2020/09/11
起きた。今朝は塩タブレット。それは朝食ではないのでは? ごもっともである。過酷なほどに節制して生計を立てていくことを「塩をなめて生きる」というらしい。よく亡き母が言っていた。そんなに家計を苦しめた記憶はないのだが……。いや、子を育て上げるのには、有形無形の捧げものがあったのかもしれない。そうだったかもな。その塩タブレットを舐めながら、思い返していた。
昨晩、夜ふかしして多くを語った。話し始めたときはそんなつもりではなかったのだけど、結局、徹底的なまでに自分を「表明」してしまった。それなしに今日を語ることはできないだろう。多くのツイートを引用する。
どうでしょう、数学の話をしようかな。といっても、数式は出てこないので安心してください。僕も(フグですが)人間なので、いくつかの活動をしていて、最近所在に動きがあるのが数学なので、この話でも。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
主に学校が機能してないという理由で、今年度は「実質休学」というつもりで半年動いてきました。その、デフノートにはときどき書いているんですけど、それを全て読んでいるという方は稀だと思いますので、あらためて話をします。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
僕、いま実家の仕事と、大学院に通うことと2つやっていて、大学院に通う以前には、プログラミングの仕事(受託開発)をやっていました。主にやることが3つは多いと思って、院に入ってからは開発の仕事はしていません。受託開発のための法人名義も、入学と同時期に精算しました。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
今年は、院を「実質休学」する代わりに、また受託開発を再開するように動いています。もちろんゼミが行えない中、浮いた時間を単に埋めるという意味合いもあるのですけど、自分の博士号取得後の出口戦略という意味もあります。こちらが本命です。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
これ、以前に話したかもしれません。3年前、修士2年制の頃ですね、とりあえず修士号はとれそうな見込みができて、その次どうするか、これはかなり迷っていました。博士課程に進むのか、あるいは就職などして、仕事を再開するのか。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
修士課程は2年間なので、ひさしぶり(11年ぶり!)に大学に来た自分としては、ほんとうにあっという間に通り過ぎた感じがしてしまって、そして修士論文を書く課程もおもしろかったんですよね。もったいなって思いました。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
ただ、じゃあ博士課程卒業してどうするんだ。大学教員になる? ただでさえ数学の大学教員になるのは難関で、博士号とっても無期雇用になれる人、半分もいないんです。僕が博士号とれるの早くて40歳です。当時の学科長の方に聞きました。博士課程行って、その後僕どうなるか先生は予想できますかって。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
「仮に君がとてつもなく優秀でも、年齢で決まる部分もあり、大学教員になることは難しいだろう」ハッキリと言われました。だが、世の中にはこういう人もいると言って、ある本を紹介してくれました。数学の博士号をとったものの、実家の仕事を継ぐ必要があり、社長をしながら研究を続けた方の本でした。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
本といっても伝記とか自叙伝ではなくて、その分野の標準的な教科書となっている「数学書」でした。これを書けるのは文句なしの一流の数学者なのだ、と先生は言われました。この本を紹介くださったのは、おそらく僕に実家の仕事があることも含みおいた上の、先生からのメッセージだったと思うのです。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
結局、本当に素朴に数学について、自分に資するところを完全に掘り起こしてみたいという、それだけで、僕は博士課程に入ることを決めてしまいました。終わったらどうなるという形も何も考えていなかったのです。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
ただ、やはり僕が生まれてきた意義(というと大仰なんですけど)というものを考えても、数学に代表される純粋に知的な問題について不随意にかつ相応な粘り強さ(tenacity)を持って取り組めるのは、最も自分を特徴づけるものだから、これを最大限に伸ばし「なったものになる」のが最も自然に思えたのです。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
で、本当に最近のことです。その「なったものになる」の正体・形が何だったのかということが、ちょっと分かりつつあるので、これについてお話です。なのでここまでが前置きです。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
僕がいま「フグハウス」とかって呼んでる、大学近くのシェアハウスで暮らしているのは、何かみなさんご存知だと思うんですけど、寮長を任されていて、結構ここを自由にというか、リビングに数学書を何百冊かおいて、でかいホワイトボードおいて数学のゼミができるように改造しちゃったんですけど。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
ここを私立の数学研究所にして、僕が所長になります。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
ええとですね……僕は15年前に大学(学部)を卒業するときも、なんというか就職活動というものをしなかったので、君は院試を受けてないけど卒業したらどうするのと聞かれて「何も考えていません」といったらひどく驚かれてですね。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
卒論で産学連携に関わることをやっていて、懇意にしている会社の方にも同じようにいって驚かれて、「あの、先の予定がないなら、卒論でつくったプログラムの続きをお金もらってやる気ない?」と尋ねられて……。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
それで、園仕事をすることにして、そしたらなんか面白そうだから一緒にやりたいといっていたゲーム仲間も合流して、ついでだからと法人名義をたてて、そこの代表になったわけです。自分の就職先を自分で作ったんですね。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
起業と言っても輝かしいミッションとか華々しいビジョンとか全く無いです。就職先がないので仕方なく就職先をつくったんです。僕はこれを「のび太くん起業」と呼んでます。ドラえもんが来なかった時間軸では、のび太くんは就職先が見つからなかったので自分で会社をつくった、ということになってます。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
で、ですね。今回も15年の時を越えて、僕はまた必然的にと言うか「のび太くん起業」をやることになったのです。博士の人たちの中では務める予定の大学のことを「就職先」と呼ぶんですけど、学科長の方が言う通り、今の日本には僕の「就職先」が存在しないので、なら自分で就職先の研究所をつくろうと。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
そんなことが可能なのか、という話なんですけど、これもですね。やはり、15年前に産学連携で縁のあった会社の方に話したことから、会社を始めることになったのと同じように、今回も奇妙な縁がありました。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
フグハウスのオーナーさん・運営会社さんに「寮長さん、卒業後はどうされますか、大学の先生になられるのですか」と尋ねられて「全く何も考えていません」と答えたところまた驚かれて、そうすると実は今の僕の数学のゼミができるシェアハウスの存在が特異で面白いので「続きをやってみない?」となり。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
でも、僕も何らかの仕事をしてお金を稼がねばならないのですが……。と、お話したところ、実はオーナーさん方のお知り合いに中小企業の社長さんがたくさんいらっしゃって、受託開発の案件が豊富にあることが分かりました。そして、開発期間についてもすごく長く余裕が取れることも分かりました。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
その後、色々と社長さんと顔を合わせてお話したところ、おおよそ月に40時間というかなり余裕のあるスケジュールで受託開発を行っても、ポスドクと呼ばれる有期雇用の研究職の倍以上の収入を確保できることが分かりました。これなら数学の研究を続ける十分な時間と体力が確保できます。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
そんなにうまくいくものか、と思いませんか。僕も思います。ですが、それを差し引いても、これはやってみる価値があるのではないか、と思うのです。科研費を自力で稼ぐ研究所は実現可能か? この試みは、40歳で博士号を取る僕のような人間(フグ)こそが実験台となるのに、相応しいと思いませんか。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
仮にこれがうまくいってしまって、若い研究者のための新たな可能性を開くのに役に立つのなら、これは1つ僕が自分に資するところがあるか挑んできたことの、甲斐があったな、と思うんですよね。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
ダメならダメで、僕は実家の仕事を継げばいいんです。「実家が太い」とまでは決して言えないんですけど、こういうズルいコネがある人間(フグ)こそ、リスクのある道を歩む必然性があると思うんですよね。オヤジ(会長)も、研究者としてやれるところまでやるまでは帰ってくんなよって言ってますし(笑
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
で、たぶん、僕がこういうことをやると、お笑いになる研究者の方もいらっしゃると思います。僕が15年前に学部を卒業したとき、院にも行かずに自分で自分の就職先をつくったといったときも、ずいぶん同級生に笑われたものです。嘲笑の笑いもあれば、親愛の笑いもありました。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
ですが、できるだけ長く粘り強く、僕のこの自分で作った「就職先」にとどまることで、みなさんにはあきらめてもらおうと思っています。「お前はそういうやつだった。お前がそこにいることを認めざるを得ない」諦念(あきらめ)の笑い。そんな自分を体現する研究所をつくっていけたらいいなと思います。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
こんなところ? です。このような感じで近年はやっていこうと思います。どうかお見守りよろフグお願いいたします。
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
〜 おしまい 〜
— 藤井 愁霜 (でふ) (@defplus) September 10, 2020
おしまいなのである。
- 睡眠時間 4-10, 13-17 (10h)
- 筋トレ:上半身コース+レッグレイズ
だが、それでもフグの人生(フグ生)は続いていく。
(2020/09/12 へ続く)
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