本があればしあわせだった

小学生のころの記憶って、かなりあいまい。
だけど、今でも好きなことの原型があったのは間違いない。

家が小学校のすぐ裏で、登下校で道草を食うことがなかった。
学校の畑の作業の日、母親が洗濯物をベランダで干していませんようにと願っていた。
友だちと遊ぶことよりも、本を読むのが好きだった。
コロポックルやクレヨン王国が、どこかにあったらいいなと願った。怪盗ルパンにドキドキした。伝記は電気とは違うものだとはじめて知った。
ズッコケ三人組が仲良くしている姿は、ほんの少しうらやましがる。
本を読むことに没頭しすぎて、頭がぼーっとすることもあった。
ずっと同じ姿勢で読むのがつらくて、ベットでゴロンと横になって読むのが好きだった。手が痛くならなければ、もっとよかったんだけど。

学校の図書室よりも、多くの本があるときいて、近所の図書館へ自転車で行った。
借りるときは、まだ図書カードは電子化されていなくて、借りられる枚数分のカードを配られていた。
ひとり3冊で、私は家族のカードももって、せっせと図書館に通っていた。

本の裏表紙をめくったところにある貸出記録帳に貸出日のハンコを押す。
本のタイトルと著者名が書かれた小さいカードを本から外し、私の貸出カードとともに、カウンター前に整然と並べていく。

図書館の人がカードをしまいながら「たくさん読むのねぇ」といわれるのが、うれしいよりも、なんだか友だちとうまく遊べないのがバレているような気がして恥ずかしく感じた。

 たくさんの物語があふれる図書館は、いつも私を受け入れてくれた。今でも生活のリズムを整えたくなると、自然と図書館に足を運んでいる。


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