藤宮蒼一

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藤宮蒼一

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Glenn Gould「the sound of glenn gould」

ジャズを聴いてある程度年月が経ったが、クラシックはまだそんなに聴いていない、聴いたのは、ラフマニノフという人のピアノと現代音楽のシュトックハウゼンという人の音楽ぐらいだった。 ジャズはロックに近い部分があるが、クラシックを聴いているとやはり自分のような一般庶民には「お上品な音楽」という感じもする、何となく「育ちの良い、お金持ちが好むジャンル」というか…まあ自分の勝手なイメージですが。 クラシック界で成功するには並大抵の努力だけでなく音楽的な才能も必要なのだろう、例えばその中で更に抜きに出た人例えばグレングールドのような人はとんでもない才能を持った天才の1人なのかもしれない。 タワーレコードのクラシックコーナーに行くと、殆どの確率で彼の写真が飾ってある、なのでとりあえず聴いてみたという感じだったのだが、やはりクラシックというのはどこから入っていいのか分かりづらい。 自分が聴いたのは「the sound of glenn gould」というベスト盤で、膨大にある彼の音源から選りすぐったものだ、入門版とも言える。 どの作曲家の曲を演奏しているか名前を見ると…バッハやブラームス、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン、シベリウス、シュトラウス、などだ。 シベリウス、シュトラウスという名前は初めて知った、他の作曲家の名前はとりあえず聞いたことがある。 ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を弾いている、ビートルズの曲に「because」という曲があるが、この曲は「月光」をイメージして書いたという、とはいえ「月光」という曲をきっちり全て聴いたのは初めてだ。 この「月光」という曲はかなり自分のこの好みだ、悲しく、影がある、男女の別れ、という悲しさだけでなく、人生そのものの悲しさだろうか?この曲をイメージして曲を書いたら壮大なバラードが書けるかもしれない。 次のバッハの曲はピアノ協奏曲だが、この曲も壮大だが、クラシックの一つの特徴として、「哀愁、壮大」というのが、存在しているような気がする、自分は壮大で悲しい曲は当然好きなので、クラシックの多くの曲は自分と合うのかもしれない。 更に曲を聴き進めて行くと何やら聴いたことがある旋律が聴こえてきた、モーツァルトの「ピアノソナタ11番トルコ行進曲」この曲を聴いたことのない人はいないかもしれない、しかしクラシックド素人の自分はこの曲が、「トルコ行進曲」だという名前だということを初めて知ったのだった。 キャッチーなフレーズは確実に耳に残る、自分はピアノは弾けませんが、ピアノインストの定番だろうし、練習曲の定番なのかもしれない。 この先ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」やハイドンの「ピアノソナタ第61番」バッハの「ピアノ協奏曲第3番」などは「悲しさ」はあまり感じないむしろ「明るく軽快な感じ」がした。 しかしこれらの「軽快な曲」はピアノの曲はクラシックピアノをやる人は必ず通るのかもしれないが、聴いた感じどの曲も音符の数が多い、楽譜を観て1音1音間違えないで弾き通すのが大変なのは容易に想像がつく。 そしてスピードも速い、ギターで言うとテクニカルな速弾きが永遠に続く感じだ(それ以上かもしれないが)やはりクラシックの演奏家は技術的にはジャズの人より更に凄いと思う。 しかもただ楽譜通りに弾くだけでなく、「それ以上」のものを求められるのだからクラシックの大きなコンクールに出る人のプレッシャーが大きいのもなんとなく分かったりする、しかも沢山の聴取がいるだろうし。 …しかし動画はライヴ演奏に対して強い反発を抱いていた彼の発言、彼は1960年以降コンサートの数をどんどん減らすようになっていったらしい。 レコード通りに演奏するのが精一杯のコンサートに我慢できなくなったらしいが、自分には詳しくは分からない、1964年以降は完全にコンサートを辞めたという記述がある。 それ以降はレコーディングに重点を置くこととなる、1年で六点もの作品を発表したりしたが、レコーディング制作や編集作業、マイクロフォンの設置法、テープの継ぎ接ぎなどに関することまで自ら決断したらしい。 例えば彼は「音響のオーケストレーション」と呼んだ映画的な手法を使った、4組のマイクロフォンをそれぞれ異なる場所に設置して8トラックのテープに同時に録音する、その後編集とミキシングの過程で、それらの録音サウンドを組み合わせを様々に変化させることで、作品の構造を際立たせるというものだった。 これらの記述を読んで思い出したのはビートルズだ。 ライブ演奏を一切辞めレコーディング作業に重点を置き、スタジオで楽曲制作に時間を費やしたが、その時ビートルズが生み出した作品は音楽史の中で永遠に聴き継がれる作品群となった。 ビートルズのレコーディングも気の遠くなる作業だった一曲を完成させる為に長い時間を費やし、納得行くまで何十回もテイクも繰り返す。 まぁ詳しくは数あるビートルズの書籍を読んでください…話がビートルズになってしまったが。 しかしジャズとクラシックを同時に知ろうとするのは結構骨だったりする、ジャズもまだそこまで詳しいわけではないし。 時間も限られているのでどちらかに絞ろうかな、とか思ったりしたが、まぁ結局ジャンルごちゃ混ぜで気まぐれに聴き、そして書く感じになるだろうけど(笑)

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      Miles Davis「round about midnight」

      ジャズの一般的なイメージの一つとして「夜の都会の大人の」というイメージがあるかもしれないが、実はそのイメージを作り上げたのが、マイルスデイヴィスの「round about midnight 」だった。 一曲目の「round about midnight 」は渋い、かっこいい、いかにも皆んながイメージする「ジャズの音」かもしれない。 マイルスデイヴィスのトランペットは「卵の殻の上を歩くような緊張感のある音」と言われるが、この作品はまさしくそういったサウンドで、1音1音丁寧に音を選んで吹いている、「どう音を選んだらクールになるか」を。 この作品がリリースされる前マイルスは「ニューポートフェスティバル」に出演していた。 聴衆の中にいたCBS(Sony)のジャズ担当者であったジョージ・アヴァキャンはその演奏に感銘を受けマイルスと契約を結ぶ、それに伴って結成されたのが… ジョンコルトレーン(ts)レッドガーランド(p)ポールチェンバース(b)フィリージョージョーンズ(ds)だが、このコンボは50年代を代表する並びとなる。 この作品が発売されるとこれまでのマイルスの中では最も成功したものとなる、マイルスのトランペットは繊細でリリシズム溢れるもので、彼はジャズファンだけでなく、それ以外の一般の人にも注目されることとなる。 ジョンコルトレーンも参加しているが、ジョンコルトレーンとマイルスは同じ歳であったが、マイルスはコルトレーンのメンターでもあった。コルトレーンはまだ初のリーダーアルバムを出す前であったが、彼特有の「熱すぎる演奏」はまだなりを潜めているにしても良い演奏である。 この作品は「いかにもジャズらしい」作品で、初めてジャズを聴く人に向いていると思うが、しかしそれだけではない。 六曲目の「dear old Stockholm」はスウェーデンの民謡を元にした曲らしいが…なんというかこの作品に収録されている曲はどれもこれもセンスが良い、これらの曲を「ダサい」なんていう人間はおそらくいないと思う。 マイルスのジャズを聴いてまだ「ダサい」と思ったことはない「分かりづらい部分はあるが、やはりかっこいい」と思ってしまう。 マイルスが耳を塞いでサングラスをかけているジャケットもいい、ジャズの良さはその音楽の他にジャケットのセンスのよさにもある。 CBSと契約を結んだマイルスだったが、プレステッジとの契約が残っていた、それが俗に言う「マラソンセッション」であるが、これらの作品は全てハードバップ(というかジャズの)名盤だと思う。 マイルスは常に新しい音楽を聴き自分の作る音楽に取り入れようとする、フナンクシナトラ、ジミヘンドリックス、シュトックハウゼン、ジェイムズブラウン、スライザファミリーストーン… 80年代にシーンにカムバックした時はプリンスやマイケルジャクソンにも影響を受けていた、晩年のマイルスの音楽はサウンドが軽くポップな感じに聴こえるのは彼らに影響を受けていたからだろう。 マイルスが全く興味を持たなかったのはビートルズ、フリージャズだった、フリージャズに関しては「ただメチャクチャに演奏しているだけと」批判していた。 ビートルズの楽曲を取り入れたジャズミュージシャンは多い、しかしマイルスがビートルズに興味がなかったのは何故だろう?フナンクシナトラのような白人のポップスターに自己投影し、トランペットの音色まで変えた彼だったが。 この作品はフナンクシナトラの歌声に影響を受けたマイルスのトランペットが聴ける、1957年3月4日にリリースされたマイルスデイヴィスアコースティック期の名盤である。

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        John Coltrane「blue train」

        このアルバムはジョンコルトレーンがblue noteに唯一残したハードバップの名盤である。 ジャズ界ではあまりにも有名なアルバムな為「今更お前が書くなよ」と言われそうだが。  実はこのアルバムは自分が初めて聴いたジョンコルトレーンのアルバムだった、しかしいまいち良さが分からず、コルトレーンは長い間放ったらかしになっていた。 個人的にコルトレーンの良さというのは「熱く、泥臭く、激しい」部分であり、その中で「スピリチュアル」という思想を持った「至上の愛」などは自分にとって「コルトレーンかっこよくね?」と思わせるには十分な要素が存在していたのだった。 そこから他のアルバムを聴いたが、例えば「Africa/brass」や「coltrane」「interstellar space」などを聴くとロックからジャズに入った自分に取ってコルトレーンは「聴けるジャズ」となったのである。 「blue train」は当時の自分には何故しっくりこなかったのだろう?と考えると、音数が多いのはいいが、泥臭さがなく、無機質な演奏に聴こえたからかもしれない、クリーン過ぎるというか。 このアルバムに参加したトロンボーン奏者カーティス・フラーは 「この曲はえらい難しかったねぇ」 とコメントした。 何故難しかったかと言うと… 「コルトレーンはアルトサックスでE♯で作曲していた、しかしB♭楽器のトロンボーン奏者にはとても難しい、しかも長い、それに音楽自体が非常に変わっているように思えた」 …トロンボーンという楽器はトランペットのように三本のバルブを右指で調節したり、サックスのように両方の指でキーを押したりするのではなく、スライドを前後に動かして音程を変化させる。 その際、バイオリンと同じでフレットがないので、自分の勘でスライドを調整することとなる。 「ブルートレイン」の場合冒頭のフレーズはG→B♭→D→B♭→Cというメロディのため最後のCの音を出すにはスライドをめいいっぱい伸ばすことが必要となるから、トロンボーン奏者にとっては大変らしい。 「ブルートレイン」は1957年9月15日の昼間に録音された「I'm old fashioned」以外は全てコルトレーン自身のオリジナル曲である。 彼はアルトサックスを手にしていた時代からこの作品の構想を練っていた。 「ファイブスポット」というクラブに出演中にこのアルバムはレコーディングされたが、このクラブでの演奏が評判を呼んだのもあり、「ブルートレイン」がシングルカットされると、ラジオでも大きく取り上げられ、曲はヒットし、彼は多くの人に認知されたのだった。 「ブルートレイン」は「ハードバップ」の名盤だが、そもそもハードバップとはなんだろう? 「「ハードバップ」とは「ビバップ」を更に洗練させたもので、アドリブ中心のジャズから、アドリブ部分と全体のメロディのバランスが取れたもので、シンコペーションが多く、メリハリのある演奏が特徴である」 …と書いてあったが(笑) ジャズ初心者に立ちはだかるのはこういった専門用語である。 そして更に「どういう意味ですか?」と言いたくなったのが、「新主流派」という用語だ。 例えばジョンコルトレーンの「至上の愛」やハービーハンコックの「処女航海」は「新主流派」らしい。 「「新主流派」というのは今までハードバップがメインだったジャズが、マイルスデイヴィスが「kind of blue」で「モード」奏法を行い、他の多くのミュージシャンがそれを取り上げ、ハードバップ取って変わり「モード」が主流となりそれが「新主流派」と呼ばれた」 という意味の名称らしいが…(笑) 自分も「ハードバップ」や「新主流派」などの意味は曖昧なので気になった人は各々調べて欲しい。 しかしこういった専門用語を知らなくても聴いてよければそれで良い、「ブルートレイン」を再度聴いてみると、インスパルス時代と同じように「熱い演奏」は変わらないと思った。 そして何より単純に「かっこいい」。 他の作品を聴いて一周回って再度聴いてみると「やっぱりいいな」と思ってしまった(笑)昔聴いた時と感じ方が変わったのだろうか? 1960年代のジャズ喫茶ではコルトレーンが広く聴かれていたらしいが、それも分かる気がする。 この作品は1957年とかなり昔に録音されたものだが、これからジャズを聴こうとする人は必ず通る作品である。 動画は一曲目の「ブルートレイン」だけなので、機会があれば他の曲も是非。 参考文献は藤岡靖洋の「コルトレーンジャズの殉教者」

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          Blankey jet city「悪いひとたち」

          自分はかなりの音源を持っていて、正直「もう買う必要はない」というぐらい持っている。 そしてその中でインパクトを持った曲は沢山あるが、最もインパクトを持った曲の1つがブランキージェットシティの「悪いひとたち」だった。 この曲は浅井健一が作詞作曲したものではなく、作詞浅井健一、作曲照井利行である。 実はこの曲はメンバーがデヴィットボウイの「five years」にインスパイアされて書いた曲らしい、自分も「five years」という曲を聴いてみたが、似てる部分は殆ど見当たらなかった。 この曲は照井利行の書いたメロディも良いが、やはり浅井健一のとんでもない詩なのである、浅井健一は何に影響を受けてこの詩を書いたのだろう?それとも自分の内面に眠っているものを単に出しただけなのだろうか? イントロの美しいギターアルペジオとともにこの曲は始まる。 「悪いひとたちがやって来て、皆んなを殺した」 人の歴史は戦争の歴史でもある。 大航海時代にヨーロッパの人たちが香辛料を求めて海を渡り当時未開拓だったアメリカに降り立ちそこにいた先住民達を虐殺し、土地や食料を自分達のものにした過去がある、もちろんアメリカだけでなく、南米の先住民も虐殺された。 アフリカの黒人達は人間扱いされずに手錠をかけられ、奴隷として働かされた。 戦争は人殺しが合法化されるのだから恐ろしい、人は何故戦争をするか?大義名分を掲げ、さも正義を元に戦争を正当化しようとするが、実はその裏で武器を売り儲ける人間、企業が存在するのである。 日本も昔大義名分の下戦争をしていた、天皇陛下がどうのこうの言っていたが、結局、三井、三菱、住友、安田などの財閥の金儲けに過ぎなかったのだった。 第二次世界大戦や太平洋戦争の映像がyoutubeに載っかっている、原爆投下、沖縄戦、硫黄島の戦い、ガダルカナル島の戦い、バターン死の行進、神風特攻隊…映像を観ると「本当に狂ってるな」と思ったが、結局、金儲けの為にこれだけ悲惨な現実が起こったかと思うと、胸糞が悪くなるのである。 「戦争の黒幕は財閥にある」とされ、戦後アメリカは主要な財閥企業の株を没収したが、全てではなく、完全に「財閥解体」されたわけではなった、結局戦後も財閥企業が今も日本社会を形成していることに変わらず、日本を支配しているのは結局戦前の財閥だったりする。 「悪いひとたち」というのが、「金儲けの為に戦争を正当化する連中」と考えると、この曲はしっくりくる。 「残酷性が強ければ強い程、週刊誌は飛ぶように売れる」 自分は「週刊⚪︎⚪︎」みたいな雑誌は読んだことはおろか、見たこともない、他人のプライベートを覗き見て写真を撮ったり、嘘八百を並べて他人を中傷したりするような雑誌をわざわざ金を出して買う神経はない。 しかしこういった雑誌が今も店頭に並んでいるのは買う人がいるからだろうけど、わざわざこういった雑誌を買う人はどういう人なんだろうか? 国もこういった雑誌の規制はしないのだろうか?それとも何らかの理由で「できない」のか自分には分かりませんが。 自分の周りに読んでいる人はいないとは思うが…何故こういった雑誌が売れ、何の規制もなく、出版され続けているのか…不思議である。 この曲はあまりにも過激な為、インディーズでのリリースとなったが後3rdアルバム「cb.jim」に収録されるが、歌詞は一部修正してある。 音楽なんて個人の趣味嗜好によるところが大きいので「どれが良い音楽で悪い音楽か」なんて一概には言えないが、この曲が世間一般に認知されていないことを考えると、やはり音楽というのはセールスの良し悪しでは測れないのである。 たまに「再結成して欲しいバンド」みたいな企画をテレビでやっているが、ブランキーは当然入っていない、入っていなくても全然いいのだが、その順位を観たが、「世間は全然分かってないな」とも思ってしまった。 自分が音楽番組を観ないのは自分の音楽感と世間一般の音楽感が全くズレているからだ。 (地上波の)歌番組は全般嫌いだが、特に「歌うま選手権」的な番組が嫌いなのだが、飯時に見せられることがある、嫌とも言えずその中で飯を食うのが苦痛な時間なのである(笑) 何度も書いたがブランキージェットシティの「悪いひとたち」という曲は当時若かった自分には衝撃的な曲であった。

        Glenn Gould「the sound of glenn gould」

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          southern all stars 「chigasaki live 2023」

          自分はかなり長い間茅ヶ崎に住んでいる、かといって茅ヶ崎に思い入れはない、しかしサザンオールスターズのバンドマスターである、桑田佳祐氏は「茅ヶ崎」や「鎌倉」に思い入れがあり、「Kamakura 」というアルバムや「茅ヶ崎に背を向けて」などの曲があるくらい自分の出身地に思い入れがあるようだ。  今の若い人達は違うかもしれないが、自分ぐらいから後の世代の人にとって桑田佳祐という人は日本では最も知られたソングライターの1人だと思う。 バンドは2008年に一時期活動を停止するが、それ以前はバンドは最も勢いがあった、ただでさえミリオンセラーを連発していたのに更に「tsunami」でレコード大賞を取り、また桑田氏は更にソロ活動でも「白い恋人達」や「波乗りジョニー」などをヒットさせていた、そんな時期でもあった。 自分は他のバンドやアーティストでも音源を聴くばかりであまりライブには行かない、というか殆ど行かない、しかし唯一行ったライブは第1回のサザンオールスターズ茅ヶ崎ライブだった、それでもチケットを貰ったから行ったというのもある、しかし音楽そのものは勿論聴いていたが。 そしてバンドは茅ヶ崎野球場で2023年9月27日から4日コンサートを行った。 茅ヶ崎の野球場は1万8千人ぐらいのキャパでサザンにしては小さい、なのでチケットはすぐ完売したようだ、しかし各都道府県の映画館でもライブは上映され、結局20万人以上もの人を動員した結果になる。 サザンの茅ヶ崎のライブは3度目になる、自分の家は野球場の近くにあり、かなり近い場所でやっていたためか家にいても音は聴こえてきた。 自分はライブには行ってはいないが、ライブDVDを買って観たのが、これが良かった。 メンバーはかなり高齢なので桑田氏の声が出てないとか色々あるかと思ったが、そういうことは無かった、途中高音がキツそうな場面もあったが、それは誰にでもあることだ。 演奏もタイトで締まりがよく大人数のダンサーが現れ、花火などが打ち上げられ、「みんなのうた」では巨大な水鉄砲を噴射し、途中のmcでは観客を笑わせる演出で、ある意味「いつもサザン」であった、年齢による不安要素はなかった。 もちろん「マンピーのGスポット」でのハゲづらも忘れていない(笑) (DVDの)セットリストだが、代表的な曲はだいたいやってくれた、個人的には「moon light lover」「君だけに夢をもう一度」をやってくれたのが何気に嬉しかった、しかし「hotel pacific」や「涙の海で抱かれたい」「愛の言霊」などはやっていないが聴きたかった、勿論他にもやって欲しい曲はあったが。   しかし1番残念なのは「thunami」ができないことだ、確かに日本は島国であるが故に津波による災害が多い、こればっかりは仕方がないが、サザン屈指の名曲なだけやはり勿体ない、しかし「いとしのエリー」「真夏の果実」はやってくれた。 サザンというとこの二曲がしか知らないという人がいるが、そんな奴はコンサートに行かなくいい(笑) そして新曲の「盆切り恋歌」や「歌えニッポンの空」も過去の曲に比べ劣った感じもなく、昔の曲と遜色なく溶け込んでいる、特に「盆切り恋歌」はサザンの新しいアンセムにすらなりそうだ、ライブで改めて聴くとそんな気すらした、しかもこの曲は去年リリースされた曲である、凄い。 最後は「勝手にシンドバッド」だったが、最後に沢山のダンサーが入り混じり、花火が上がり、盛り上がって終わるのはサザンというバンドらしい。サザンに「暗」の部分は全くない(笑) 今回のライブDVDを観て思ったのが「ダレる」感じが全くなかったことだ、自分が殆ど知っている曲だったというのもあるが、テンポが良く、聴き飛ばすこともなく、あっという間に観て楽しめた、演出が上手いのかもしれない。 彼らはもう60代だが、まだこんなテンポよくライブができるんだな、と本当に関心してしまった。 茅ヶ崎でライブをやるのはこれが最後だろうか?しかし彼らも必ず解散する時が来る、年齢を考えるとその時は近いかもしれない。 今の10代から30代の人達には分からない感覚だと思うが、彼らは間違いなく日本のポップスシーンを引っ張って来たのである、前にも書いたが今の若い人にとっては「ユニクロのCMに出てくるおじさん達」程度かもしれないが(笑) 2024年現在、ヨルシカやyoasobi 、髭団やadoが日本の音楽のポップスシーンの中心にいるかもしれないが、サザンが日本のポップスシーンに与えた影響は彼らよりもっと巨大なものだ。 そしてこの間ブランキージェットシティの映画を観たがやはりサザンとブランキーは相容れない全く違うバンドであることは間違いない。 音楽性はもとよりブランキーにサザンのようなコメディ的な要素、パーティー的な要素、はどこにもない、性格的にもサザンのメンバーのような取っ付きやすいキャラクターではまったくない。 浅井健一は何かのインタビューで「サザンなんか聴いたこともない」と言っていたが、実際その通りだろう。 しかし自分にはどちらも捨てられない貴重なバンドなのである。 「ブランキージェットシティは一生聴き続けるバンド」と書いたが、しかしそれはサザンオールスターズも同じことが言える。 「一生聴き続けるバンド」の一つになると。 「chigasaki live 2023」を観て、改めて彼らの曲を聴きそんなことを思ったのだった。

          southern all stars 「chigasaki live 2023」

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          仕事と人生

          あまり声高に言うことではないが、自分は働いていない時期があった、大学を卒業した後の僅かな期間だが、どうして就職しなかったかと言うと、やりたい仕事が一つもなかったからだ。 他の人はやりたいことが無くても、「就職しなければならない」という一種の脅迫観念に突き動かされた部分があったのかもしれない。 自分が大学生ぐらいの時も「会社」という組織に対してテレビやネット、雑誌等のメディアからはの大概ネガティブな情報しか流れない、例えば「過労死」「過労自殺」「パワハラ」「長時間労働」「サービス残業」… やりたいこともないのにそんなヤバい集団に属す必要がどこにあるのだろう、とも思い、就職しなかったのである。 しかし当然「将来どうやって生活していくんだ」という話にならざるを得ない、確かに生活費は払わなくてはどうしようもないのは事実だ。 人間は他の動物とは違い、感情があるので何でもかんでも合理的に割り切れない部分がある、ロボットではないので、労働するにも何らかの動機づけが必要だったりする。 自分はロボットではないが、結局「生活費を稼ぐ為」に就職したのである。 そして実際就職し、働いてみるとメディアで流れていた会社組織のネガティブな情報と大差ないどころかそれ以上のものがあった。 細かい詳細を色々書くのはとりあえず無理だが、自分も下手をしたら訴えてもいいぐらいの目にあったことがある、そして今まで何人の人が辞めていっただろう、急に来なくなったバックレ型退職、1日で逃げるように辞めた人、辞める前に不満をぶちまけた人、ストレスで入院した人、最近も会社の中心にいた人が辞めたが、長時間のサービス残業が原因だった。 別にバックレて辞めてもいいと思う、そもそもあの会社自体にモラルがないのだ(笑) 現在人員が少なくなっているので残された自分は大変になるが、こんな環境の中で文句言わずに約15年も働いている自分に「どうでもいい奴」みたいな扱いしないで少しは敬意を払ったらどうだろう(笑) そして今でも会社に行く前の朝というのは気分が悪い、鬱鬱とした気分になる、悪いことが起こることは頻繁にあるが、良いことは何一つないことが分かっているから、嫌でもそういった気分になるのだと思う、15年以上働いているが、会社に行く前は大概そんな気分になる。 しかしそんな中でsnsを初めたが、自分はsnsをやろうと思わなかったが、堀江貴文氏の本を読んでやろうと思った経緯がある。 彼は 「他人の目を気にせずにやりたいことをやろう、そうすれば人生豊かになる」 と簡単に一言でいうとそういったことが書いてあった。 とはいえ彼の考え方は極論が多い、同意できないことも多かった為、現在彼の本は自分は全く読んでいない、がしかし彼の本を読んでsnsをやって自分は良かったと思っている。 もちろん自分のsnsを多くの人が観ているという話では全然ない、今の数字じゃ殆ど自己満足だろう、しかし観ている人が少なかろうが、自分の内面がある程度満足できたことが重要だったりする。 自分は会社の仕事に手は抜いていないが、やはり仕事をしていてもどこか空虚な感じは否めない、やりたい仕事ではないのは仕方ないが、どこか音楽で飯が食えるのが1番良いと思っているところがあるからかもしれない。 多くの人が「会社」という組織に嫌でも属さなければならならず人生の大半をそこで過ごすのだから、属している会社の環境がどれだけ満足できるかで人生が決まるといっても過言ではないと思う。 「会社」という組織でやりがいを持って毎日過ごせるのならそれに越したことはないが…そんな人は少数派だろう、アンケート取ったわけではないが。 動画の話は彼がパン工場でバイトをしていた時の話だが、この話だけは何度聴いても興味深い。

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          Blankey Jet City 「vanishing point」

          ブランキージェットシティが解散したのは2000年、その13年後に最後のツアーのドキュメンタリー映画「vanishing point」を自分は映画では観ていないが、DVDが出たその日買って直ぐに観た覚えがある。 彼らの目標はとにかく「かっこいい音楽がやりたい」それだけだが、「かっこいい音楽」といっても人によって様々だが、ブランキーの音楽性は主にダークで退廃的な世界観とギター、ベース、ドラムが剥き出しのストレートなサウンドだが、他のバンドとの大きな違いはやはり浅井健一の独特な詩であることは何度か書いた。 ブランキーの解散話はメンバー間でしばしばあったらしく、「skunk」リリース後にもあったみたいだが、しかし「解散してどうするんだ」という話になり、結局は10年の活動となる、こういった音楽性だとメンバーが直ぐにぶつかり解散してしまうような気がするが、意外と長く続いたような気がする。 3人の見た目はかなり強面だが、ステージのパフォーマンスとは違い普段は穏やかな人達だったりする。 「herlem jets」リリース後解散が決まり、最後のツアーが始まる。 しばらくはツアーは順調で上手く進行するのだが、ツアーの中盤あたりから演奏の歯車が合わなくなる。 ライブバンドとしては最強の彼らのはずだが、解散が決まったからといって手を抜くようなことはあるわけがないにしても、どうも3人の呼吸が合わない。 楽屋に帰ったメンバーだが、明らかに空気が悪い。 照井「ベースどんな位置にある?それすらも分からんのだわ」 浅井「言ってることは分かるよ、達也のドラムが前に出ると、ベースの音が消えちゃうんだわ」 照井「悔いのないライブがやりたいんだわ、毎回」 浅井「達也の調子も悪いんだと思う、しゃーない」 こんなやりとりがあり、3人の呼吸を合わせようとし、次のライブを行うが、やはり彼らの調子は戻らない。 照井「たまにはがっちり固まろう」 中村「俺は気持ちいいと思ったけど」 浅井「あまり全体的に合ってない」 照井「セッション辞めようか?」 浅井「やる気分じゃないでしょ」 照井「恥さらすようなもんだ」 メンバーの演奏力の高さは誰も疑いの余地はないと思うし、今までずっとそうだったはずだが…何故演奏が合わなくなってしまったのだろう?そしてまた次のライブ終了後、やりとりは続く。 浅井「考えても答えがない、思いっきりやるしかない」 照井「分かるけど、3人が一つの方向に動かすことはできると思うんだわ、今までやってきたブランキーのノリってあるじゃん?走り出したら止まらないっていうのが俺らのビートだと思うんだわ、だけどそれをやってないと思うんだわ」 中村「俺は今日ニュアンスを意識した演奏をしていると思ってるんだわ」 浅井「そうじゃない方が良かったと思う」 照井「別に完璧な演奏なんか求めてないんだわ、俺たち自身弾けてれば、客もそれで納得してくれると思うんだわ、俺たちが弾けてなければ「ブランキーどうしちゃたんだよ」ってなると思う」 浅井「みんなストレスは同じだけある、皆んなでゴキゲンに行ってない限りは同じじゃん、頑張ってやろうよ」 今までこういった感じに調子が悪い時があったのだろうか?やはり解散が決まりメンバー各々ブランキーより別の所に意識が向いてしまったのだろうか? …しかし何故か彼らはこの会話を境に調子をとり戻す。 演奏がガッチリ合いメンバーにも笑顔が戻る(良かった) やはり調子が良い時の彼らは素晴らしいし、かっこいい、自分も映像を観ていて「これだよ、これ!」と1人で勝手に思ってしまった(笑) そして本来の調子を取り戻したまま、横浜アリーナでツアーを終える、最後の曲は「baby baby」だった、最終日の横浜アリーナのライブは確実にライブアルバムの名盤だと思う(本当の最後はフジロックだが) このドキュメンタリーで印象に残ったのは照井利行だった、多分、彼の言葉でメンバーは覚醒して本来の調子を取り戻したのだと思う。 ベースもドラムを凄いに決まっているが、やはり1番凄いのは浅井健一だと思う、浅井健一のギターリフ、ソロはかなり難しい、しかも歌と同士にあの難しいギタープレイをするのは殆ど超人だと思う、実際彼のプレイをコピーしようとした人は分かると思うが、なかなか歌と指の動きがシンクロできないのだ。 自分のように簡単なコードを弾き語っているのとはわけが違うのである(笑) 自分はブランキー解散後のメンバーの曲をしばらくは聴いていたが、今は全く聴いていない、悪いとは言わないが、ブランキーほどの曲があるとは思えないからだ。 バンド解散後、メンバーあまりブランキーのことを話さない。例えば照井利行の現在たまに更新しているブログを読むとブランキーのメンバーだったことやその音楽性について否定的に捉えているようにすら思える。  しかし自分はブランキージェットシティの音楽は一生聴き続けると思う。 年齢とともに聴かなくなった音楽や「なんで昔あんなに聴いていたのだろう?」と思うようなバンドや音楽ももちろんある。 彼らの曲にミリオンセラーになるような曲はない、歌が上手いわけでも、特別ルックスが良いわけでもない、東京ドームを満員にできるわけでもない。 しかしなぜかは上手く説明できないが、その音楽を聞き返すと「なぜ自分は音楽を好きになったのか?」必ずその理由を思い出させてくれる、特別なバンドなのである。 バンドが解散して24年、このドキュメンタリー映画からもう13年が経つが、日本で大きなインパクトを受けたバンドは自分は彼らが最後になるかもしれない。

          Blankey Jet City 「vanishing point」

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          Charles Mingus「直立猿人」

          自分が勝手に思っていることだが1番音楽を熱心に聴く年齢は10代20代で、そこから就職したり結婚したり、ましてや子供できたりすると、更に仕事中心の人生になり、巷で流れているヒット曲をYouTubeで見たり聴いたりする程度になるのではないか。 自分は一応就職はしているが、結婚はしていない、「結婚は人生の墓場」というのは言い過ぎかと思うが、結婚し子供ができたりすると余計に会社組織にベッタリになり、型にハマり、つまらない人間になる気がしてしまうように感じる、自分が家族を持たないのはそういった理由もある。 次第に音楽が個人の中で重要でなくなっていく中で、例えば歌のないジャズはどれくらいの人に聴かれているのだろう、更に例えばジョンコルトレーンなどの重いジャズ、そしてチャールズミンガスの(邦題)「直立猿人」などの作品は更に少ないことは想像に難しくない。 自分は特殊な人間なのでこういった作品にも自分からアクセスし、聴きにいくけれど(笑)勿論ジャズの中ではよく知られた名盤であるが。 曲のタイトルは… 1.直立猿人 2.霧深き日 3.ジャッキーの肖像 4.ラヴチャント メンバーは チャールスミンガス(b)ジャッキーマクリーン(as)jrモンテローズ(ts)マル・ウォルドロン(p)ウィリージョーンズ(ds) 「直立猿人」にはどういう意味が込められているのだろう?「進化」「優越感」「衰退」「滅亡」の4部構成らしい、詩がないが演奏の中に人類社会を風刺した意味合いが込められているようで、そういったことでもジャズの中では高い評価を受けたようだ、またタイトルの通り、猿が立ち上がり人間に進化する過程を描いたものを演奏で表現した、とも言われる。 「霧深き日」では街の警笛やサイレン、喧騒や自動車のクラクション音、鍵を落とした音など細かい演出が入っていて面白い、1956年の作品なのでジャズでは初めての試みだと思う。 「ジャッキーの肖像」ではチャールスミンガスだけでなくアルト、テナーの演奏も渋くて良い、スピードは遅いが1音1音きっちりと聴かせてくれる感じがする、アルトとテナーの違いに迷ったが(笑)、音の高い方がアルトです、この演奏良い。 「ラブチャント」では最初の重苦しい曲から開放され、メンバーが変わる変わるソロを取る、全ての演奏が良い、ジャズスタンダード的な展開である、メンバー全員が自由な感じで伸び伸びプレイしている感が伝わって来る。 …しかしタイトルといい、街の雑踏の音を入れたりする感じや曲に小難しい思想をブチこんだところはある意味ではプレグレッシブロックの先駆けのような気もする。 ピンクフロイドの「狂気」にはそういった演出が多く見受けられる、時計の音、心臓の鼓動、笑い声、コインの音、爆発音…ピンクフロイドのメンバーはこの作品の影響を受けたかどうかは自分は知りませんが、「直立猿人」はその元祖かもしれない。 この作品は難解だと言われる、しかし自分は後期コルトレーンやオーネットコールマンのようなハードコアなジャズはむしろ大歓迎なのだったりする、しかしジャズ歴の浅い自分でも逆に分かりやすい作品だったような。 とりあえず「ジャズの名盤」の定番的な作品の中では良かったと思う、当然ベーシストは必聴。 そして動画は「直立猿人」という東京の蒲田にあるジャズ喫茶のものだが、店主はこの作品ははあまり好きではなかったが、店をやる際に聴いてみたら好きになったらしいまた、ビルエヴァンスも好きみたいだ。 前の店主が高齢で辞めたので、「店を継いで欲しい」と肉親でないのに頼まれたらしいが、羨ましい。 自分がジャズ喫茶をやってくれって頼まれたら? 今の会社速攻で辞めるので自分にやらせて下さい。 …いやマジで(笑)

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          amazarashi「僕が死のうと思ったのは」

          前にも書いたが自分は音楽番組は全く見ていない、もう何十年もチャートすら見ていないが、しかし例えばスマホをいじっているだけでも何が売れているのかはだいたい分かったりする、自分から情報を入れようとするわけではないけれど、自動的に情報が入って来てしまうのである。 それにしてもアイドルやダンスグループが異常に多い、自分が若い時にも存在していたし、別に存在していてもいいのだが、最近はあまりにも多い気がする。 そして自分は過去、主に日本、イギリス、アメリカのポップスやロックを聴きすぎていて、音源も沢山持っているので「これ以上新しいバンドを聴く必要はないだろう」とも思っていた、もはやどれもこれも同じだろうと、それがジャズやクラシックを聴こうと思った理由の一つでもあった。 そういうこともあり、最近若い人が聴いているポップスやロックにはあまり詳しくはない、noteに色々書いているが、かなり保守的な人間でもある。 ヨルシカ、ミセスグリーンアップル、キングギニュー、eve、マカロニえんぴつ…??分かりません(笑) …がしかし自分のライブ配信に来てくれる(超)貴重な人がきっかけでamazarashiというバンドを知り「僕が死のうと思ったのは」を聴いたのだが、詩の世界感の危なさに惹きつけられた。 明らかに流行的なものと程遠い、大人数のダンスグループの明るい曲を歌ったものが多い現代では時代に逆行しているとさえ言える。 amazarasiを聴いて思ったのは初期の井上陽水や岡林信康、高田渡、森田童子などの70年代フォークだ。暗く、泥臭い、人生の悲しさを寂しさを歌っているが、amazarasiはさらにそれを全面に押し出しているような感じだった。 「僕が死のうと思ったのは、心が空っぽになったから」 人間日々生きていると後悔や失敗、場合によっては死にたくなるくらい嫌なこともあるかもしれない、勿論いいこともあるが…いや人生は良いことよりも悪いことの方が多いかもしれない。人間はそれでも生きなければならないのだろうか?こういった問いに答えはない、「考えないこと」が答えだったりする。 「終わりはどうせ酷いものさ」 と歌っているが、金持っていても、持っていなくても、偉くても、偉くなくても、人間いつかは皆んな死ぬのである、地球上の歴史の中で1人が生きる年月なんて殆どが100年以下で、死後1000年も経てば誰もあなたを覚えていないだろう。  どんな金や地位があっても最後は酷い死に方をした人は沢山いると思うし、金持っていようが貧乏だろうが悩みは誰だってあるわけだし、人の人生なんてそう大差はない気がする。 「終わりはどうせ酷いものさ」というか、「終わりは誰でも同じ」だったりする。 「あなたのような人が生まれた世界が少し好きになったよ」 とはいえ世の中絶望だけではない、具体的に自分は何をしている時が楽しいのか、幸せは日常の些細なことだったりする、自分の内面に素直になれば、何に喜びを見出せるか、気付くと思う。 …始めからやりきれなさが募る曲長だが、最後に「期待している」と歌い、意外と「絶望」がテーマではなく、「希望」がテーマなのかもしれない、作曲した秋田さんのインタビューは読んだことがないので分かりませんが、自分は勝手にそう解釈したのだった。 そして更に思い出したのはブランキージェットシティの楽曲だ、ブランキー(浅井健一)の書く詩は、絶望的でありながら儚くそれでいて繊細、かつ文学的要素もあり、amazarashiと似ている部分はあるかもしれない。 自分が若い時ブランキージェットシティに入れ込んだ理由は流行的どころか90年代ではかなり浮いていたがサウンドも詩の世界感も凄いものがあった。「悪い人たち」「鉄の月」「不良の森」「脱落」「円を描く時」「ディズニーランドへ」「冬のセーター」… ブランキーを初めて聴いた時の衝撃はちょっと言葉に表せないぐらいだった。 …しかしamazarashiはギター、ベース、ドラムが全面に出ているわけではなく、絶望的ではあるが、ブランキーのようにヒリヒリした感じはない、やはり70年代フォークに近い気がした。 シングルやアルバムもかなりリリースしており、他の曲はまだ聴いていないので判断が早すぎですが(間違っている部分もあるかもしれませんが) 時代に逆行しているなどと書いたが、再生回数やチャンネル登録者の数を見る限りかなり多くの人に聴かれているし、色々な人がカバーしているようなので時代と逆行も何もないのだが。 ごちゃごちゃ色々書きましたが「僕が死のうと思ったのは」という曲を聴く限り、面白い曲を作るバンドだな、と単純に思ったのである。

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          Bill evans「at the montex jazz festival」

          ビルエヴァンスというと「waltz for debby」のようなリリカルで繊細なプレイをイメージするが、このライブアルバムではそう言った彼のイメージとは少し違う、スピーディーかつスリリングな面を垣間見ることができる。 このライブアルバムは通称「お城のエヴァンス」と言われ、スイスのモントルージャズフェスティバルで1968年6月15日に録音されたものである。 メンバーはビルエヴァンス(p)エディゴメス(b)ジャックデジョネット(ds)。 自分が初めて聴いたビルエヴァンスのライブアルバムが「tokyo concert」であったが、こちらのライブアルバムもリリカルなプレイもありつつスリリングなフレーズもあり、やはりライブとなるといつもとは違う面が出るのだろうか。 「one for helen」ではフランス語の「ミダンモザレルミシュー」に始まるメンバー紹介から始まる、このアナウンスが個人的には好きだ、ピアノのフレーズはいきなり速い。 「nardis」は途中ドラムソロがかっこいいが、ジャズとクラシックの明確な違いはドラムがないことが挙げられる、ドラムがある分ロックに近い部分があり、どちらかというとクラシックよりは自分はジャズの方が入りやすかった。 このドラムソロはかっこいい、途中ベースソロも入るが…ウッドベースというのを一度触ってみたい、かなり難しそうだが、イントロのメロディも良い、自分はこの曲がこのライブアルバムでは1番好きかもしれない。 「porgy」「touch your lips」始めはクラシックっぽいが、途中リズムが跳ねたりするやはりジャズだなとも思わせる、ビルエヴァンスは「ピアノの詩人」と言われる、分かりやすくも、どこか深く、様々な顔を持つジャズピアニストである。 「someday my prince will come」「walkin up 」では速いフレーズを弾きまくる、例えばバドパウエルはピアノのビバッパーで音数が多い、なんとなくパウエル風かもしれないが、また違う。自分はロックギターの速弾きはかなり聴いた、しかしギターだろうがピアノだろうが、「速弾き」を聴くのはどのジャンルでも楽しい。 しかしロックギターの速弾きというのは「多少間違えてもいいんじゃね」的なノリもあるし、ペンタトニックスケールも多い、しかしビルエヴァンスのように難しい理論を踏まえながら整然と速弾きをするのは凄い、ここがロックとの違いか。 …そして自分が勝手に思っていることだが、ジャズを聴く人でビルエヴァンスが嫌いな人っているのだろうか? コルトレーンやマイルスは途中から音楽性が変わり、マイルスにいたってはその変わりようから「ジャズ界の裏切りもの」とさえ言われた。 後期のコルトレーンやエレキ化したマイルスは苦手だ、とかあるかもしれないが、ビルエヴァンスは音楽性が大きく変わったわけではない、ある意味ジャズ界では万人受け間違いない人なのかもしれない。 自分も「ジャズを聴く」という意味では今まで聴いたビルエヴァンスの作品にハズレはない。 ジャズはマイルスではなくビルエヴァンスの作品さえあれば良いという人もいるかもしれない、自分はそういうわけではないけれど例えばの話ですが。 そしてこのライブアルバムもかっこいいです。レーベルはヴァーヴだが、ジャケットの写真も良い。 自分はレコードで音楽を聴いたことはないが、こう言った作品をレコードで聴くのもオシャレでいいかもしれない。

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          Eminem「The Eminem Show」

          マイルスデイヴィス最後の作品が「ドゥーバップ」という作品でこの作品ではラップを取り入れ、イージーモービーというラッパーが参加し、ラップ入りの楽曲が聴ける、最後まで音楽的進化をやめなかったマイルスらしい作品となった。 しかし自分はラップというジャンルに偏見があった。 楽器も使わない、歌ってるんだか喋っているんだかよく分からない、やたらノリが軽い、サウンドも打ち込みが多く、音がペラペラというイメージがあった。 自分が初めてラップを聴いたのはレイジアゲインストザマシーンの「battle of los angeles」という作品でこの作品を聴きラップのイメージが変わったのである、そして「ラップというのはこんなにかっこいいものだったのか」とも思ったのだった。 レイジアゲインストザマシーンは「ラップメタル」というジャンルでギター、ベース、ドラムが全面に表れていて純粋なラップ作品とはまた違う部分があるのだが、同じ時期に活動していたリンプビズキットは軽いノリのラップが多くあまり好きになれなかった。 今はありとあらゆるところでラップは存在しているが、自分の若い時はラップというジャンルはそこまで普及していなかったが、アメリカではラップがかなり勢いがあり、日本にもその影響が現れていた時期でもあった。 そして当時その中心にいたのがエミネムというラッパーだった、フジロックフェスティバルにも出演したことがあってジェイソンの仮面を被り、チェーンソーを持っていた記憶がある(笑) その全盛期にリリースされた作品が「The Eminem Show」という作品だった。 自分があまり好きではないラップはノリの軽いパーティー色の強いラップだ、だがこの作品の内容はかなりハードだ。 アメリカに対する怒り、自身の生まれや親に対する怒り(特に母親との関係は悪かったらしく、度々曲の中で母親を批判している)他ドラッグ、警察、銃社会、売れたが故に生まれた悩み…だが思ったのはアフガニスタンなどの名前が出てくるが政治的な内容はない。 あくまで彼本人のパーソナルな思いがリリックになっている、マライヤキャリーやエルビスプレスリー、リンプビズキットなどを皮肉ったり、固有名詞が出てきて面白い。 このアルバムがリリースされたのが2002年でアメリカではこの年最も売れた作品となった、詩の内容がハードだが、ジャンル的に歪んだギターやバシバシなるドラムもなく、ある程度「サビ」的なメロディもあり聴きやすかったりする。 自分はラップをそこまで聴く人間ではないが、この作品はラップ、ヒップポップの名盤と言って間違いないと思う。 …動画はエミネムの伝記映画「8マイル」の一部である、工場で働く貧困層だと思うが、このような情景は昔の話でなく現在でも似たようなものである。 マイクロソフト、アップル、アマゾン、アルファベット…巨大多国籍企業の時価総額は東南アジアやアフリカの国の国家予算をも上回る、しかしその影ではいくら働いても貧困から抜け出せない層が確実に存在するのである。 これらの企業は全てアメリカの企業だが、アメリカでは新自由主義(ネオリベラルズム)の中にあり中間層が没落し、貧富の差が拡大していた、彼(エミネム)もその中にいたと思うが。 多くの人は生活に不満があると思うが、ラップと言うのはその吐口になるものなのかもしれない。 ラップに高価な楽器を買う必要はない、必要なのは自分の声だけだ、エミネムにとってラップは成り上がるための手段だったのかもしれない。 彼は幼い頃から転校を繰り返し、いじめにあったり、ラップに生きがいを見出すも黒人だらけのラッパーばかりで相手にもされず、仕事も上手くいかずクビになったり、作品も全く売れず、精神的に追い詰められ自殺も考えた時期もあったそうだ。 結局彼は成功し「アメリカンドリーム」を手に入れたわけだが、「楽曲を盗まれた」と裁判を起こされたり、昔のいじめっ子から「曲で中傷された」と訴えられたり、「歌詞に問題がある」とされアメリカのシークレットサービスに捜査されたりと、成功した後もサバイバルが続く男である。 ラップにジャズやクラシックのような高度な演奏技術は存在しない。 しかし「聴き手に言いたいことを伝える」という意味ではラップの方が優れているかもしれない、実際この作品の和訳を見るとロックやポップスよりもリリック(詩)の内容は密度が高い。 まぁ自分がラップをやるとかそういう話ではありませんが。

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          Charlie Parker「on dial vol1」

          チャーリーパーカーが現れるまで、ジャズはスイングジャズが主流だったが、彼は今までになかったジャズ「ビバップ」を生み出す、しかし彼が何に影響を受けてどうしてこういった奏法を初めたのか、明確には分かっていない。 マイルスが例えば「モード」などの奏法を初めた理由やきっかけは明確に分かっている、しかし「ビバップ」の起源はチャーリーパーカーだということだけだ(色々説はあるが) 「ビバップ」は当時音楽(ジャズ)として認められてはいなかった、「チャイニーズミュージック」つまり「訳の分からない音楽」と言われた。 チャーリーパーカーという人は無茶苦茶な人で酒や麻薬に溺れて兵役からも弾かれ、不良達の頭だったらしい、金欲しさに当時同居していたマイルスの服を質に入れたりしていたらしい。 逆にそういった破天荒な人物だったから新しいものを生み出したのかもしれない。 「既存のルールなんか知ったことじゃない」 と …試しにビバップというのをギターで弾いてみようしたのだが、ポップスで使うコードも使うにしても、普段あまり使わない複雑なコードを使い、それが目まぐるしく変わり、それに合わせてアドリブを取って行くという形になる。 運指がメチャクチャ速い、メタルにはギターバトルがあるが、これもバトル的要素が強い、1940年代にこんなことをやっていたのかと軽いカルチャーショックを受けたが、自分にはとりあえず弾くのは無理でした(当たり前だ) チャーリーパーカーに憧れていたマイルスだが黒人同士争うビバップのテクニックと速弾きの嵐についていけなかったそうだが、確かにありえない話ではない。 チャーリーパーカーの作品は音源をかき集めたものだけで、デモ的要素が強く、音質もあまり良くない、自分が聴いたのは「on dial vol 1」というものだった。 この作品はジャズ喫茶いーぐるの店主、後藤さんがジャズの良さが分からないのにジャズ喫茶を初めて不安にかられ… 「この作品を聴いて良さが分からなかったら店を畳もう」 と思い、良さが分かるまで閉店後に聴きまくっていた作品だった(笑) 何度も聴いているうちに良さが分かるようになったらしい。 自分はジャズ喫茶をやっているわけではないのでそこまで不安にはならないが、自分も最初良いとは思わなかったが、「ビバップ」というジャンルがどういうものか、説明を読むと良さが分かったような気がする(何となくだが) チャーリーパーカーという人はかなり昔の人だし、ちゃんとした音源が少ない、とはいえ自分が聴いたのはこの作品だけなので、詳しくどうのこうの言えないが、寄せ集めの音源だけでちゃんとした作品を残さなかったのが痛い。 日本にビバップを現代に蘇らせた矢野沙織さんという女性がいる、自分より若い人だがこの人の作品を聴くとよりビバップというものが分かるかも? …関係ないが最近ジャズを聴いて思ったのがジャズという音楽は「何度も聴かなきゃ良さが分からない」という時点で、ポップスしか聴かない一般の人をかなり遠ざけていると思う、ジャズを聴く人が少ないのはここが原因だと思う。 自分のような特殊な音楽リスナーはそんなにいないだろうし。 たまたま聴いたジャズの作品が一度聴いてつまらなければその時点で大概の人はジャズとおさらばすることになるからだ。 ジャズは聴く方も根気が必要だったりする。 そういえばこの間ジャズ喫茶に行ったらレディオヘッドの曲をカバーした演奏が流れたが(exit music)一体誰の演奏だろう…

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          Oasis 「definitely maybe」から30年

          自分は曲を書いているが、自分の書いた詩でよく使うワードが「永遠に生きる」とか「生き続ける」という詩を気がつくとよく使っている。 「自分が曲を書くきっかけになったバンドがオアシスだった」と昔の記事でも何度か書いたことがあるが、オアシスの「リヴフォーエバー」を特別意識して曲を書いたわけではない。 しかしこの曲は何度も聴いたからか意識せずとも自分ので中に擦り込まれていたのかもしれない、人間は「どう生きるか、どう生きれば自分自身満足できるか?」は永遠のテーマである。 そしてその名曲「リヴフォーエバー」が収録されているオアシスのファーストアルバム「definitely maybe」がリリースされて30年になるという。 オアシスは今はもう死語となった「セックス、ドラッグ、ロックンロール」地で行くバンドであった、音楽そのものも良かったが、ステージの上でロングヘアーで、派手でケバケバしい衣装を着た80代LAメタルとは違っていた。 LAメタルの音楽そのものは嫌いではない、しかしあのファッションだけは我慢できなかった。オアシスはジャージやパーカーなどの普段着でステージで演奏していた、それがかっこよく見えたストーンローゼズの影響もあるのだろう。 洋楽というと今まではハードロックやメタルなどギターリフやソロが目立つバンドばかり聴いていた。 しかし彼らはあくまで「曲」そのものを重視していたノエルギャガーは「俺はギタリストではなくあくまでソングライターだ、大事なのはまず曲そのものだなんだ」と言っていた。 オアシスは「クールブリタニア」を掲げ、ビートルズやザ・フーやキンクス、ローリングストーンズ、セックスピストルズ、ストーンローゼズ、ポールウェラーなど伝統的なイギリスのロックから影響を受けている。 「definitely maybe」はその影響を感じる、メロディはビートルズ、歪んだギターはピストルズ、グルーヴはストーンローゼズを感じたりする…確かにビートルズもそうだが、収録されている曲を聴くとサウンドはかなり荒々しい、セックスピストルズに近いかもしれない、もちろん詩の内容は全く違うが。 ギャラガー兄弟は労働者階級出身ということもあり、「definitely maybe」では「自分が労働者階級であること」を歌った曲が多い、労働者階級とは低賃金の肉体労働や工場や工事現場の日雇い作業員などを指す。 ジョンレノンに「労働者階級の英雄」という曲があるが、しかしジョンレノンは裕福な家系で実際は労働者階級ではなかった。 「一生退屈な労働者なんか御免だ」 「働く価値のない仕事に何を見出せってんだ?」 「唯一価値のあるものは酒とタバコぐらいなもの」 といった内容の詩が見られたりする。 しかし彼らは労働者階級からの脱出に成功する、アランマッギーという男に見出されクリエーションレコードというレーベルに所属する。 更にギャラガー兄弟のインタビューでの過激な発言やノエルの楽曲の良さ、もちろん絶え間ないツアーの努力もあったのだろう、デビューアルバム「definitely maybe」はチャート1位となる。 「rockn’n roll star」「shaker maker」「supersonic」「live forever」…などオアシスの代表曲が収録されている。 客が殆どいない平日昼間のライブハウスで「今夜俺はロックンロールスターだ」と歌い、失笑を買っていたが、数年後、曲の通り彼らは本当にロックスターになってしまったのである。 オアシスが現れたのはニルヴァーナが「自分が嫌で死にたい」と歌っていたその後だった。 例えば「リヴフォーエバー」はニルヴァーナ(カートコバーン)の暗く、重い楽曲へのアンチテーゼ的な意味合いもあったのかもしれない。 「ニルヴァーナは自分が嫌で死にたいなんて言っていたが冗談じゃない、俺は失業手当てを受けていた時も、朝目が覚めて生きていられるのは最高だと思っていた」 「definitely maybe」の楽曲群を聴くと 「世の中クソなことも多い、だが俺はいつでも前を向いて生きてやる」 とそんな風にも聴こえたりするのである、かといってやたらと「希望」ばかりを強調しているわけでもない、そこが良かったりする。 「definitely maybe」はイギリスギターロックの名盤であり、今後も多くの人々に聴かれることになるのは間違いない。 …がしかしオアシスというバンドはさらに巨大化する、2ndアルバム「morning glory」はイギリスの音楽史上に残る歴史的名盤といえる内容で、彼らはイギリスのみならず世界中でブレイクすることとなる。 彼らは文字通り「労働者階級の英雄」となったのである。

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          Metallica「S&M」

          メタリカは1991年に「Metallica」通称「ブラックアルバム」をリリースして、世界的な大成功を収める、そして続く「road」「reroad」も本国アメリカだけでなく世界中のチャートで一位を収める。 従来のスラッシュメタルのリスナーからは批判を食らった部分もありスレイヤーからは「メタリカは死んだ」とさえ言われたが、しかしこの時期にメタリカはメタルしか聴かないコアなファン以外からも受け入れられることとなった。 そして彼らは「メタル」の枠に収まらずにオーケストラとの共演を果たす、とはいえメタルやハードロックはわりとオーケストラとの共演は珍しくはない。 ディープパープルのリッチーブラックモアやイングヴェイマルムスティーンはクラシックの影響を受けているのは有名な話だし、ドリームシアターもオーケストラとのライブアルバムを残している、更にクラシック特有の壮大で悪魔的な曲調はメタルに通じるものがある。 サンフランシスコ交響楽団との共演、指揮者はマイケル・ケイメン、多くの有名なハリウッド映画音楽を手掛けた人で、デビットボウイやエリッククラプトンのレコーディングにも参加したことがあるらしい。 オープニングSEの「the ecstasy of gold」はイタリアの作曲家エンリオモリコーネという人の曲らしいメタリカのライブでは毎回ライブ開始前にかかっている曲、オーケストラとの相性は抜群である。 3曲目の「master of papers」は何度も聴いた。このコンサートのハイライトでもあるし、この曲がオーケストラと絡むとメチャクチャかっこいい、文句なしである。メタル、スラッシュメタルの名曲「メタルマスター収録」 「fuel」「the memory remains」はメタルというよりスタンダードなロックに近いが、オーケストラと絡むとまた違った曲に生まれ変わる、良い感じだ。「reroad」収録 「one」はメタリカ屈指の名曲だ、戦争で手足を失った男を題材にしたものだが、プロモーションクリップを観ると映画「ジョニーは戦場に行った」の映像が随所に入る、強烈な曲、強烈な詩 強烈なプロモ映像、演奏の難易度も高い、特にジェームズ凄い、ラーズのドラムもだが、この曲がオーケストラと合わないわけがない、最高。「メタルジャスティス」収録 「enter sandman」からメタリカはスラッシュメタルではなくなった、ギターリフや曲構成もシンプルになった、「ブラックアルバム」はアメリカではグランジやオルタナティブの台頭があり、その流れを感じたメンバーがスラッシュメタルの脱却を初めたのである。「メタリカ」収録 「battery」はスラッシュメタルの代名詞である、ギターリフ、スピードもそうだが、この曲を聴いてメタルを聴くようになった人も多いかもしれない「メタルマスター」収録 メタリカの曲はオーケストラと合うような気がする、がしかし「fade to black」「unforgiven」はどうしてもオーケストラと合わずに断念したらしい。   しかし「road」「reload」からの曲は少しダレる感がある。 とはいえそれを踏まえても良いライブアルバムであることに変わりはない。 …自分にとってメタリカというのは不思議なバンドでもある、現在でも莫大なセールスを上げているが「road」「reload 」以降の作品は正直そこまで良いとは思わなかったりする。 最後にまともに聴いたのは「st.anger」なのでそれ以降のメタリカはまだ評価できませんが。 聴いたのはルーリードとの共作「IuIu」だが、聴いたら「なんでこんなもん出しちゃったんだ」と思ってしまった。Amazonのレビューをみると自分と同じ感想の人が多くて驚いたが(笑) 評論家という人達は建前上「メタリカだから誉めなければならない」的な空気はあるが、割と雑誌のレビューよりAmazonのレビューというか(一般の人)の感想の方があてになったりする。 どちらかと言えばこの間のメガデスの新譜は良かったし、少し前に解散してしまったスレイヤーの方がやはり良いと思う。 自分が1番聴いた作品は結局「ride the rightning」とこのライブアルバムだった、メタルとオーケストラとの共演し、失敗しなかった良いライブアルバムだと思う。 しかしロックバンド+オーケストラとなると、どうしてもオーケストラがバンドのバック的な扱いになってしまう気がする。 オーケストラというのはロックバンドよりももっと奥の深いものので、オーケストラはオーケストラで別に聴いた方が良いと思う。 その後メタリカは更にまたオーケストラとの共演を行い「s&m2」をリリースしたがこちらは聴いてません。 世界各地の3000館で同時上映されたらしい。

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          slayer「reign in blood」

          ジャズ界の帝王がマイルスデイヴィスならメタル界の帝王はスレイヤーである。  スレイヤーというバンドの存在を決定づけたのは3rdアルバムの「reign in blood」であった。 メタルバンドをやっていてこのアルバムの存在を知らない人はいないだろう、スラッシュメタル、ブラックメタル、メタルコア…メタルというジャンルを実際やろうと思ったら必ず通ると思う…というかエクストリームミュージックを対象とする全てだと思う。 一曲目の「angel of death」からラストの「rain in blood」まで聴きてを飽きさせることなく突き進む。そしてジャケットのアートワークもさることながら、その内容もかなりヤバく歌っている(叫んでいる)内容はシリアルキラー、犯罪、戦争、虐殺、自殺…(笑)それを更にスピードを最大限に上げ演奏をする。 自分が聴いて来た作品の中で最も暗く激しい思ったのがkornのファーストアルバム「korn」だったが、どちらがインパクトがあるかと言われるとスピードがある分、「reign in blood」になるかもしれない。 これだけゴリゴリのメタルにも関わらず、プロデューサーが、当時ビースティーボーイズやLLクールズJなどのヒップポップを手掛けていたリックルービンだった。 当時デフジャムレコードというのはメタルとは遠い存在にあったが、スレイヤーサイドもよく彼を承認したなぁ、と思ってしまったが…しかし結果この作品は生涯に渡って聴かれるメタルの名盤となり、スレイヤーというバンドを世に知らしめることとなった。 続く「south of heaven 」や「season in the abbeys」はスピードを落とした曲があるにしても、メタルの名盤であることに変わりはない、がしかしどれか一枚挙げろと言われたら殆どの人が「reign in blood」になるのかもしれない。 「メタルは死んだ」と言われた90年代、多くのメタルバンドは髪を切り、音楽性を変えざるを得ない状況となった。 だが彼らにとってはどこ吹く風かと言わんばかりの究極のラウドメタルを展開し続けた、ひょっとしたら彼らの登場はニルヴァーナやkorn、パンテラ以上のインパクトがあったのではないか。 更に2000年代に入るとスリップノットのような新しいエクストリームメタルが現れたが、メンバーが多いし、ギターソロや印象的なギターリフはあまりない、4人で勝負しているという点を鑑みてやはりスレイヤーの方が凄いと思ってしまう。 1983年から2019年の解散まで彼らの音楽的な勢いは全く衰えず、メタリカやメガデスは音楽性を変えた時期もあるが、スレイヤーに限っては全く変えることがなかった。爆音で死や戦争を破壊、シリアルキラー、アンチキリスト歌い一般市民には全く受け付けない(笑)硬質なヘヴィメタルを終始貫いていた。 しかしギタリストのジェフハイネマンが死去し、ヴォーカルのトムアラヤが身体的に限界を感じたのもあり、2019年に解散。 彼らのようなバンドが30年以上の長期に渡ってさしたるメンバーチェンジもなく(ドラムだけ出たり入ったりはあったが)コンスタントにアルバムを出し活動していたことがある意味では奇跡だったのかもしれない。 ジャズの世界でマイルスデイヴィスの影響を受けていないミュージシャンはいないように、メタル界で現在一線で活動しているバンドでスレイヤーに影響を受けていないバンドはいないと言って良いと思う。 その事実がスレイヤーがメタル界の「帝王」と言われる所以だったりする。

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          自分が10代20代、30代前半までは犬を見ても何とも思わなかったが、歳のせいか犬が可愛いいと思えてきた(遅い) 彼ら(犬)が見て思ったことがある。 彼らは 「無条件に生きている」 ということだ。 人間は「人生このままでいいのか?」とかだとか「もっとやるべきことがあるのではないか?」「進むべき方向が間違っていないだろうか?」「もっと金が必要」だとか「もっと偉くなりたい」とか「あれが欲しいこれが欲しい」などと考えてしまう。 自分は動画やライブ配信をやっているが、「誰も見なくても、誰も来なくても、趣味でやってるんだからそれでいいだろう」と割り切れれば良いのだが、なかなかそうもいかない。 自分ぐらいの再生回数や「いいね」の数、またライブ配信に来る人数(誰も来ない時もある)だと、やはり「やる意味があるのだろうか?」などといちいち考えてしまうのである。 動画は例えば休みの日にスタジオに行って予約したり、わざわざ機材を持っていったり時間を合わせなければならない、さらに編集もあるし、スタジオ代もかかる、大してだれも見ないことが分かっているから作業中に時々「何でこんなことやってるんだっけ?」と思ったりする(最近動画をやっていないのはそういった理由である) まあ見られていないのはnoteも同じだが… またライブ配信をやると夜遅くなるので多少睡眠時間を削ることになる、勿論早く寝たい時もあるが、そういった状況で1人も来ないとこちらも同じような気分になったりする。 人間はなまじっか頭が良いから色々と余計なことを考えてしまう。 自分は趣味でも「これをやって意味があるのかないのか?」「何か将来につながるのか」などいちいち考えてしまう癖がある、「単純に楽しいから」でいいはずだが… とはいえ「自分がやりたかったことはなんだっだけ?」とじっくり考えてみると、結局いつも「そういえば音楽やりたかったんだ」という結論に辿り着く、「やりたいことをやらないで何の為の人生なのだろうか?」とも思ってしまう。 自分に家族はいないが、結婚して子供ができるとまた違う感覚になるのかもしれない、自分の会社の人間はゴルフやギャンブルをやっている人が多いが、自分はゴルフやギャンブルをやろうとはどうしても思わない、「ゴルフなんか上手くなってどうすんだ」などと思ってしまう(やっている人を否定している訳ではありません) 自分ぐらいの年齢だと1番仕事に熱意を持って取り組む歳であるが…役職も高くなりそうもないので必要以上のことをやるつもりはないし、モチベーションも上がらないのである。 そして動画のモチベーションも下がってきている、なんとなく色々と限界が見えてきたからだ。 多くの人に見られるような努力をしたのか?と言われれば確かにそこまではしてないかもしれないが、日中働いているのであまり大したことができないのが現状である。 そんなこと言いながら動画やライブ配信、noteも辞めることはありませんが(どっちなんだ) 動画やライブ配信をやっていて1番嬉しかったことは自分の曲をピアノで弾いてくれた方がいたことだった。動画で残っているが(その節はありがとうございました)これは本当に嬉しかったです。 それにしても動画のペキニーズ…可愛すぎる、犬の良さというのは、損得感情や他人を陥れたりするような感情がなく、純粋なところではないか。 昔は凶暴な犬が多かったが、今の犬は野生味がなくおとなしい犬が多くなった気がする。 今は状況的に飼えませんが、自分が老人になったら飼うかもしれません。

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