『お洒落な喫茶店で珈琲の写真を撮るも、つい食べ物がメインになってしまう現象』に名前を付けてほしい
いや私だけかもしれないが。
先日、喫茶店に行ったときの写真を見てほしい。
このザマである。
勿論、ナポレオンパイが好きで、メニューを見て喜び、いそいそと注文したという背景は大いに影響しているが──私が撮ろうとしたのは珈琲である。
それがまるで主役に添えられたバイプレイヤーかのように、背景のように溶け込んでいる。
素敵なコーヒーカップに注がれた、挽きたての豆を丁寧にハンドドリップしたこの店イチオシの、店の名前まで冠された「ラミルブレンド」が、だ。
有り体に言って、ピンボケしている。
私が店主なら、(あーインスタ映えを狙って来た客ね。いるいる)なんて、生暖かい眼差しを送っているところだ。
だがもう一度言わせてほしい。
このとき私が撮ろうとしたのは──珈琲なのである。
ところで、夏前に撮ったこちらの写真も見てほしい。
なんてザマだ。
見切れるどころか、もはや珈琲の影さえ感じられない。
言い訳させてほしい。この日は四月にも関わらず急な夏日で、暑さに慣れない身体を引きずるように階段を上がり入店した。
ホットコーヒーとちょっと口直し程度の甘いものを頼むつもりが、メニューに載っていた「アイスカタラーナ」の文字に目が吸い寄せられ、ぼんやりとした頭でついつい注文してしまっても仕方がないことだろう。
これは店員が頬を火照らせ席についた私の様子を見越して、珈琲よりもより早くお出ししてくださった、有難いアイスカタラーナなのだ。
この後にカウンター越しの目の前で、氷の入ったグラスをカラカラと回しながらドリップ(冷たい珈琲ってこうやって淹れるんですね。唐突に科学の実験が始まったのかと思った)されたアイス珈琲が席に届き、すっきりとした爽やかな酸味のある珈琲と甘いアイスカタラーナのマリアージュに舌鼓を打って、いくらか頭の回転が戻ったときに思い出す。
──私、珈琲を撮ろうと思ってた来たよね、と。
すでに目の前には残り数センチの塊になったアイスカタラーナと、グラスの半分ほどしか入っていない飲みかけの珈琲しかない。
時間は通常、不可逆なのだ。
悔いたところでもう元の完璧な構図のアイスカタラーナとアイス珈琲は戻りはしない。
次こそはしっかりと珈琲をメインに撮ろう。
そう自らを納得させ、残りのアイスカタラーナと珈琲を腹落ちさせ、店を出た。
だが、本当に珈琲をメインで撮れる日はやって来るのだろうか?
スマホのカメラロールに収められた、もはや『美味しいデザート(珈琲を添えて)』状態となってしまった写真の数々を見ながら思うのだ。
──この現象に誰か名前を付けてくれないか、と。
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