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今日の新聞より~私が気になった記事

「新聞より」が書けない。時間がない。(あるんだけどね)
新聞がたまっている。私が一番大事にしたいところなのだ。
 なぜ「新聞より」を書くのか。それは社会に対する私の「ひっかかり」を大事にしたいから。将来、「評論」を書きたいから。

 noteに書く迷いもある。それは「作品」なのか。
でも、 今日は書く。
(他にするべきことあるのに、何をしているのだと思いながら)
 あくまでも個人的見解ということをご了解下さい。

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今日の新聞より、「私が気になった記事」



朝日新聞 2023年12月5日(火)大阪版 朝刊
 いつものように後ろから。「」は見出し。

27面 「日大改善計画を説明」



 昨日あった日大の記者会見の様子。私は作家としての林真理子氏のファン。関係ないか。テレビでもたくさん取り上げている。

 私は報道を見ていて、当事者の、日大アメフト部の部員たちの声が聞こえてこないなと思う。上の人たちの責任がどうのこうのという話になっているけど、肝心の部員たちがどう思っているのか。

単に、自分は関係ないとか、廃部になったらアメフトができないから迷惑、だけでないと思う。自分たちのアメフト部なのだから、どうしてこうなったとか、自分たちでどうしたらいいか考えていると思うのだけどね。話し合いはしていると思うし、部員の聞き取りも充分されていると思うけど。あまり聞こえてこないなと思って。部員、学生の自主性。自立性を願う。

犯罪だし、そんなこと言っていられないほど大きな組織の大きな問題なんだろう。

って、とっぱじめからこんな意見を書いて良いのか。

書き始めたからしょうがない。行く。

26面「京アニ放火事件 法廷から」

朝日新聞は、京都アニメーション放火殺人事件の裁判をずっと追っている。毎回載っている。この、事件を犯すに至った犯人の、孤独孤立の問題を私はずっと気にしている。


20面「NMB48の レッツ・スタディー!」

NMBメンバーが小論文に挑戦。指導は塾講師。
今回のお題は、アイドルとして経験したことを元に、「自主的」と「自分勝手」の違いを説明せよというもの。田中美空さんの文章、よく書けていると思う。果敢にチャレンジしている。講師の助言、わかるけど、200字では難しくないかい?

制限があった方が文章は磨かれる。これ、合点承知!


同じく20面 「頑張ってます GMは元舞台俳優」

バスケット「徳島ガンバロウズ」はBリーグ3部(B3)

いちど、Bリーグ見に行きたいな。できれば富樫選手、河村選手。ごめんなさい、徳島ガンバロウズの皆様。ガンバロウズも頑張れ!


17面 「応募ゼロ 障害者支援現場の悲鳴」

ヘルパー不足が言われている。高齢者の場合もそうだけど、障害者も同様で深刻化している。そうだろうね。

サービス提供責任者は「ヘルパーで生計を立てられる水準の報酬になるよう国は財源を確保してほしい(記事中より引用)

やはりまずは給与問題。全産業平均を大きく下回る。

そして、専門性について。厚労省のアドバイザー、小澤教授は、「質の高いサービスを供給する事業所に基本報酬を手厚くすることが必要」その上で、「専門性が求められる人材をどう確保しどう育てていくのか議論する必要がある」(記事より引用」

専門性。そうなのだ。ヘルパーは専門職。知識と技術を持っている。だから、それなりの給与は当然だし、ヘルパーの方も、専門職としての気概と働きがいを持って仕事をしてほしい。それを仲間で高め合ってほしい。そして、やめないで!

と、引退した元福祉職(私)は勝手ながら思っている。


11面 耕論「スミソニアンと原爆」

スミソニアンとは、「米国立スミソニアン航空宇宙博物館」
今、原爆被害を伝える資料の展示を計画しているとのこと。
【以下、要約と引用】

論者は三人。
※グレッグ・ハーケンさん(歴史学者)
 「遺品展示なく街写真 残念」

30年前、スミソニアン学芸員時代に原爆展を計画。米国内で激しい反発があり、中止になった。

展示するはずだった(黒こげの)弁当箱は、最も感情に訴える物の一つでした。(中略)人間の悲劇への理解を促します。

記事より引用

黒焦げの弁当箱の持ち主は、13歳で被爆死した。今回、弁当箱の展示はない。

※原田 浩さん(元広島平和記念資料館館長・被爆者)
 「30年前の挫折検証 日米で」


30年前、館長時代に、スミソニアン館長とやりとりした。今回、市街地写真の展示くらいしか計画できないのは、日米双方に責任があると思うと。

(30年前に)日米で巻き起こった議論は何だったのか。その検証と議論を米国の人とともにすべきです。もしそれが実現できたら、核兵器への依存が強まる流れへの一つの歯止めとなるかもしれません。

記事より引用

※直野 章子さん(歴史社会学者)
 「顔見える資料 理解深める」

30年前、スミソニアンでの原爆展が中止になった直後、アメリカのワシントン大学で原爆展を開く。広島・長崎市が資料を貸し出した。黒焦げの弁当箱もあった。来場者のコメントから、歴史観が違っても歩み寄れるという希望を共有できたと言う。

人間性を取り戻していくために必要なのは「自分を人間として見てもらうために相手を人間として見る」という姿勢でしょう。

記事より引用

【要約終わり】
私がなぜこんなに文字数を使って紹介したかというと、この前、テレビの「NNNドキュメント キノコ雲の上と下」を見たから。

アメリカの青年の祖父は、広島と長崎と両方とも、原爆を落とした飛行機に乗っていた。広島の女性の祖父は、広島と長崎と両方原爆にあって生き延びた。そんな日米の孫二人が出会い、平和について語り、活動する。いい番組だった。

キノコ雲の上と下。それぞれの祖父の苦悩と思い。
アメリカでは原爆投下が戦争を終わらせたという「神話」があるとのこと。

直野さんの言葉のように、
「日本人だから、被爆者だから、アメリカ人だからという枠組を当てはめない」「互いに同じ一人の人間として対話を試みる」
 当たり前のことなのにな、と思った。

立場が違っても、歴史観が違っていたとしても、歩み寄ったらいい。人間対人間なのだから。人間だからこそ難しいこともあるが、それでも希望を持ちたい。

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今日はここまで。
最後がまとまらなかった。

さてさて、ここまで読んで下さった方、おられるだろうか。そんな奇特な方に(褒め言葉ですよ)「ありがとうございます!」と言いたい。

いなかったら・・・寝てしまおう。


*画像をお借りしました。ありがとうございます。あまりに面白いので、このまま勢いで投稿しちゃえ!




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