薔薇とチューリップとペンペン草
大学を出たのに、仕事がありませんでした。
北海道の小さな大学で、時代も周りものんびりしていました。
教員試験を受けましたが、採用にはならず、いったん実家に戻りました。
結局教師になることはできず、新聞の募集広告で見つけた小さな会社に就職しました。アルバイトを除いたら、「初めての仕事」です。
新聞に載っていた募集広告の条件に「人に優しくできる人」とかなんとか、そんな文言があり、「面白そう」と思ったのです。
採用された会社は、大企業を「脱都会したい」と退社した五人組が興した会社で、元いた会社と同じく室内装飾、主にカーテンを扱っていました。その他、「全国から美味しいモノを取り寄せて届ける」という事業をやっていました。
役員の5人の他には、私たち事務系の女性が3人、カーテンを縫うパートのおばさんが3人、美味しいモノを配達するドライバーさんが何人かいました。
私の主な仕事は、会社の広報誌をつくること。就職試験の時に作文があり、どうもそれが良かったらしいです。その頃から文才発揮!なんて、自慢にならないな。
だって、なんの実力も実績もなく、役員の書いた文章を手直しするくらいしかできなかったのですもの。社長には「街に出かけていろいろなモノを見たり、勉強したら良いよ」などと、優しい言葉をかけてもらっていたのですけどね。
きっと、期待には添えていなかったと思います。
仕事は他にも雑多あり、美味しいモノの会の連絡電話をかけるのも仕事でした。天候の具合で配達が遅れると、電話をかけまくるのも大変でした。
社長は馬主で、父親や叔父が名の知れた人で、恰幅がよくて服のセンスも良く、立派な人でした。個人面談では、言いにくいことをちゃんと言ってくれ、厳しさも学びました。
その他の役員の方々も個性があり、魅力的でした。
事務系女性3人組も個性派ぞろいでした。社長は、そのひとりを例えて「薔薇だね」もう一人には「チューリップだね」と言ったのに、私は何にも例えてくれず、3人で「ペンペン草か!」と、笑い合ったのも懐かしいです。
ま、それ、当たっていたと思います。ダサかったと思う。(今も)
縫製のおばちゃんとも仲良くて、まあまあ楽しかったです。
何年か勤めた後、いわゆる寿退社をしましたが、それから会社は立ちゆかなくなり、解散(倒産)したと聞きました。
その後、社長は違う会社をされたり、競馬にも関わっておられてまだご活躍のようです。
私のこと、覚えてくれているでしょうか。
*ヘッダー写真:その頃の通勤経路。橋の下を渡し船で渡っていました。
昔20円、今100円。
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