おまえはどう在るのか~近藤康太郎氏のコラム
「新聞より」が続きます。手間がかかって苦労するのにね。読むほうも大変かもしれませんが、今日は書かなければいけません。
我が師匠、近藤康太郎氏の多事奏論が載りました。いつものように、感想を書きたいと思います。弟子の使命。(そんなのないけど)
朝日新聞 2023年10月21日(土)朝刊
タイトルは、
死を知らぬバービー 人里に降り考える「人間らしさ」
今回、結構難しかったです。なぜかというと、ひとつは、自分とあまり普段接点のない「ハリウッド映画」の話から始まったからです。
その映画は「バービー」
あのバービー人形でしょうか。夢の国・不死の国の人形世界でハッピーに暮らしていたバービーが、リアルな人間界にまぎれ込むコメディーらしいです。
音楽がいいとか、主題歌「PINK」の意味とか、ルッキズム(容姿差別)とかのさまざまな「イズム(主義)」にノーと言っている映画なのだ、とか話が続きます。コメディだけど深い映画なのか。
人形に死はない
後半が(も)大事です。
山奥猟師(近藤氏)が気になったところ。それはハッピーな国に安住していたバービーがなぜ「イズム」の争いに満ちた汚辱の人里に降りてくるはめになったのか。
人形に、「死」はないのに。
山奥猟師(近藤氏)は「けものにも『死』はない」「死を自覚しない」
そして、「逆に、死を自覚できるのが人間だ」と言います。
ほら、難しくなってきた。
ここからは引用させてください。
エレファントカシマシの宮本浩次が作る歌は、「人間はいつか死ぬ。だから、それまで力の限り、精一杯生きようぜ」と言っているという見解を聞いたことがあります。それを思い出しました。
私も納得しました。決して刹那的になっているわけではなく、希望を失っているわけでもなく、反対に、人間は死ぬのだから、それまでの生き方が尊いのだと。死を自覚していますよね。
おまえはどう在るのか
近藤氏は続けます。
「どう在るのか」というのは、グッと迫ってくる問いです。「どう生きるのか」より、現実的な姿勢を問われるような気がします。
私はまさに、今その質問に答を出そうともがいています。「死」が身近に感じられる年齢になりました。残りの人生をどう生きるのか。刻一刻と死につつあると言われると、ちょっと焦る気持ちにもなりますが、「今、生きている」ことを実感しながら、問いに答えていきたいと思います。
終わりに
山奥猟師でもおられるので、「けものに死の自覚はなく、あるのは『生』だけだ。逃げて逃げて逃げまくる。生きて生きて生きまくる」というあたりの文章に迫力と思慮深さを感じました。(一部引用)
「血に汚れた手でそれが分かる」という一文は、実際に山を走り回る猟師にしか得られない感覚だと思いました。
しかし、私は、けものも逃げながら「死」を感じることはないのかなあと思いました。「死」という概念がないとしても本能で。だからこそ逃げるのだと。でも、私は手を汚していないから間違っているかも知れない。
それと、バービーの映画から、「人間らしさ」を問う深い命題にたどり着くとは、日頃「生と死」を目のあたりにしているからこそ、と思いました。
そっか、近藤さんも、イズムに満ちた人里に降りてきて、考えたことなんですよね。深読みの構図が見えた気がしました。
すみません、師匠の元には届かないので、思ったことを書きました。
これからも、生きる実感のある文章を楽しみにしています。
はるかなる一弟子より
(エレファントカシマシの歌は怖くありません。優しいです)
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