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文学は、いまを予見する~震災は今も目の前に

朝日新聞 2013年1月25日 
文芸時評 鴻巣友季子氏のコラムより

 「文学は、いまを予見する」

  初めの方は「国や時を超えて」というサブタイトル通り、
文学の国際化という話でした。(おおよそ)

 そして、後半は今回芥川賞を受賞した、佐藤厚志著「荒野の家族」を取り上げています。
私がこの記事に注目したのは、上に書いた「文学は、いまを予見する」というタイトルです。

  先日取り上げた小川哲氏のコラムを思い出しました。
「過去と現代を『見る』ことで、不確実な未来を想像する」と言っていました。

 鴻巣氏「文学には過去を振り返り内観する働きもある」
ね、似ていること言っている。

  佐藤厚志氏の「荒野の家族」では、
「人びとが震災から被った有形無形の傷と痛みが(中略)綴られている」
と書いています。


 そして今日 1月29日(日)文化欄は芥川賞・直木賞受賞エッセー
佐藤厚志氏本人の文が載っていました。

 タイトルは「震災は今も目の前にあるから」

 最後のほうの言葉から引用・要約させてください。

「日々、苦しい感情が押し込められ、誰にも知られることなく漂い続けている」
「しかし小説はそんな表現不可能とも思える感情をキャッチし物語に込めることができる」

 なぜ、震災を書いたのかと100回以上聞かれて、
「それほど震災を書くことが特別で珍しいのだ」
「戦後文学の書き手が戦争を書くのが当たり前のように、
 東北の作家が震災後の風景を書くのは当たり前の気がする」

 そして最後に
「震災が今も目の前にあるのに見えづらい。どうか見て欲しい」と結んでいます。


 【私】
 「文学が今、未来を予見する」という話から、
佐藤厚志氏「荒野の家族」の震災の話になりました。

 震災は阪神淡路大震災も東日本大震災も、 
それぞれの日が近づけば思い出し、そのことに思いをはせることはあっても
終わってしまえば遠い人にとっては遠い出来事になってしまいます。

 それでもいつでも「自分事」として考えることができればと思います。

神戸の相楽園にある洋館。
向こうに見ている煙突は震災の時に落ちたもの。



 ここまで書いてきて、落ち着かないことがあります。
それは小川氏も佐藤氏のも本を読んでいないこと。
いつもですが、読んでいないのにエラそうに言ってごめんなさい。

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