バーチャルYouTuberとはどんな労働か?:疲労するペルソナのおもちゃ的労働

ただ遊んでいるだけ?

バーチャルYouTuberはどのような種類の労働をしているのだろうか? 彼らはいっけんただ遊んでいるだけのようにみえる。YouTuberであれば、ふつうの人ができないようなふざけた企画を実行してみたり、バーチャルYouTuberであればもっぱらゲーム実況配信をしていたりしている。

しかし、彼らはしばしば疲れている。そのペルソナは疲れを隠しきれない。もし遊んでいるだけなら、疲れるということはない、疲れる前にやめられる。でも彼らは疲れても配信を止められない。それは配信が彼らの労働=仕事だからだ。では、彼らは配信という仕事の何に疲れるのだろうか?

そのもっとも目立つ理由の多くは、彼らへの心ない誹謗中傷であろう。彼らへの何らかの理由に基づいた悪意や敵対心に基づいて、彼らのキャラクターの名前を使って、そのキャラクターをまとう本人=中の人にまで貫通するような呪いがかけられる。

けれど、配信を眺めていると、もう少し違う側面が見えてくる。配信で彼らが苛立つのは、そうした明確な悪意ではない。そうではなく、視聴者による一見それほど加害的ではないコメントだ。ネタのしつこい反復やゲームプレイ中の指示するコメントや、他の配信者の名前を出したりなどのコメントに彼らは苛立ち、疲れる。

感情労働

ここで、感情労働という概念からバーチャルYouTuberの労働を分析することができるかもしれない。感情労働とはもともとはホックシールドが提案したもので、周囲の人々から見える表情や身体の動きを生み出すために感情を管理することで賃金を得る労働であると私は理解している(三橋 2006, 35)※1。

確かに、バーチャルYouTuberの労働は感情労働である。彼らは主にはアバターを介してではあれ、視聴者に向けて自らの表情や身体の動きを、しかも大げさな素振りをみせる必要がある。そして、その表情や身体の動きを生み出すためにはどうしても自らの感情を動かさざるを得ない。たとえば、笑いたくなくても笑わなければならないとき、笑う素振りをすることは、笑いの感情を意識的に呼び覚まそうと努力する必要がある。それは、自己の自然な感情のあり方を裏切るようなもので、自分自身を自分でモノのように扱ってコントロールする苦しさがあるだろう。

おもちゃ的労働

しかし、バーチャルYouTuberの疲れは、もう少し特殊な理由から生まれているように思う。それは、バーチャルYouTuberが、自らを視聴者のおもちゃとして提供することに由来する疲れである。

バーチャルYouTuberは、雑談を行う配信やゲーム実況を行う配信で、しばしば視聴者から馬鹿にされ、いじられる。「そんなこともできないのか」「ほんとにバカだな」など。視聴者側からすれば、それは愛のあるいじり、ということになろう。仲の良い人の失敗をあげつらうことで互いに笑い合おうとしているような態度に由来するのだろう。

対して、バーチャルYouTuberは応答する。そのペルソナのイメージにもよるが、反論したり、受け入れたり、困ってみたりする。それを見て視聴者は喜ぶ。「やっぱダメなやつだな」「おれたちは許すよ」など。

ここでバーチャルYouTuberが行っているのは、たしかに感情労働ではある。しかし、より正確に言えば、視聴者が遊んでもいい対象として自分を差し出し、視聴者のコメントに対して視聴者の予想にある程度合致する仕方で、しかし、ある程度は意外性をもたせるようなかたちで感情を表出したり反応する、定められたインタラクティブなプロトコルとして自らを管理している

これを、おもちゃ的労働と呼ぼう。おもちゃ的労働とは、周囲の人々がインタラクトするための表情や身体の動きを生み出すために感情・態度・存在のあり方を管理することで賃金を得る労働である。

「インターネットのおもちゃ」というスラングはことの次第を言い当てている。バーチャルYouTuberの労働の一つのやり方とは、おもちゃ的労働である。

『男たちの部屋』について

このおもちゃ的労働は、バーチャルYouTuberだけに見られるわけではない。近年の興味深い研究として、ファン・ユナ『男たちの部屋』がある。この著作においては、韓国の遊興店で、女性たちが男性の支配下のなかで、労働を強いられつつ、しかし男性たちは女性を完全にモノとしてコントロールしているというよりは、女性をおもちゃとしてコントロールしている様子が伝えられている、と理解できる(ファン 2023)。女性たちはおもちゃ的労働を強いられるようにデザインされた環境のなかで、男性がインタラクトし楽しむための労働を強いられることになっている。

おもちゃ的労働であるような労働がすべて倫理的に問題がある、とは考えていない。しかし、おもちゃ的労働の多くは、純粋にプロフェッショナルであることを求められる労働(たとえば、医師、兵士)とはまたかなり違った疲労をもたらす。しかもそれは、感情労働のなかでも特殊なタイプの疲労をもたらしているように思われる。

おもちゃ的労働概念を使って、バーチャルYouTuberの労働環境をより詳しく分析することや具体的な事例に即した研究が必要であるが、それは機会がめぐってくるときに行う。

※1 私はまだホックシールドを読めていないので孫引きである。

参考文献

三橋弘次. 2006. 感情労働の再考察 介護職を一例として. ソシオロジ, 51(1), 35-51.
ファン,ユナ. 2023. 男たちの部屋: 韓国の 「遊興店」 とホモソーシャルな欲望. 森田智惠訳.


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