見出し画像

Nina Simone - Little Girl Blue (2021 STEREO REMASTER)


「マトがどうとか気持ち悪い。アナログ盤ならどれでも同じでしょ?」などと乱暴なことを口にする人の言葉より、「ゴールドパーロフォンを聴いたことがないやつは、ビートルズを語る資格がない」と宣う人物の言葉のほうに僕は耳を傾ける用意がある。

などと偉そうなことを書いているが、若気の至りとはいえ恥ずかしながら前者はかつての僕だ。いや、若気の至りなどではなく、己の怠惰のせいだ。

そもそもなぜ、オリジナル盤にこだわる人がいるのか。それは音がいいから。マスターテープもレコードをプレスするスタンパーも消耗品だから、余程のことがない限りファーストプレスの音がいいのは当たり前の話である。であるならば、同じファーストプレスでも、原理的には1枚目にプレスしたものが最良であるはず。だからこそ、その事実を知るコレクターは、音楽家の意図した音を可能な限り汲み取るべく日夜、涙ぐましい努力を続けているのである。

知らないことは罪ではないが、知る努力を放棄している場合はその限りではない。

などと偉そうなことを書いているが、僕がオリジナル盤の魅力を知ったのはただの偶然だった。

音楽を主体的に聴き始めたのが1980年代半ば--CD万歳!の時代--ゆえ、僕が最初に購入したビートルズ作品は東芝EMIのCDだった(と思う)。しかも視聴環境は安物コンポ。原盤との音質の違いなど知る由もなく、昔のバンドなのだから音はまあこんなものだろうと思っていたが、学生時代に先輩に借りた“ホンモノ”を聴いて吹っ飛んだ。その経験から言えば、初期のビートルズなどはオリジナル盤に近いもので聴いた方が絶対にいい。

ビートルズを聴き始めた中学生時代に、ちゃんとしたオーディオ環境でオリジナル盤を聴いていたら、パンクロックに夢中になることはなかったかも。それくらいの衝撃だった。その代わり、今以上に偏屈で嫌なおじさんになっていたかもしれないけど。

などと書いておきながらなんだが、メディアの選択以上に重要なのはオーディオ環境だ(両方大事だ)。誰がなんと言おうと、音楽愛好家には、音楽家が伝えたかった音を忠実に汲み取るべく優れたオーディオをそろえる義務があって、それは音楽家への礼儀でもあるはずだ。

ただ悲しいことに、我々大衆の資金には限界がある。日本のディープサウスのしがない農夫などはすでに限界を超えている。しかし、人気オリジナル盤の高騰やヴァイナル盤自体の高騰を考慮すれば、いい音を愉しみたければオーディオ環境に投資する方がコスパはいい。なぜか。

ビートルズに限らず近年のリマスターされたハイレゾCDなどは、賛否両論あるだろうが、なかなか音がいい。そして何よりヴァイナルよりも安い。1950年代のジャズ作品のステレオリマスターなど、感動してしまうくらいに素晴らしいものもある。カッティングに左右されるヴァイナル盤よりも、下手すりゃCDのほうが音はいいし、オーディオ環境さえ適切にそろえればとてもリアルなサウンドを鳴らすことも可能だ。

メディアとオーディオ機器の関係は、ワインとグラスの関係にも似ているかもしれない。

これまでの経験上、安くて美味しいワインは存在しない。心から美味しいと思えるワインは、最低でも1本5000円はする。もちろん、そんなものを日常的に買える身分ではない。

というわけで貧乏ファーマーが投資したのがグラスだ。バカラなど高くて扱いづらいものではなく、リーデルなどの日常的に使えるものでいい。たかだか数千円の投資で、3000円のワインが5000円くらいの味になる。フルボディ用、ミディアムボディ、さっぱりタイプ様など数種類をそろえても2万くらいだ。オーディオにもそれと同じことが言えるかもしれない。オリジナル盤の感動には及ばないかもしれないが、リマスターCDでもそれ相応の感動を味わえる可能性もあるのだから。

ワインを飲みながらNina Simoneの不朽の名作『Little Girl Blue』のステレオリマスターCDを聴きながら、そんなことを考えていた。このふくよかで、奥行きのあるステレオリマスターには、官能的なブルゴーニュのピノがあう。適当に言ってるわけではなく、本当によく合うのだ。

彼女のインテリジェンスが凝縮されたかのような”Little Girl Blue”は、何度聴いても鳥肌が立つ。崇高、と言ってもいいだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?