2020/05/02

起きた。今朝はカレーではない。パンがあったのでパンを食べる。新M1の後輩がゼミをやりたいといっており、僕がテレビ会議用の有料アカウントをもっているので、ホストをすることになった。しかし、今日は実家からフグハウスへの移動もしなくてはならない。ゼミを向こうで開始できるよう、お昼前に移動することにした。

実家へは、あまり荷物を持たずに来た。帰りは色々と持っていきたいものがでてくる。読みかけの本とか、クリーニングに出しておいたカッターシャツとか、スキャナに読ませたい書類だとか、あれこれ詰めたら登山に使えそうなどといわれている大型のリュックが一杯になってしまった。(実際に登山用のリュックらしいが、登山に使ったことはない)

物を持っていきたいのは我欲である。満杯のリュックは欲まみれの象徴だ。でも、何もZガンダムまで持っていこうというわけではない。わきまえている。僕は数学をしにフグハウスに戻るのである。数学の本は重くても持ち歩く。レトルトカレータワーも持って行きたかったけどあきらめた。実家に置いてあっても有効に使えるだろう。英断だった。

みんな、よくやっていると思う。強制力の無い『自粛』でどこまで各個人ががんばれるか、ムラは必ず生じる。程度の差はあれ、みなストレスを感じている。ストレスとは緊張である。緊張は、2つの向きの異なる力によって生まれる。自粛破り(モラルハザード)か、さもなくば自粛破り叩き(私刑)か、いずれにせよ極端に走るのはよくないと感じる。

もしあなたが余裕のある人なら、できるだけその余裕を増やして、張り詰めないままを保つことができるように、祈りたい。確かに、人間は短期間なら緊急事態と歯を食いしばれる。しかし、5月末までこの生活を続ける必要があるというなら、これからは持続可能性が課題になっていくだろう。身心の余裕が、何よりの財産となる。

いま、大学の講義は、オンラインで行われることになっている。休み時間とはすなわちビデオを切ることだから、講義の前後に自然に行われるはずの「雑談」の存在する余地がない。新入生に至っては、互いに自己紹介をする機会すら与えられていない。大変なことだ。

自分は学部の頃、とりたてて学業的に優れたところがなかった。周りが助けてくれなかったらきっと卒業できなかっただろうなと思う。諸事情で留年もしている。周囲に恩返しなどできる余裕もなくギリギリで卒業した。今からやれることは「恩送り」だけである。以前、周りが助けてくれたように、後輩をサポートする。後輩がゼミをやりたいといえば、環境を整える。自分のできる範囲のことで、1人でも退学を間接的に阻止できればと思う。

とはいえ当面、僕ができることは、せいぜい後輩のゼミに付き合うことである。彼らの知的好奇心を挫折させないような、拠り所でありたい。

四六時中聖人君主であろう、などとはいっていない。僕にはできない。いいか学生さんよ、牛タンを牛タンをな、腹いっぱい食べてみる、そういう自分を許す活動が、持続可能な生活をつくっていくんじゃないか、と思っている。これは、大変おいしかった。本格的な牛タンが、観光などで消費できなくなり影響で物余りとなり、通販でお安く買えたという次第だ。フグハウスでは、2週間に1度はこういうことをやろうと話をしている。自分も他人も許す。

住人が、家でできる活動としてゲームをやってみたいといっていた。各自オススメのゲームを紹介する流れになったので、ピクロスという心を無にして行えるゲームがあると言った。座禅と何が違うのかと聞かれたので、ピクロスは座禅と違って遅延の少ないコントローラを必要とすると答えた。これではピクロスが座禅の下位互換になってしまう。

そのゲームあまり面白くなさそう……と言われたのがショックで思わず、じゃあ、文明をモチーフとしたターン制のシミュレーションゲームを探してみるのはどうだろうと提案してしまった。もう少しでヒトの人生を終わらせてしまうところだった。

今日は気温が高い。マスクはまだ届いていない。が……まぁ、そういうことも含めた現実と、じっくり付き合っていこうと、今は思っている。

(2020/05/03 へ続く)

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