2020/06/07
起きた。今朝は100時間煮込んだカレーとかいうタイトルのレトルトカレーだった。こちとら高熱で100時間寝込んだフグやぞ。負けていられない。ガツガツ食べた。おいしかった。肉が柔らかい。もう一度食べたい味だ。すまないがシェフ、君にもう一度100時間煮込んでもらわなくてはならない。
また、家で映画を見てゆっくりしていた。映画では人が多く死ぬ。人間は人が多く死ぬ映画をなぜ見るのだろうか。準備だろうか。自分はまだ、毎年のように同級生の葬式に行く、というような年齢には達していない。オヤジすらまだその域ではない。
死かまた別の死か、映画ではどちらを選ぶかみたいな選択が多い。こっちはクーラーの設定温度を1℃上げるか下げるかで悩んだりしている。今日も暑かった。最適な映画鑑賞環境の構築に余念がない。俺はプロフェッショナル、冷凍庫の氷の残弾も十分だ。麦茶に入れるのに使う。
部屋を片付けてバランスボールを膨らまそうと固く誓ったのだが、誓う相手がいなかったので失敗した。自分自身を崇拝の対象にすることはないから、自身に対しては誓えない。自分とできるのは約束である。今日寝る前に、ちょっと5分片付けような。そして完成した謎の球体に乗れる。楽しそうだ。
明日から平日となり、自分にもいくつかの仕事が期待されている。だから自分を少しずつ起こす必要がある。映画の主人公達の起き方に注目していた。必ずしも起床とは限らない。精神的に立ち上がる様子、あるいは仕事初めの作法、のことである。(物語終盤にある覚悟を決めた瞬間、とまでは行かない) 彼らが営業日(business day)に戻る際の所作に注目していた。
日本中の労働者が月曜日を苦にしている。僕は、働くのはまぁまぁ好きである。ただ、週40時間の労働時間は長すぎると、感じている。主体性を発揮して仕事のできる時間が少ないほど、40時間は地獄のように長い。一方で、週40時間の数学は全く苦にならない。十分な知的多様性があるように自分で内容をコントロールできるからだ。違いは、自我関与の差、ということになる。
映画の主人公が、営業日を開始する理由は、自らの意志と何かかの要請の51:49のブレンドであるように思える。いやいやながらも自分の機能と使命を理解している。彼らの営業日の朝には、興味深い共通点がある。いつも、やり方が決まっている。それは何を着るかとか、何の武器を持っていくかとか、表れる側面は様々だが手順が安定している。例えそれが、一度きりのシーンであったとしても手続きの堅牢さが伝わる。イチローがバッターボックスに立つまでの一連の動きとの類似が感じられる。
月曜日に憂鬱になりがちな我々に必要なのは、朝の手順の安定性と、そこから生まれる身心の余裕だ。そしてそれらを武器に仕事に自我関与をもたらし、意思と要請のバランスを0:100から51:49まで回復すること。こうではないだろうか。
- 英単語 1000words
- タケバキの写経 1P
- ヒザ曲げ立位体前屈 2min
- 睡眠 2-6, 8-12 (9h)
とりあえず約束なので5分だけ片づけるわけだが、5分で済むわけないのできっと1時間くらいやる。うるさくないようにする。
(2020/06/08 へ続く)