「もうあかんわ日記」~岸田奈美著
岸田さんの名前は知っていました。noteから本を出されたのですよね。
前作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』はまだ読んでいないですが、新聞などで取り上げられていたのは見ました。
この本も、noteに書いたのをまとめたらしいです。ご同輩。(めちゃくちゃ恐れ多い)
もうあかんのに、とにかく笑える
図書館で見つけました。この時一緒に借りた、阿川佐和子著『もしかして愛だった』を先に読みかけたのですが、「いや、こっちが先や」と思いました。
読後の感想。ああ、とても面白かった。
岸田さんちは、とにかく大変なわけです。書いていいなら(ってもう書きかけとるやん)すぐ忘れるおばあちゃん、病気で車椅子のお母さん、ダウン症の弟さん、よく吠える1匹を含む犬2匹。
こう書くと、本当に大変と思われます。実際、岸田さんは作家の仕事をしながら、唯一動ける人として孤軍奮闘、縦横無尽。必死なんです。
でも面白い。笑ってしまう。深刻なのに、悲壮ではない。それは岸田さんの筆力ももちろんある。そして、岸田さんの、物事をそのまま受け止めて、なるべく明るく過ごそうという生き方から来ていると思いました。そうせざるを得ないというのもあるのでしょう。
愛したのが、家族
ご家族の中で、私が一番可笑しかったのは、おばあちゃんです。すぐに忘れるので、しょっちゅう「はあ?なんで?」ということをやらかす。でも、あやまらない。言い訳しない。孫にそのまま感情で言葉をぶつけてしまい、事態を深刻にしてしまう。
おばあちゃんは、ご自分の思いのまま素直に生きている。やっていることはおばあちゃんの中で自然なんです。それを筆者は受け止めて、責めない。
いや、「なにすんの!」と怒っとったど。じゃあ、「責めているけど、認めている」ということだ。
これはどの家族に対してもそうです。弟さんの言動も受け止めます。精一杯に考えて行動している、努力していると認める。これは読んでいて、気持ちが良い。そして可笑しみが出る。お母さんもたくましいです。
そこには、家族に対する愛があります。それも「家族だから愛している」じゃなくて、「愛したのが家族」です。
家族を認めるからこそ、家族はそれぞれの力を発揮し、自立し、なんとかやっていけていると思いました。
弱さを追い風に変えるのはユーモア
というのが文中にありました。
岸田さんの言葉
「わたしね、ずっと特に解決策がほしいわけじゃなくて、聞いてほしいだけの弱音や愚痴をはくことって、迷惑だと思ってた」「でも聞いてくれる人がいないと、『理不尽』は『祈り』や『笑い話』に変わってくれない」(P162より引用)
「身近な人に愚痴を吐くかわりに、この日記に書いてきた」
「読んでくれる人がいるから書いてこられた」と言っています。
出版社の人の話「読んだだれかが救われる日記なんです」そうです、このキャッチコピーに異議なし!です。
少しずれるけど、「弱音や愚痴を吐きたい時に、どんな人にも、聞いてもらえる人がいますように」そんなことも思いました。
しんどくても明るく過ごせますように。