岡林信康「わたしを断罪せよ」

昔の日本のフォークに興味が沸いたので、調べてみるとどうやら日本のフォークの原点は岡林信康の「わたしを断罪せよ」というアルバムらしい。

このアルバムは1969年にリリースされた岡林信康の最初のアルバムである。岡林信康という人は日本のフォークシンガーの元祖みたいだ。

「日本でいうボブディランは誰か?」と言われたらこの人なのかもしれない、今現在も活動しているらしい。

1969年にリリースされたこのアルバムは当時は画期的だった、なぜかというと殆どがアメリカのフォークソングのカバーで日本語で自作で歌う人いなかったからだ、とライナーノーツに書いてあったが。

とはいえ「わたしを断罪せよ」にはカバー曲も何曲かある、「ランブリングボーイ」「モズが枯木」「お父帰れや」「カムトゥマイベッド」「戦争の親玉」はカバーである。

どの曲もメッセージ性が強い、フォークというジャンルは本来言いたいことが先に表立ってあり、それをギターという楽器に載せる、というジャンルなのだろう。「ランブリングボーイ」「モズが枯れ木で」「お父帰れや」は「社会の底辺」として生きる者の嘆きや悲しさを歌っている(ような気がする)

「戦争の親玉」はボブディランの曲だが、こういった内容だったのか、直球のプロテストソングだ、やはり詩の内容は濃い、ここら辺はさすがボブディランである。

オリジナル曲で良かったのは「山谷ブルース」「手紙」「友よ」だ。

「山谷ブルース」では日雇い労働者のことを歌っているが、ギター一本でも強烈な曲だ、今現在でも日雇い労働者や派遣社員で先の見えない毎日を送っている人が多くいるだろうし、正社員でも責任ばかり押し付けられている「やってらんねぇ」と思っている人も多い。かなり昔の曲だが今現在でも通じる曲である。自分は正社員だが先は見えません(笑)

「手紙」もインパクトがある、おそらくこの詩の内容だと放送禁止だろう、差別は人間が持っている根元的な感情である。しかし差別という感情は昔の方が多かったと思う、「人種差別」は今現在では古臭い感情だと思うが自分にも「差別心」がないといえば嘘になる。

「友よ」が始まる前に岡林の声が入る

「自分の曲は暗い曲が多い、しかし今は明るい曲を歌っている気分ではない」という声だ。

この時代の若者は社会に問題提起し、学生運動をするのが当たり前だったから、明るい曲は歌えないということなのかもしれない。

とはいえ自分はこの時代に行われた学生運動に否定的である、自分が思うにこの時代に行われた学生運動というのは「ただのファッションの一部」だったと思っている、この話をすると音楽とは別の話になってしまうのでやめますが。

前の記事で書いたピンクフロイドもそうだが、この頃や70年代は暗い曲が多い、しかし80代は明るいイメージがある、日本ではアイドル全盛だったり、アメリカではヴァンヘイレンやLAメタル、マイケルジャクソンなど、70年代の「暗さ」はなくなった気がする。

「暗い曲」というとネガティヴに捉えてしまうかもしれないが自分は「暗い曲=深い」と思っている、明るい曲ももちろんいいが「深さ」は暗い曲よりはない、世の中気合いと根性だけではどうにもならない時もあるからだ、もちろんポジティブになることも重要だけれど。

メッセージソングといえば自分はボブディランはあまり聴いていない、英語が直接聴き取れないのが痛い、しかし自分がもし英語が分かれば絶対聴いていただろう、このアルバムを聴いて思ったのがやはり「昔のフォークは詩が面白い」ということだった。それはこの間聴いた井上陽水もそうだった。2023年現在ではあまり聴かれない世界観である。

「私を断罪せよ」というアルバムを初めて聴いたがかなり良かったです、「フォーク」というジャンルの手本かもしれない。

そして一応自分でも曲を書くがこのアルバムから学んだことは「歌詞に具体性を持たせると曲が面白くなる」ということだった。

1969年というとかなり昔のアルバムだがけっこう聴きやすいのは意外でした。

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