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アバターから考えるファッション論


アバターファッションと物理的なファッションとはどう違うのだろうか? アバターをまとうVTuberは新しいファッションの可能性を開くのか? キャラクタ文化とファッションはどう関わるのだろうか? アバターからファッションを目下考察している筆者の研究や対談をダイジェストでご紹介


①アバターはファッションなのか?|「身体のないおしゃれ」(2021)

アバターはほんとうにファッションなのだろうか? ファッションとは、物理的な身体を使った自己表現であり、生まれついた身体の制限を受けないアバターの着こなしはファッションではないのか? 

◉概要
本稿では、アバターを用いた自己の表現の行為を「デジタルなおしゃれ」と呼び、現実世界でなされる「物理的なおしゃれ」と比較して、この営みの持つ価値、可能性、そしてジェンダーに関する倫理的問題を論じる。デジタルなおしゃれは「自己表現」の側面から現実の身体を用いたおしゃれと深いつながりを持った実践であり、そして、現実の身体に限定されない「自己表現」の可能性を持つと同時に、特定のジェンダーの表象を用いるために、倫理的な問題をもたらしうるような実践であることを明らかにする。身体のないおしゃれは可能であり、可能性と危険を持っている。

「身体のないおしゃれ」91.

②ヴァーチャルファッションの見取り図|「ヴァーチャルファッション」(2022)

snowやTikTokにおいてフィルターをかけた自撮り画像・動画やプリクラでの加工された顔の画像。メタバース環境であるVRChatやcluster上でのアバターを着せ替え。バーチャルモデルと呼ばれる、フィクショナルな存在である3DモデルがInstagramに登場したり(immaやLil Miquela)、アニメーションやマンガのキャラクタがファッションブランドとコラボレートしたり(RADIO EVA)、その間で、バーチャルYouTuberのようにフィクションとリアルの中間地点にいる存在が新衣装をお披露目したりする(特に、企業事務所にじさんじやhololiveに所属するVTuber)。こうした無数の「ヴァーチャルファッション」をどう分類できるだろうか?

◉概要
本稿では、これら三つのバーチャルファッション実践を、①パーソン(リアルな人間を表現する文化)、②アバター(人間がコミュニケーションのために人型の表象を使う文化)、③キャラクタ(虚構の設定や世界を背負った人型の存在を表現する文化)という、それぞれに異なる仕方で人間の現れを表現する文化が持つ表現運動として捉えることで、それぞれのベクトルの組み合わせが生み出す新しいファッションの可能性を考えるためのスケッチを描きたい

「ヴァーチャルファッション」158.

③おしゃれのむごさ|「メタバースは「いき」か?」(2022)

おしゃれは、自分が選択したわけではない身体を使った表現だ。私の身体はしばしば自分の思い通りにはならない。流行に合わせやすい身体もそうでない身体もある。ゆえに、おしゃれはむごい。そのむごさに対して、アバターファッションはどのような回答を与えようとするのだろうか?

◉概要
この身体、顔を持って生まれてくる私たち。好むと好まざるとに関わらず。この身体なしで私たちは触れあえない。この身体によって誰かを好み、嫌う。逃れがたいこの身体を生きて、私たちはストレスと抑圧に押しつぶされ、挫折を味わい続ける。私たちは誰かに愛されなかった。ネガティブな機会は、私たちを研磨する。私たちは「顔に責任を持つ」ようになる。自分たちの限定性をやり過ごし、少しずつ引き受けることで生まれる、独特の美しさ、独特な格好良さがある。
アバターを用いてコミュニケートするメタバースでは、こうした諦めから生じる「美的な良さ」を見出すことは難しい。ここに、メタバースの逃避的側面がある。互いの生まれつきの身体を無視して、アバターを使って会話する。葛藤はなく、諦めはない。諦める必要はない。ゆえに、何かから逃げているのではないか? しかし、いったい何から?
メタバースに対する「逃避」の指摘は、メタバースの自由さと裏表の関係にある。メタバースは自由である。そこでは、自らの身体の限定性に縛られる必要はない。私にも自由な姿形で生きることへの憧れがなくはない。しかし、同時に、どこか軽薄にも見える。仮想空間に生きることへの違和が私にはある。両義的な感覚。人生の重責から開放された喜びと、何か重大な責任の抜け落ちが同時に生じているのではないか。このアンビバレンツは何だろうか? 私は彼らを道徳的になじりたいのだろうか? それとも––––?
この奇妙な疑念を捉える概念が「いき」である。本稿は「いき」とメタバースをめぐる美学である。

「メタバースは「いき」か?」77.

④キャラクタのおしゃれ|with Yuri Ridwan「エヴァンゲリオンをファッションから読み解く」(2021)

物語の中でファッションはどんな意味を持っているのだろうか? 物語から飛び出たキャラクタたちがまとうファッションはどんな価値を生み出すのか? 物語内外のキャラクタのおしゃれの意味を問う研究には、無数の未開拓地が拡がっている。


⑤おしゃれを定義する|「おしゃれの美学」(2019)

おしゃれとはそもそもどんな行為だろうか? おしゃれを定義することで、その特殊性が見えてくるだろうか? 意外にも未定義だったおしゃれを分析美学の方面から定義する試み。

◉概要
本稿は、ファッション研究、社会学、美学を手がかりに「おしゃれ」という行為を定義し、芸術的パフォーマンスの観点から特徴づけることを通じて、おしゃれの実践と鑑賞の構造を明らかにし、スタイルの概念から「自己表現」としてのおしゃれの意義を明示化する。
本稿では、おしゃれとは、あるひとがじしんを素材として、じしんがそうありたいと望む理想に基づき、それを装いを介して体現し、じしんの現れを、他者に評価される意図を伴って呈示するパフォーマンスであり、かつまた、「自己表現」的行為であることを示す。本稿の目的は、芸術的パフォーマンスとスタイルの視座からおしゃれを分析することで、おしゃれがもたらしうる価値を議論しうる理論的基盤をつくりだすことにある。

「おしゃれの美学」138.

⑥アバターを装う|「バーチャルYouTuberの三つの身体」(2018)

バーチャルYouTuberは、たんに中の人がキャラクタを演じているわけでもなく、かといって、中の人がそのままに表れ出ているわけでもない。キャラクタをまといながら、キャラクタという身体と中の人が重なり合いながら新しいペルソナを創り出す。おしゃれの一つのかたちかもしれない。

文責=難波優輝(なんばゆうき)

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