詰め込んだ夢を打ち上げる場所_2023/5/11
たまには、オチのない日記も書こう。
そもそも日記というのはその日の出来事を書き記したものである。そりゃあ、なんともドラマチックで起承転結のはっきりした素晴らしくキラキラした1日だってあるだろうさ。でも毎日そんなギラギラしとったら疲れるて。ふつう、1日というものはただなんとなく過ぎていくものだろう。その感じを、日記にも表してみたい。
今日のお昼、久々に飲むヨーグルトを飲んだ。
一昨日に辛いラーメンを食ってからというもの、私のアスタリスクが火属性の持続ダメージを受けている。人間の身体は火に耐えうるようにできていないので、要するに痛いのである。
理由が明白なぶん、対処は簡単であった。普段あまり野菜を食べる習慣がない私の腸は、少しの食物繊維と少しのビタミンを与えることで劇的に元気になる。まだ完全に鎮火できたわけではないが、ウマ並みの草爆食いのおかげで、今となっては容体もだいぶ落ち着いた。
そこにヨーグルトを注ぎ、拍車をかけようっていう魂胆ですわ。
数年ぶりの飲むヨーグルトは、やはり美味しかった。程よい酸味と乳製品ならではのまろやかさが口の中で絶妙に共存し、その共存関係を食道、胃、十二指腸、小腸、大腸に至るまで維持し続ける。身体のコンディションが管の中から良くなっていく感覚を痛感した。いや痛かったらダメじゃん。
おかげで私の身体に溜まったデブリは火属性を纏うことなくノーマルタイプになってブリブリ出てくれる。燃えるような太陽風も、今や薫風である。薫らせるな。
“飲むヨーグルト”というが、普段のブル○リアヨーグルトみたいな形状のヨーグルトを口にする際、『食べる』という表現を用いるのは適切なのかと思うときがある。
グーグル先生に『食べる 意味』とまるでボディイメージに障害がある人間のような質問を問いかけてみたところ、次のような回答であった。
今回問題となるのは1の意味であるが、それでは“食物をかんで、のみこむ”の“かんで”の部分、つまり“かむ”とはどのような意味かと訊いてみたところ、以下の通りであった。
今回問題となるのは1や2の意味であるから、『ヨーグルトを食べる』とはすなわち、『ヨーグルトを上下の歯で挟み、砕く』こと、『ヨーグルトを、歯をたてて傷つける』ことである。
ブルガ○アヨーグルト、歯と歯で挟める?
せいぜいベロと口蓋でうにゅうにゅするのが関の山じゃない??
少なくとも、傷はつかなくない???
世界中の飲むヨーグルトの皆さん。
もうわざわざ“飲む”なんて煩わしい二文字、つけなくたって良いんですよ。
飲まないヨーグルトなんて、この世にはないのだから。
私もわざわざ自分の名前なんて名乗らずに『ヒトです。』とかいう自己紹介にしようかな。そこで“実はヒトじゃないやつ”みたいなのが炙り出されたりしちゃったりして。楽しそう。今度生まれ変わったら、試してみようと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?