2020/09/21

起きた。今朝はおいしいクロワッサンとコッフィー。どちらもシェアハウスの住人が食事の宅配サービスを頼むのに相乗りした。おいしかった。1つはナッツの入った甘いクロワッサン、もう1つはサーモンの入ったサンド風のクロワッサン。

先日から連続してテーマとなっている「混線を解く方法」について情報収集をするべく、方法の先行研究についてあらゆる文献にあたっていた。キーワードは、思考法、フレームワーク、QA、整理整頓、GTD、ソフトウェア開発技法、教養、編集の技法、レトリック、読書術……などなど。「頭が沸いている」という比喩があり、あまりいい状態の例えには用いられないようなのだが、何かを網羅的に集めた後、筋道を立てるためにそれらを相克させると、脳がそのような感じになる。今がその状態である。実際に発熱しているかもしれない。

しかしながら、その結果どれだけ大層な「自分の方法」が見つかったとしても、自分の運用能力を鑑みるに、それほど複雑なプロセスを長期に渡って安定して採用し続けられるか想像してみると全く自信がない。結局のところ、方法によってコントロールしたい対象だけでなく、方法そのものも緩やかに変化更新されていくことを認め、新しい方法もまた仮説であると思って、速く出発したほうがいいのかもしれない。

色々考えた挙げ句に、ボソッとため息のようにつぶやいた仮説が、採用の有料候補に躍り出る、ということは、僕の人生で多くあった。以下の(自己)引用は3日前のデフノートの最終パラグラフで述べた「混線を解く方法」の青写真である。

動きの柔らかさ、静かさ、丸さ、無拍子、そういうもので特徴づけられる「韻律のない所作」を習慣とできないかと考えている。無音に始まり、残響で終わるような日々に身を置けないか。例えば1つの数学的対象を数多の側面で観察し内面化していくような、予め計画はされていない、だが、機会を合わせて行われる学び方により、自他を豊かにできないか。

多少ポエムが入っているのだが、それは必然である。複雑系の課題に対して、通常の解決策とその難点を対比させる苦しい思考過程を経たあとに、やむなく現れる筋道というのは、ある種の諦めと希望の混在した奥の細道のことであり、それを文の形で表す運動こそが詩性と呼ばれるものである。

この仮説の提案には、身体・思考に負荷をかけないシステマティックな動きを期待していることや、習慣でありながら方法に揺らぎを許すことなど、いくつかの「混線を解く方法」のミッション憲章が現れており、数学1つを例にとっても、多くの側面を統合して知性を編み上げるといった目的思考の方法論が形となっていくことを予感させている。

数学の学習を行うときに、頻度はまちまちだが、自分が採用している方法を、勝手につけた名前とともに列挙する。

メタモン法:ゼミ相手がいないとき、メタモンを相手に説明する方法
何も見ない法:ゼミをするとき、参考になるものを何も見ないで行う方法
10回反復法:同じことを10回書くと覚えるという方法
マイルストーン再連結法:中間定理いくつかを順に証明する練習方法
睡眠徒手空拳法:問題文を暗記したあと寝ながら問題を解く方法。
独自記号法:記述を圧縮するために独自の記法で書く方法。
写経法:テキストを丸ごとノートに写経する方法(インデントはしてよい)
行間埋立法:テキストの不明点を仔細まで補って書いてみる方法
逆転裁判法:テキストを機械に読み上げてもらい、異議を入れていく方法

もっとありそうだが、やめておく。例えば、こうした方法を大システムとして、1つのよくできたプラクティスにまとめたい、と考えている。

- 睡眠時間 1-9 (8h)
- 筋トレ:上半身コース

アイス食べたい。

(2020/09/22 へ続く)

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