を書いた。あふれてくることばにリズムをそえて詩にした。ことばで遊んでいる感覚に近かった。

小学生のあいだ外遊びのあいまに詩を書き、詩集帳も8冊ほどを数えるようになり、私は中学生になった。
ところが、中学生になった途端に詩が書けなくなった。理由は単純だ。思春期をむかえ自意識過剰になった私は、何かもっと難しくてカッコいい言葉を使わなければいけないと思ったのだ。すると、ぱたっと書けなくなってしまった。

それでも詩が好きなことは変わらない。じぶんが書けない代わりに、むさぼるように著名な詩人の詩を読んだ。白秋、藤村からはじまって堀口大学、木下杢太郎、高村光太郎、室生犀星、中原中也、宮沢賢治、寺山修司、松浦寿輝、川崎洋、石垣りん、茨木のり子、谷川俊太郎‥‥。上田敏の訳詩集も。ヘッセやボードレールも。みんな大好きだった。
じぶんが詩を創れない代わりに、気に入った詩を書き写した。


なかでも特に感銘を受け私の目標としているのが、誰もが知っている
三好達治の『雪』と山村暮鳥の『風景』だ。

『雪』  三好達治

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ

『風景 純銀もざいく』 山村暮鳥

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな


難しいことばは一つも使われていないのに、雪が降りしきる夜の光景と、菜の花がどこまでも咲き乱れる春の野があざやかに立ち上がる。

とてもおそれ多いことだが、私もいつか、こんな詩が書けるようになりたい。



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