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『ミトンとふびん』

大好きな人が死んでしまった。その後の遺された人を描くストーリーである。一般的な小説とは違い、特に大きな何かが起こるわけではなく一見淡々とストーリーは進んでいく。
遺された人(主人公)が日々の生活の中に亡くなった人を思い出し、悼む描写が描かれている。

この物語を通して感じたことがある。
人は死んでも、誰かの心の中に生き続ける。けれど、生き続けるからこそ遺されたものは辛く苦しいこと。だけど、それは時間が解決するということ
人はいつかお別れが来ることをわかっていても、今に生きるのに必死になる。それはある意味当然なんだなぁと。でないと生きる意味がわからなくなる。幸せになるために人は生きるんだ。

よくこんなことが言われる。
紆余曲折していくつもの壁を乗り越えたからこそ幸せを手に入れることができるんだと。
この小説の中で私の幸せの定義を揺るがすものがあった。
幸せの定義とはむつかしくない人生である。何も起こらない。葛藤もなく、悩みもない。トラブルのない人生である。
そんな人生を考えたことはなかった。

日常の中には見えないが必ず死は側にある。一方、日常生活の端々には必ず幸せはある。
そんな幸せを積み上げていきたいと思った。

・失くしてみるとよくわかる、それが家族がいるという幸せの、本質なのだ。

・自分の方が圧倒的に力が強くて今すぐに相手を壊してしまえるということがわかっているからそこ、それをしない自分というものの中にこそ、相手に対する圧倒的な愛情の存在を感じる。

・積み上げたものをまた失うのはわかっている。どんなに積み上げたって死んでしまったらお別れ、そこで一旦終わるのだ。繊細に積み上げたお城だって、主のいない廃墟になる。それでも私たちはなぜか積み上げ続ける。それが生きている証であるから。

・積み上げるために、私たちは積み上げられるかな?でも、先が見えていることであっても、人は精一杯味わうしかないのだ。

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