見出し画像

「いかにして空白の哲学を生み出すのか?」【明け方のエコール特別編】(夜燈+小林@ソトのガクエン)(後編)

夜燈と小林(@ソトのガクエン)による哲学対話Podcast「明け方のエコール」特別編として、2023年11月8日に配信された第12回「空白の哲学を生み出す」を文字に書き起こしたものを公開いたします。こちらの後編では、創作活動と哲学について、なぜ書くのかということについてお話ししています。

前編はこちらからご覧ください。


創作活動と哲学の関係について

夜燈:では、「空白の哲学」については結構深められたと思うので、あのちょっと今回ね、マシュマロはいただけなかった関係で、特に無いので、ちょっと時間をたっぷり使って、リスナーさんからのリクエストというものを頂きまして、「詩や文章といった言語を使った創作活動哲学と創作活動の関係についてというお話をぜひしていただきたい」というふうなのをいただきました。なので、ちょっと私だけの話になっちゃうかもしれないので恐縮なんですけど、ちょっとしたいかな? というふうに思ってます。

小林:はい。

夜燈:まあ、私がやってることってそもそも詩だけの話じゃないんですよね。私自身がわかってないっていうか規定してないんですよね。最初はエッセイだと思い込んでたんですけど、どうも違うみたいだし、エッセイほど長くない文章だし、詩にしてはちょっと長いみたいな。そういう文章を書いている事に途中から気づきまして。

小林:うん

夜燈:どうもだから、名状しがたい何かをやっているっていうことになりまして、で、それをだんだんとこう自覚するようになってから楽になって、ああ、別に自分の活動について何かこう、なんだろう、規定しなくていいんだって思ってから楽になったんですよね。なんか、自分はこれを書いてますとか、例えば小説なら小説、随筆を書いてますとかっていうふうに言うのではなくて、別に私は表現者として何か書いてるんですっていうことにすればと言ったら失礼ですけど。まあ、そういうふうにしたほうがもっと自由に動けるんじゃないかっていうことに気づいた。

小林:なるほどね。

夜燈:なんかだから、まあ、それこそ未満ですよね。未満っていうか、その、なんだろう? マークする必要がない、あえてマークしないみたいな。

小林:逆にでも、なんか前の話からいうと、(マークしないことは)逆にしんどかったりもしますよね。

夜燈:まあそうですね、自分は何やってるんだろうって思う時も全然あるんですけど、何て言うかその「揺れ動く表現者」って、私は自分のこといってるんですけど、その揺れ動いているところがいいんじゃないかって思って。逆手にとって、じゃあもうこうなっちゃってるんだけど、もうそういうふうな様子を見せればいいじゃないって、自分が逡巡している様子とか、あがいてる様子とかを、もうそのまま載せちゃって見せちゃって。そうすれば、あ、この人もこんなにもがいてんだから、私ももがいててもよくね? みたいなふうに思ってもらえたら、もうまるもうけだなって思って。

小林:なるほどね。

夜燈:あの、もうやっちゃったんですよね。で途中から、そのまあ、そんなことに気づくもっと前の話なんですけど、結構前ですよね。もうだから二年、一年半ぐらい前のはずなんですけど、そのぐらいの時に哲学をふとおすすめされた時に、

小林:うん。

夜燈:あのまあ現象学に出会ったんですよね。なんで突然現象学なのか、私もわからないんですよ。なんか知らんけど、たまたま本棚に入ってたっていうか、自分が買った本が『ハイデガー拾い読み』って、あの木田元さんのね、安かったんですね。で、それを読んで。で、まあ学生時代にハイデガーとかは勉強したものの、あ、「そういえばハイデガーっていたわ」みたいな感じで。あ、じゃあ、この本面白そうだから買っちゃおうと思って。まあ、文庫本サイズだったんで買ったんですよね。薄かったんで、いいなと思って。で、ペラペラめくってたら、まずカテゴリー表が出てきたんです。

小林:ああ、カントの。

夜燈:はい、そう、カントの。で、え、何これ? と思って。哲学ってこんな難しいんじゃ、私無理じゃんと思ったんですけど、なんかそこから惹かれていって、いつのまにか私はカントの読書会なんかやったりとかしてね。

小林:そうですよね。

夜燈:そう。いつの間にかカントに見出されちゃってたんですよね。一時、カントは難しいって聞いてたから、じゃあカントを勉強してみようじゃないかみたいなことになってしまって、なんか、謎の攻略心みたいなものが出てきてしまって。まあ、ちょっと創作とは全く話はずれてしまうんですけど、まあそういう経緯があったんですよね。

小林:うん

夜燈:で、なんかでも、哲学と接していく、これも擬人化してますけど、哲学と接していくうちに、まあなんか、なんだろうな、なんか特別な。最初、『西洋哲学史』っていうね、あの岩崎武雄さんのやつを勉強したのが初めだったんですけど、それを勉強してからなんかどうもカントの部分が厚すぎるとか、そういうことをね、思ったりして(笑)

小林:(岩崎さん)専門やしね(笑)

夜燈:それ。専門だからえらいカントのところがすごいやんと思ってたんですけど。まあ、でも面白いなと思って。でも、あれはちょうどたしか実存主義のあたりまで書かれていて、そういう時代だったか、ちょっと書かれてなかった。まだそれこそ現代思想なんて網羅されてなかったので、別の本を買わなきゃななんて思ってたんですけど、まあ、そうこうしているうちに、どんどんこうTwitterでの活動が活発になっていきまして、仲間も増えて、それこそ読書会ができるぐらいの人脈というか、人々に囲まれることが幸いにもできたので、もう本当にいろんな方とお話させていただいたり、こうなんかちょっとしたまあ、いろいろ、なんだろうね。創作とも...、そう、「心の組成」っていう概念を私は打ち出していて、自分の操作っていうものが、傷ついた人の心を蘇らせることができるんじゃないかみたいな。まあ、ちょっとそういう感覚。まあ、要はケアとかそっちの方、ようは精神病理とか木村敏さんとかですよね。で、そういうあと、誰だっけ? ちょっと忘れちゃったんですけど、失念してしまったんですけど、まあ、そういういろんな概念、現象学も含めてですけど、いろんなものにアクセスできる概念なんじゃないかと思って。

小林:なるほど

夜燈:まあ、ちょっと未だにそこまで掘り下げられてないんですけど、まあ、いずれはそういった何かを打ち立ててできるようにしたいと思ってるんですよね。

小林:根本的なモチベーションですね。

夜燈:そうですね。そうそうそう。自分が何か哲学っていう、まあ自分にとって、まあなんだろう、欠かせないものを使って、まあ使うっていう表現はあまり好きじゃないですけれども、まあ何ていうか援用して、まあ、なんかこう力を借りて、私のやりたいことを実践できればいいなっていう。その人の心を救いたいというかね。

小林:なるほどね

夜燈:まあ、でも一つそこで、まあずっと自分の心の中に影を落としていることとして、自分がそうやって、あの、救いたいとかっていうその思いがまあなんかこうちょっと良くないんじゃないかと言う気持ちがあって、なんかちょっと横柄じゃないかとか。自分が救われる立場にあるっていうか、その救われるべき立場にある、今ケアされる立場にある人間が人をケアしようなんて、ちょっとおこがましいんじゃないかなっていう気もしているんですよね。

小林:へえ…、はいはいはい

夜燈:うん、だから難しいんですけど。でもまあ、ケアされている人間だからこそ見える世界っていうのもある。だからこそ「明け方のエコール」でもケアの話をけっこうするわけですよね。介護の話とかも全然しますし。だからこそ、そう、私の立場だからこそ見える世界、書けるものっていうものがあるっていうふうにずっと信じて筆を止めずに生きてきたわけなんですけど。うん、私にとってその創作も哲学も切り離せないものですし、もう人生と癒着しちゃってるものなので、もう、ちょっと剥ぎとれないんですよ。奪えないと思ってますし。哲学も頭の中に入ったものを奪えないって思ってるので、吸収したものはもう自分の身になりますし、そういったものが全てインプットしたものはすべてアウトプットに活かせると思ってるから。だからそういうことですよね。そこで私はその良いインプット方法見つけたというか、哲学ってどうしてもずっとこの明けエコでも本の話を続けてますけど、本がなければまあPDFでもいいですけど、本がなければ、文章がなければ、文字がなければ、活字がなければ成り立たない学問ですから

小林:なるほど、そうですね

夜燈:そう、だから私はまあ言葉にずっと魅了され続けていますし、言葉で魅了させ続けていると言っても過言ではないと思います。そう。まあ、今、noteのフォロワーさんはけっこう193人とかじゃない、そんなにない。まあ、それなりに173人、173人いらっしゃいますけど、まあ、そういう人たちの、なんていうんでしょうね、心を、助けられてたらなあと。

小林:そうですよね。うん、だし、そうそう、そういう人が一人でもいるんであればやるべきですよね。

夜燈:そうですね。もう本当にあのいつの間にか、それだけのフォロワー数いただけるようになって。最初、本当も20人いなくて、本当にしんどかった時期があったんですよ。でも、いつのまにかここまで大きくさせていただいて。本当に、あのう、いつも感謝ばっかりして、どうしたら恩返しできるかなとか、いろいろ考えて、まあ、私が書くことでしか恩返しできないと思ってるから、一生懸命毎月必ず一つは更新しようと努力して、忙しくても頑張って考えてってやってるんですけど、

小林:しかも、noteなんて、夜燈さん、文章一本でやってるわけですから。100%文章の力じゃないですか? 夜燈さんの文章の力でしょ? なんかね、炎上動画出してフォロワー集めてるわけじゃないじゃないですか。

夜燈:ないです

小林:やっぱりだから文章の力だしね。言語の力ですよね。それだけの人が見て、惹きつけることができるっていうのが。普通は出来ないですから。

夜燈:ありがとうございます。

小林:だからそれはやっぱりやった方がいいですよね。

夜燈:まあいろいろありますけど、なんとか筆を折らずに、もう二年以上経ってますから。この活動を始める前まで、物事が続いたためしがなくて、何ひとつうまくできなかったんですよ。でもここまで創作を辞めずにできたことっていうのは、私をすごく成長させてくれましたし、すごく自分に自信をくれたんですよね。

小林:そうですね。

夜燈:だから自分が創作をすることによって救われたんですよね。

小林:そうそう、だから、少なからず同じようにね、夜燈さんの文章で救われる人は居ますからね。別にね、表立ってその感想をいうとかね、言わないとかっていうのって

夜燈:それも結構悩みました。なかなか感想をいただけなかったとき、すごく悲しい気持ちになって。あと数字にこだわってしまったりとか、閲覧数とか見れるんですよ。それにこだわってしまって、全然更新が滞ってしまったりしたこともあって。でもそういったことをするたびにやっぱどうしても疲弊していく自分もいましたし、それよりも大事なものがある。ちょうど文フリにフリーペーパーを出したあたりから、言葉に出さない、ようは語りえぬ感想こそが価値のあるものなんじゃないかっていうふうに気づいたことがあって。だからその、自分の心の中だけ、見ておきたい特別な感情ってあるじゃないですか。それなんじゃないかなって。ポジティブシンキングですけど、それをすごく自分の中で強烈に刻み付けて、感想をもらえないのは大事にしてもらえてるからだと思って。

小林:そうですよ。そうそうそうそう。

夜燈:ちょっと勝手に自分でちょっとポジティブに考えて捉えて、ちょっと鼓舞しつつやるように、でも辞めたいとかっていうこと思ったことって不思議とないんですよね。やっぱそれってのはやっぱモチベーション、それだけ応援してくださる方とか、それこそまああのすごく優しい方々が感想をくれたりとかスキをしてくださったりだとか、いいねみたいな機能ですけどね、noteで言うところ。スキをしてくださったりとかするおかげで、ここまでやってこれたのかなって思ってますからね

小林:そうですよね。やっぱりまあ、表立って感想を言ってくれたり、リアクションをしてくれるのはね、非常に嬉しいけれど。そう、そういったことをせずに、大事に抱えてくれてるひとがいるっていうのは、これは本当に、そう信じてやるっていうのが大事ですもんね。だし、絶対、絶対居るしね。存在するしね。そう、その人たちのためにこう活動する。でもこれでも明け方のエコールも同じようなことは言ってますよね。端々でね、誰かのもとに届けばという気持ちでやっておりますし、必ず届いてると思ってしゃべってますからね、これはそうそう。何かをやっぱり作り出す時に、持っておかないといけない気持ちですね。

夜燈:間違いないと思います。だから、私はその、言葉っていうものの危険性とかも、もちろんその影の部分、私は影の部分を推してますけど、その、救うばっかりじゃないっていうのはもちろん知ってますし、人を殺し得ることもあるっていうことを知っている。殺されそうになった経験があるからこそ書ける文章だから活動できてきたと思ってるので。だからその言葉っていうものを軽視しないために、まあ、自分の活動の軌跡を残しておくことが、何というか、自分のための警鐘というか、警鐘を鳴らす、自分に対する見せしめみたいなところがあって。これだけ自分が書いてるんだから逃げられないぞとか、今逃げたらかっこ悪いとか、なんとか続けなきゃいけないとか、そういうなんて言うか、もう、それこそ、創作活動は特別なことではない。哲学と同様に創作活動は特別なことではなくて、もちろん特別な部分も多分にありますけど、まあ本当にかけがえのないものなので。これを手放してしまったら、もう私じゃなくなると思ってるんです。

小林:そうですね、うん。

夜燈:手放す時はもう夜燈でなくなるときだと思います。

小林:そうそう、続けることがやっぱり大事ですよね。うん、結局は続けたもん勝ちですからね。

夜燈:本当に、そうそう。だから創作活動と哲学の関係っていうことをすごく今回たくさんお話しさせていただきましたけれども、まあそれは少しでもね、あの拙い言葉で伝わってたらいいなと思うんですけど。

小林:そうですね。

夜燈:まあ、このような感じで、私と哲学と創作っていう三つのものの関係、あと、言語の大切さというか、言語っていうものは人を救いもすれば殺しもするっていうところをちょっと印象に残しておいて頂ければ。

小林:なるほど、いいですね。

夜燈:はい。うん、そうですね。まあ、私からはそのような感じなんですけど、

小林:それでも全然充分だと思います。もう本当に。夜燈さんの話でもうすべてをあの言い切ってると思います。

(完)



哲学者の読書会を開催するとともに、noteにてエッセイを精力的に発表している夜燈(よあかり)と、哲学を基礎から学ぶオンライン講座「ソトのガクエン」代表の小林卓也が、さまざまな話題についていっしょに語り合う場、「明け方のエコール」がひょんなことから始まりました。 講義でもなければ、哲学対話でもなく、ふたりの会話の中で生まれる哲学が誰かの下に届くことを願っています。

★夜燈(よあかり)
・note☞https://note.com/shiru_life

☆小林卓也(ソトのガクエン代表)
・ツイッター(現:X)☞⁠ https://x.com/dehors_org
・HP☞https://www.dehors-org.com/


◎過去のアーカイブはこちらからお聞きいただけます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?