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人生を駆動する欲望への接近

こんにちは。「人間が生きるためには、『金欲』『我欲』『開発欲』の駆動が必要条件、これは新しいマーケティングの基礎となる」。今回は、隔月刊『流通情報』の「視点」コーナーに掲載の論考を全文掲載します。

公益財団法人流通経済研究所 理事・名誉会長
株式会社コムテック22 代表取締役
上原 征彦

はじめに:本稿の位置づけ
 
最近、私は『欲望の生産性』(出版元:公益財団法人日本生産性本部)という本を上梓し、そこでは人間の欲望についての考察を試みている。本稿では、この私の著書の内容を踏まえながらも、できる限り新たな方向(大胆だと思われるかも知れないが、新たな理論的枠組みを構想していく方向)に論を進めてみたい。

欲望の研究について
 
私が学んできたマーケティング理論は、規範科学(目的科学とも呼び得る:山中.1969)に位置づけられ、主として、需要開拓の方法論を解明することを目的としている、と捉えることができる。ここでいう需要開拓は、需
要創造(自社固有の需要を新たにつくり出す)と需要奪取(競争相手から需要を奪い取る)の2つを含む(上原.2020)が、どちらも、人間の欲望とか欲求(本稿では欲求を欲望と同一概念と見做している)への刺激あるいは作動(働きかけ:作用)を抜きにしては、実現不可能なビジネス行為だといえる。
 欲望に本格的に踏み込んだ研究はそれほど多いとは言えないが、古典的かつ代表的な研究として、Murray(1938)による、欲望の種類を体系的に把握しようとした「欲求リスト」、Maslow(1958)による、欲望を低次から高次へと5段階に区分けした「欲求5段階説」がよく知られている。日本のマーケティング分野で、私が特に気付いたところでは、大友(2003、2004)がマーケティング戦略と欲望との関係を論じている他、明治学院大学博士課程にて市川寛子さんが欲望の研究に精力的に取り組んでいた。

本稿の問題意識
 さて、人間は、無限ともいえるほど多岐に渡る欲望(人間の感情の種類がほぼ無限に区分けできるのに応じて、欲望も多種多様に言い表すことができる)を生存のエネルギーとしながら、遭遇する社会に何とか対処しようとしている。つまり、様々な社会で生きるために、人間は、欲望の発動を調整していると同時に、各々の社会も、そうした様々な人間の欲望を包摂しつつ、人々を関係づけることによって、これを存立の基盤としている(真木.1977)。本稿では、社会と、その構成員たる人間の欲望とが、どのように関連かつ機能していくか、ということに配慮しながら、欲望の特性と機能を出来る限り明らかにしていくことを目指している。なお、ビジネスも本稿でいう社会の1つとして捉えられることに留意されたい。

自己生産性と欲望
 
人間は、システム理論でいうと、閉鎖システムに位置づけられ、インプット(システムへの刺激・作動)とアウトプット(システムから生み出される結果)との間に一定の関係を見出すことができない。言い換えれば、人間は、外部からの操作が困難な存在であり、状況へ自律的に対処しつつ、将来に向けての自らを創り上げていく、という意味で自己生産性(オートポイエーシス:autopoiesis)を色濃く兼ね備えている(西垣.2013)。私は、人間の欲望を、この自己生産性を駆動する精神的エネルギーとしてそれを位置付けている。身体的に丈夫な人間であっても、欲望が殆ど作動しない人間がいるとしたら、それは「生ける屍」でしかない、といって過言ではあるまい。

欲望の概念規定
 
ここで、欲望とは何か、その概念を定めておくと、それは「目的と手段を希求する人間的志向」と捉えることができる(上原.2023)。人間は、目的と手段を見出し、その実現を目指すことによって、行動を起こすことが可能となる。人間を除く動物も、目的と手段を得るために行動を起こしていると見做し得るが、その殆どは本能的あるいは無意識的に行なわれるものであって、目的と手段を意識的に見出し、これを生存のバネ(生きるための「意欲・熱意」を持つこと)とすることができるのは人間のみである。

欲望の3類型:我欲・金欲・開発欲
 
さて、欲望について、私なりの理論を展開してみたい。新たな理論、または未開発な領域(あるいは、これに近い領域)で理論を構築しようとする場合、研究対象の類型化から始めるのが常道的手段だとされてきている。
そこで、これに倣って、まず、欲望の類型化を試みておこう。
 人間は、食欲、性欲など、多かれ少なかれ、本能に関わるものから、愛欲、権力欲、出世欲など社会的なものまで、無限といえるほどの内容的広がりをもつ欲望に駆動されて生きている。私は、こうした膨大な種類に達する
欲望を類型化するために、それが志向する対象や内容等が、どの程度、特定化されているか、ということに着目してきた。
 上記を踏まえると、欲望を「我欲」「金欲」「開発欲」の3つに類型化できる(図表1)ことに気付いた。ここで、「我欲」は、内容が特化された個々の欲望を総称し、食欲、性欲、愛欲、権力欲など、実に多岐にわたる欲望を含む。次に、「金欲」は、金儲けを志向する欲望、言い換えれば、貨幣蓄積欲を指しており、その特徴は、いずれは我欲の達成にも役に立つ、という特定化の可能性を担保している、という点にある。最後に、「開発欲」は、「将来、何か新しいことをしたい」という欲望であって、特定化されていないが、人間の生きる意欲と熱意を誘発する機能を担っている。

欲望の発動時間
 
上記の類型化において、対象が特定化される欲望(その典型が「我欲」)ほど、欲望の生起から遂行までの時間(以降では、これを「発動時間」と呼ぶ)が短く、人間は、これに素早く対処するといえる(「『我欲』の例①:
腹がすいたので直ちに食事をとる」「『我欲』の例2:恋人に直ぐに会いたい」)。
 一方、対象が特定化されない欲望ほど、発動時間に多くをかけるようになる(「『金欲』の例:高級レストランに行きたいので金が欲しい」「『開発欲』の例:先輩が驚くような何かをしたい」)。つまり、あくまで相対的ではあるが、「我欲」は必需的かつ即自的に発動されるのに対し、「金欲」の発動には、より人間的な配慮が要請され、「開発欲」のそれは、より未来志向的な展望に誘発される。その意味で、「我欲」⇒「金欲」⇒「開発欲」という順に沿って、その発動に人間のより長期的な考慮が多く必要となってくる。これを敷衍すると、人間は、意識・無意識にかかわらず、日々の行動には「我欲」を、中期的な生活設計には「金欲」を、より長期的な人生展望に
は「開発欲」を発動する確率が高くなる、ということに気付くであろう。

金欲の特性:包括性・事前性・関係性
 
人間の優れた特性の1つとして、様々な社会(家族、地域、国家、交友、仕事などを基盤とする人間同士の繋がり)を形成、かつ、これに適応していく(必ずしも全てが成功裏に適応しているとは言い難いが、適応する方向が人間に課せられている、と考えるべきであろう)ことが指摘できる。私は、こうした人間の社会適応と、既述の欲望とがどう関連するか、ということに興味を抱いてきたが、この関連に最も強く作用しているのが「金欲」である、という結論を得ることができた。それは、金欲が、次のような幅広い特性を備えている(上原.2023)ことによると推察できる。
①  包括性:金があれば、他の多くの欲望を満たし得る
  例 )金があれば、旨い食事も、お洒落も、海外旅行もできる。
② 事前性:将来の欲望充足が可能になる
  例 )お金を貯めて、将来、海外留学の資金にしたい。
③  関係性:他人の欲望の充足に資して、良い関係を築ける
  例 )労働組合に資金援助をして、良い労使関係を築く。

欲望の概略史1:支配と欲望
 
古代でも貨幣経済が十分に発達していない時期までは、人間には「金欲」が知られておらず、また、狩猟・採取などで生活を営んでおり、技術も未熟であったため、「開発欲」も乏しく、おそらく、主として「我欲」が人間の生存を駆動していたと言えるであろう。
この時代において、我欲の氾濫を調整するための、何らかの社会的仕組みがない限り、部族内・部族間の争いは熾烈を極めたであろう。実際のところ、多くの歴史的文献をみても、闘争や殺戮は、現在と比べ、凄まじかったと推察できる。まさに、「万人の万人に対する闘争」(ホッブス. 1982-1992訳.水田)が生じても不思議ではない時代が続いたといえよう。歴史が始まってから暫くは、こうした「我欲」の調整を担ったのが権力者や権力階級による「強制と支配」の制度であった。すなわち、家父長制や専制君主制、宗教的戒律などを背景として、多くの厳しい規制や強制的権力によって我欲が管理されるのが当然とされ、この傾向は少なくとも中世を過ぎるまで持続されていた、と考えてよいだろう。また、「開発欲」の殆どは、支配階級の特権(たとえば領土の拡大、農地等の開発など)として位置づけられていた。

欲望の概略史2:金欲の台頭
 
しかしながら、貨幣経済が進むにつれ、上述とは別の傾向も進行してきた。すなわち、厳しい規制によって欲望を権力的に管理・統制する方向が弱められ、あらかじめ決められた社会システムの構成員としての人間が、当
該システムに違反しない限り、欲望を自律的に発動できる、という動きが強まり、これが現代の基本潮流となっている。こうした基本潮流の推進に比較的大きな影響を与えたのが、貨幣経済の進展を促してきた金欲の台頭である。既に指摘したように、金欲は、包括性・事前性・関係性という幅広い特性を保持しているため、多かれ少なかれ、他の欲望を代替できる機能を有し、これを活かすことによって欲望の調整が容易となる。

金欲と刻苦精励
 
ここで強調しておきたいことは、「金欲」は、それが達成されなければ、とくに現代(資本主義型市場経済)では殆ど機能しない、ということである。「金欲」を正当に達成するためには、相応の努力が必要であり、お金を多く得ようとすればするほど、刻苦精励が要請れることに留意すべきである。
 この点については、最近では、上原・中(2021)が験証を試みている。そこでは、今に名高い外食企業5社の創業者(「ロイヤル:江頭匡一」「すかいらーく:横川竟」「がんこ:小嶋淳司」「グリーンハウス:田沼文蔵」「吉野家:松田瑞穂」)について、起業の経緯と方針・行動、経営に関する戦略・戦術、日常のビジネス活動等の特徴を探り出している。
その結果、彼等は、それぞれ、強烈な個性を活かすことで成功したと言えるが、その背後には、並の人間では殆ど耐えることができないほどの労苦をビジネスのために使い切った、という事実を見出し得た。
 近年、若者でも投機や仲介等で儲ける(特に、インターネット等による情報の大量化・スピード化が株や債券等の取引の拡大に影響しているようである)事象が増えつつあることから、「簡単に儲ける」という気運も増勢される恐れもあるが、相応の利を得ようとすれば、かなりの知識の蓄積とそのための鍛錬が要請される。

金欲と禁欲:資本主義の駆動
 
より本質的に表現すると、「金欲」を達成するために努力することは、多かれ少なかれ、他の欲望を抑えねばならず、その意味では「金欲」の達成は禁欲を必須とする。社会経済学で大きな貢献をしたとされるヴェーバー(1989.訳.大塚)では、アメリカ独立宣言の起草に大きな役割を担ったベンジャミン・フランクリンをモデルとして、「禁欲と努力」が人間の能力と生活の向上を促す、ということが述べられている。やや大胆に解釈すると、
「金欲の達成には禁欲を伴う」、これが、アメリカ建国を促したピューリタンの信条でもあり、ヴェーバーが識別した「資本主義の精神」と呼び得る思想であった、と見做すことができるであろう。

人生における欲望の作動
 
人生を長いスパンで捉え、これを設計していくとき、欲望はどう作動するか。今まで述べきた3つの欲望類型の関連を考慮しつつ、このことに分析のメスを入れておこう。

 まず、我々が、これからの生涯をどう生きていくか、という点について何らかの展望を描かなければならない、という事態を想定してみよう。このとき、一般的には、「何か新たなことをしたいが、何をしたらよいか」という「開発欲」の駆動から始まり、これに基づき、「どんなことをしたいか、どれほどの金が必要か」ということに関して、多かれ少なかれ、生涯を展望した構想が機能しつつ、「金欲」そして「我欲」が発動される(図表2)。

実践的示唆1.欲望と購買行動
 
ここで、今まで論じてきた欲望の記述に基づき、かつ、私の実務家への提案経験を踏まえつつ、2つの実践的示唆を述べておこう(簡単に記すことに止める)。まず、顧客が商品を購入する場合、直接的には、「我欲」(食欲、飾欲、住欲……)の一部を満たそうとしているが、そこには、「金欲」「開発欲」が相互に関連しながら「我欲」に作用している、という点に注目すべきであろう。どの欲望類型が購買に強く影響しているか、ということが商品選択を左右する。たとえば、「金欲」が強く影響している人は価格志向、「開発欲」が強く作用している人は品質志向に偏り易いかもしれない。そして、「我欲」は衝動買いを促す効果を持つ。なお、新業態の効力を早め
に評価しようとするのは、「開発欲」が強い顧客だと推察できる。

実践的示唆2.欲望と人的能力
 
次に、私は、精神医学で名を馳せた古典的名著アリエティ(1980.訳.加藤・清水)からヒントを得て、現代的に評価され得る能力からみて、人間を「創人」(創造力に長けた人物:極めて少数)、「才人」(処理能力に長け
た上昇志向:高学歴を評価する傾向が強い)、「凡人」(出世よりも生活満足を志向:大多数がこのカテゴリーに含まれる)の3つに類型化している。
 上記の3類型と欲望との関連をみると、「創人:『開発欲』に集中(熱中)している」、「才人:『金欲』が強く、その達成に様々な努力する」、
「凡人:『我欲』の達成を望み、それに必要な『金欲』を満たそうとする」という推論が可能となる。このことから、創人と才人を的確に識別し、彼等を最適な部署に配置している企業ほど活性化しているという仮説も成り立つ。

〈参考文献〉
Maslow.A.(1958)A Dynamic Theory of Human Motivation, Howard Allen Publishers.
Murray.H.A. (1938)Explorations in Personality,Oxford University Press
上原征彦(2020)「需要創造の経済学・序説」『市場創造研究』Vol.9
上原征彦(2023)『欲望の生産性』生産性出版(日本生産性本部)
上原征彦・中麻弥美(2021)『日本におけるフードサービスの歴史的展望』江頭財団2020 研究助成
大友純(2003)「マーケティングにおける欲望分析序説」
『明大商学論叢』第85巻第4号
大友純(2004)「マーケティング戦略研究における欲望分析の重要性」]『明大商学論叢』第86巻第3号
西垣通(2013)『集合知とは何か』中公新書
真木悠介(1977)『現代社会の存立構造』筑摩書房
山中篤太郎(1969)『社会科学の基本問題』第三出版
アリエティ.S.(1980.訳:加藤正明・清水博之)『創造力:原初からの統合』新曜社
ヴェーバー.M(1989.訳:大塚久雄)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ホッブス(1982-1992.訳:水田洋)『リヴァイアサン1~4』岩波文庫

出所:『流通情報』2024年1月号「視点」より

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