自己紹介してみます
昨日ドキドキしながら初投稿しました。
今朝PCを開いたら「2スキ」いただいていて、興奮しました!
調子に乗って、自己紹介してみます。で、タイトルはまたベタなものになりました(笑)。
まずは現在から。無職です。厳密に言うと、有給休暇消化中のサラリーマンです。今月末付で15年半勤めた都内IT系の企業を退職します。人事総務的な部署で主に社員コミュニケーションや企業文化、CSRに関わる仕事をしてきました。大好きだったその会社を退職することを決めた話は、また別の機会にしてみたいと思います。あ、40代後半です。昨日「スキ」をいただいた方がおふたりとも20代の若い方だったことも、興奮の理由かもしれません。なぜならわたしは、ワカモノコンプレックスだから。この話もいつか。今回の記事のアイコンは中1の甥が描いた私の似顔絵です。ブサイクながら憎めない・・・そしてどこか似ているのが否めなくて、結構気に入っております。
子供のころ
私自身は、東京生まれ・埼玉県育ち(いわゆる東京に通勤1時間以内のベットタウン的な場所)ですが、両親共に宮城県のド田舎出身のため、子供のころの夏・冬・春休みは、3歳違いの妹とともに、ほぼすべて祖父母の家で過ごしていました。野山を駆けまわり、牛・豚・鶏の世話をし、生みたての卵ご飯を食べて、畑できゅうりやトマトにかじりつき、お風呂は薪で(たぶん私が小学1,2年生までだったかな)、トイレはもちろんぼっとん・・・そんな生活でした。若い人が聞いたら「いつの時代の話よ?」と疑うかもしれませんが、昭和50年代の田舎なんてこんな感じでした。
中高生&大学生のころ
教育熱心だった母の影響で中学受験。中高一貫の女子大付属の女子校に入学します。大人になって知り合った友人や初対面の人には、女子校出身には全然思えない、と本当によく言われます。これまた嘘みたいな本当の話ですが、学校指定の革鞄2つに入らない荷物は、風呂敷で!!という時代錯誤はなはだしい校則と二言目には「グローバル人材になりなさい」と口うるさい校長先生が共存する伝統ある学校の生徒さんでした。そんな校則をゆるめに破りながら、文字通り、箸が転んでもゲラゲラ笑って過ごした6年間でした。
そのまま付属の大学に行ったら10年間か・・・と新しい世界を見たかった私は都内の私立大学へ入学します。ここでははじけたように異性の友人との学生ライフを楽しみました。アブナイ意味に聞こえますが健全です(笑)。「親友」と呼べる彼らとは今でも、家族ぐるみでの関係が続いています。独身の私をよく家に呼んでくれたりと、どちらかというと彼らの奥様方がステキなんだと、書きながら思っています。でも東日本大震災のとき、「大丈夫か~」と連絡をくれたの彼らだったなぁと、いいこと思い出しました、ありがとう、noteさん。学生時代に話を戻します。彼らとよく遊ぶ(飲む?)一方で、わたしは、バイトをしては東南アジアを予定も立てずに旅をするバックパッカーへの道へまっしぐらでした。インターネットなんてなかったから(あったかもしれないけど、一般民衆が使うようなものではなかったはず)「地球の歩き方」だけを頼りに、どこまで僻地へ行けるか・・・みたいな旅をしていました。でもどんな僻地に行ってもいるのよねぇ、日本人。あちらももれなく「地球の歩き方」片手にね。世界中のいろいろな生き方をしている人に出会いました。校長先生!あなたの想像とは違ったかもしれませんが、ある意味グローバル人材になりましたよ、ワタクシ。
社会人
しごとその1:ヨーロッパ&アジアのアクセサリー輸入、卸&小売りの会社
海外に行きたかったのでバイヤー志望!とにかく華やかな世界を夢見てました。社長のセクハラとかいろいろあって、1年3か月で辞める!とにかく海外に行きたい!→4か月のバックパッカー旅へ・・・(笑)
しごとその2:携帯キャリアグループ会社
人材派遣営業+人事のお仕事。営業の仕事楽しかった!ノリノリでした。しかし、ひょんなことから適応障害になってしまい、「自分は弱い」と初めて知った人生の試練もありました。復活後、海外トレーニー制度に合格するも、会社の事情で制度がなくなる。モチベーションもなくなる→辞める!(5年勤務)→アフリカへ・・・
しごとその3:ケニアNPO(厳密に言うとボランティアで仕事ではない)
ケニアの首都ナイロビから100キロほどのド田舎、内戦難民キャンプがスラム化した小さな村でボランティア。電気も水道もない牛の〇んちで固めた家にホームステイ。いろんな意味で生きてる感がすごい1年でした。この話もいつか書いてみようかな。
しごとその4:オーストラリアでツアーガイド
そういえば「いちお」と思ってとっておいたワーホリビザがあった!期限ぎりぎり、年齢30歳まで、わたし30歳!!!今でしょ。ってことで、行きました。英語しゃべれるようになったし、なんとかなるでしょと。なんとかなりました。今でも尊敬する伝説?のツアーガイドの方が、会社を立ち上げたばかりでガイド募集!はい!採用→デビュー早かった!西オーストラリア中をお客様に案内し、一緒に楽しんだこの仕事は最高だった。お金なかったけど生きてる感がこれまたすごい1年でした。
しごとその5:帰国してニッポンのIT企業へ
ITと無縁の私に務まるのか・・・不安しかなかったけど「英語を使って仕事をしてみたい」というわたしを「英語はめっぽうニガテ」という上司(後からわかったのですが、本当はできる)が採用してくれて。派遣社員だったので、まぁ1年くらいと当時思っていたはずが、あまりにすばらしい会社だったもので、正社員にまでなって結局15年半も。
という人生で現在に至ります。
いわゆる「キャリア」と呼べるほど立派ではないけど、「キャリア」の語源は「轍(わだち)」なので、「自分が通ってきた道を振り返ったときにある跡だ」と人事の仕事をしているときに知ったので、これもわたしのキャリアだと誇りを持ってお伝えしたいと思います。過去を振り返りながら、「この話もいつか書いてみよう」と思うことがたくさん出てきたことは、これまでの人生良くも悪くもいろいろ経験してきた証かなと、図らずも自分でも楽しい時間になりました。有給休暇もあと少し。次は、私がこれからやってみたいことを書いてみようかなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
よかったらまたお付き合いください。ドキドキしながら公開ポチります。
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