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何者になりたい

・お相撲さん
・サッカー選手
・漫才師
・プロゴルファー

小さい頃に持っていた将来の夢だ。
保育園や小学校ではよく将来の夢を聞かれる。そして、誰もが皆なんの疑いもなく将来の夢を答える。

大人になった今、夢は何かと聞かれる機会はほとんどなくなり、また、聞かれたとしても何と答えようか迷う自分がいる。

小さいころから夢を持つことは良いことという暗黙の了解のもとで育ってきたため、明確な夢のない現状の自分に情けなさや苛立ちを覚えることがしばしば。

そりゃそうよ、子どもの頃の夢と大人の夢はまったく別やもん、と内心思う。子どもから大人になるにつれて、"現実的な"という暗黙の言葉が隠された夢に変化する。

この"現実的な"という言葉を紐解く。

冒頭にあげた子どもの頃の夢をかなえるにはどうすれば良いか。(細かいことはいろいろあるだろうが、)夢の向かって、努力する、練習する、勉強するなど。

一方で、大人の夢をかなえるにはどうしたら良いだろうか。自分の得意な分野で起業したい、海外を股にかけるような仕事がしたいなど。これらをかなえるためには、何をする必要があるか。それはもう、いろいろありすぎて一概には言えない。専門知識から人間関係、語学、経済などなど限りない。

上手く説明することを一旦諦めて、言いたいことは以下の通り。
子どもの頃の夢は、夢に向かって一直線。
大人の夢への道は超曲線(とでも対応付けて言っておこうか)。

どちらの夢をとっても、夢に向かって行動することはすばらしいことだと思う。ただ、私は極端な一直線派である。子どもの頃から天気が好きで、大学院まで一直線。その後も研究者として一直線上の道を選ぶか、就職するのかを悩んだ末に就職を選んだ(ただし、就職先は気象会社。ある意味直線上)。

会社では様々なことを求められるが、その分多くを吸収できる。この経験は一直線の世界線では味わえない魅力だと入社以降実感している。ただ、働き始めて約1年半、このままリタイアするまで働いたところで、、、ということを考え始めると、何のために今ここで働いているのかということにぶち当たる。

これまでは、一直線に進み、自分の専門分野は明確だった。論文も書いた。自分はこの研究をした者だというような自覚があった。だが、このまま働いたところで、自分は何者になるのか。むしろ、何者にもなることはできないのか、というような不安が浮かび上がる。

どのように何者かになれるのか、また、現状の自分をどのように受け入れるのかについて、最近ようやくまとまってきた。言語化できるまでに整理できたらまた書こう。


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