鮎川誠氏の駆け抜けた人生
ロックやバンドに興味を持つようになった。
興味を持ってみるから、新しく知ることも増える。
地元のシンガーソングライターのことも、
若者に人気のバンドのことも。
2023年4月22日(土)夕刊
惜別のコーナーに、ロックギタリスト 鮎川 誠氏が載っていた。
1月に74歳で亡くなった。膵臓がん。
妻の故シーナさんと組んだ「シーナ&ロケッツ」名前は知っていた。
「ローリング・ストーンズばりのワイルドな演奏は熱狂的な支持を得た」と書いてあった。
Twitterでもその訃報は流れた。
娘さんが3人いて、
そのうちのお一人が、父親である鮎川氏の死が悲しくて悲しくて
「お父さん、大好きだった!」とその死を悼んでいたのをTwitterで読んだのだ。
昨年5月にがんの告知を受けたが、手術も治療も断ったそうだ。
告知後12月まで45本のライブを行なったという。
私が目をとめたのは、次女の言葉、
「母もそうでしたが、心配されたくないからバンドにも知らせませんでした」
というところ。
そうなんだ。心配「されたく」ないんだ。
これはどんな気持ちなんだろうと思った。
「かわいそうと思われたくない」「弱いところを見せたくない」
「悲しいと思っていない」「自分は自分の人生を生き切ったのだから」
とこれは私が勝手に考えた、鮎川氏の気持ち。
もちろん違っていると思うけど、
最初のふたつは「心配してほしくない」
最後のは、「自分の思うように生きたから後悔はない」という気持ち。
いずれにせよ、心配されたくなかったんだ。
弱音は吐いてもいいと思うけど、
心配だってしてもらっても良いと思うけど、
それが鮎川氏らしい人生の閉じ方だったんだ。
そうだね。本当にまわりに心配かけたくなかったんだね。
最後までかっこいいロックスターだったんだ。
「燃え尽きるまで弾いた男だった」と記事の最後に書いてあった。
サングラスしてギターを抱えている写真が
「カッコいい!」としか言えない。
鮎川氏が始めたという福岡発「めんたいロック」は
「ストレート勝負の、吐いた息は戻らねえ」らしい。
自分のやりたいことをやってきたのさ。
そんな生き方に憧れる。
(画像借りました。これはアコギだけど)
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