2020/07/21

起きた。今朝はホットコッフィー。つまり朝食を食べていない。また忘れていた。食事を忘れてはならない。フグとの約束だ。なんでも土用の丑の日には「う」のつくものを食べるといいらしいじゃないか。ふぐあんこう……。

実家に特急に乗って帰った。1時間も乗らない距離で、急行と比べても15分ほどしか差がないのだけど、この区間で特急を使うのが趣味になっている。駅弁で天むすを買った。これも久しぶりだ。特急に乗るときについでに、ちょっといいものを買って旅の気分にする。向かう先は実家なのだが。

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ホントは5つあって、写真取る前に1つつまみ食いした。

実家に戻るとオヤジがステーキを焼いていた。ここはアメリカか。前回の実家滞在中に無線LANのルータが壊れてしまい、代替品を注文しておいたのが届いていた。さっそくつないでみると2階まで強力に電波が届き、満足である。オヤジのスマホもWi-Fiを使うように設定しておいた。この御方は家でもケータイの回線でずっと動画を見ており、気になっていた。その、ギガとかいうやつが足らなくなるのではないか。ギガって何だ?

帰り道を含め、今日はずっと「計画を立てる本」を読んでいた。1日以上の計画を立てることについて、僕は人生の中で一度も成功したことがない。すべての重要な期限に対し、たまたま間に合ったか、間に合わなかったかの二択でやり過ごしてきた。自慢ではないが本当に自慢ではない。最近の計画を立てる本は、人に(フグだが)やさしい。挫折も計画に盛り込もうとか、意志に頼るなとか、本に書いてあることを全部やろうとしなくていいとか、保健室の先生みたいなことを言ってくる。

とりあえず、いまの僕の関心は「書くこと」を息長くやっていくために、妥当な執筆ペースはいかほどのものか、というところにある。

1. 自分が実際にどれだけのペースで書けるのか。
2. よく似た、継続して書ける人がどれくらいのペースで書けるのか。

まず、この2つを計測したい。1. についてはこれまでの短編を書きあげた文字数を、何も書かなかった日も含めて平均を取ればいい。2. については小説投稿サイトで連載している同じくらいの作風の方を10名ほど選んで平均を取ればいい。間違いなく1より2の方がハイペースである。1と2の相乗平均を取ると、自分の目指すべき妥当なペースが見つかるのでは、という仮説を立てた。自分は、こういう何かをちまちま測って謎の量を導く作業が、本能的に好きである。

同じくらいの作風、というのはなかなか難しい。自分が小説として書くものは、凝縮度がやや高い、という自己認識である。「凝縮度」に決まった定義はない。文章全体に占める、漢字や地の文や造語や凝った言い回しや推敲の痕跡の多さによって特徴づけられる何かだ。つまり「凝縮度」とは、1文字あたりにかける手間、とも言い換えられる。高いほど良いというものでもなく、読み手にストレスを与える傾向がある。ボルヘスやピンチョンやパワーズはきっと凝縮度が高い。最近読んだものでは酉島伝法氏の著作は、凝縮度が高いと感じた。「凝縮度」が似ている文を書く同士で、ペースを比較することに意味があると感じる。

それはそれとして、とにかくこうして目標ペースをつくり、自分がある量の小説を書くのに必要な日数を割り出し、その日数を2倍して、計画を立てて、どこかに貼っておこうと思う。どこかがどこかは難しい。大々的に公開してしまうと、計画を公開しただけで満足しそうだし、何も言わないとそれはそれで立ち消えそうである。このnoteを見に来る方にコッソリ、くらいが妥当ではないかと考えている。

とにかく何もかもが仮説だ。できる自信など、まだこれっぽっちもない。だけど、何かしら動き始めて、僕はそれをやるだろうという静かな決意を感じる。決意とは、気づいたときには決めてしまっていたもののことをいうのではないだろうか。

(2020/07/22 へ続く)



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