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儀式と忘れていた気持ち

ラジオ体操は、小学校の夏休みに朝6時半に近所の公園でやって以来だ。

あるいて10分くらいの公園、近所の同級生に兄弟で一緒にいるところを夏休みで会うのは、少し恥ずかしかった。

あれから、四半世紀は過ぎた。
4月からの平日はラジオ体操をしていた。

第一だけに飽き足らず、第二もやった。

第二ですぐにはじまる「あの」ポーズ。両手で力こぶ、両足をそろえて、膝を開いて軽く曲げるゴリラのようなポーズ。

あの頃は、ただ恥ずかしいという記憶しかなかった。

なんで、恥ずかしいのかな。今回、ラジオ体操をするたびに、どの部分が恥ずかしいと感じたのか探っていた。

膝を軽く曲げるときに微妙に外側に開くところだ。
股を開くことが恥ずかしかったのか?

毎日、その部分体操するときに考えるが、一瞬で次に行ってしまう。
そのポーズだけがどうしても恥ずかしかったのだ。ただし、恥ずかしがって、足を開かないでいると、恥ずかしがっているのがばれるのがさらに恥ずかしいというループに入る。
いま改めて思うと、ガニ股コマネチのポーズと足の形が似ているからだろうか?

今ではまったく平気。zoomのカメラをONにして、ラジオ体操ができるくらいだ。

ラジオ体操をしている自分をどうみられるのかを気にしなくなった。
しかも、zoomのビデオはいつの間にか美白モード。もう、何も気にしなくてすむかもと思った。

かれこれ2カ月近くが経った。

ふと鏡をみると、カラーリングよりもはるかに明るい髪が元気に飛び出している。そこに元気さはいらない。以前は、見つけ次第、ピッと抜いていたが、数か月後に押し寄せる大群には、かなわなくなった。
ここのところ、美容院にいけてないから、ごまかしがきかない状態だ。

今度の火曜日、ひさしぶりに出社する。あわてて美容院に予約をいれた。

これはラジオ体操第二で感じる気持ちとは、ちょっと違う。
気分をあげるための儀式だ。

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