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開かれたトビラ11 出産

Aの入院により、Bが婚姻届を提出、戸籍上夫婦となった。
仕事帰りBはお見舞い、会いに来てくれる。
Aが、安定期に入ったら式をあげようとなり、Aが希望していた式場で挙げることになった。
Aが入院中、Bが新居をさがし、両方の実家の中間くらいのところに決まった。

Aの代わりにAの母がBと一緒に動いていた。
式場の打ち合わせなど。

Aが希望していた式場は、Aの両親が式を挙げた式場。Aの母が娘にもそこで挙げてほしいなぁと、一度言っていた記憶がAにはずっとあり、そう願った。たまたま、Aの父の親しい知り合いがその式場で働いているからと日程等融通を効かせてくれた。

Aは3ヶ月ほどのの入院となり、計画を立てた日程での式はできなくなり、式は延期。

退院後Bとの新居での結婚生活がスタートした。

Bは母親からまともに食事を作ってもらえなかった話をよくしてきた。Aには可愛そうでありえないことだったので、Bの理想の家庭は妻、母が毎食ご飯を作り、旦那さんのためにつくすことを求めているのだとは感じていた。
Bの理想は、Aの想像以上、これまで、食事は母の手伝い程度だったが、レシピ本を買い、節約をしっかりとして、Aも頑張っていた。

お腹が大きくなるにつれ、Aの父もBとのわだかまりがなかったかのように息子のようにかわいかがり、何かとお金やら、食材やら援助をしてくれた。
ベビー用品のほぼすべてをAの両親がかってくれ、産まれてくる孫を楽しみにしてくれていた。

Aが実家に帰るといつもBがついてくる状態だった。
一方Bは自分の親のこと、兄弟、家族のことを悪く言い、なんと可愛そうなんだとAが思うことばかりを言って、ほぼBの実家に連れて行くことはなかった。
両親は不仲で金のことで喧嘩ばかり、大学の学費も親戚に自分で頭を下げて借り、バイトをして返した、喧嘩がひどくなるとBに向かって結婚なんかしなければお前なんて生まれてこなかったなど、今では虐待のような話を聞かされた。

ある日Aが一人の時にBの友達夫婦が突然訪れた。
その夫婦は結婚式などにお金をかけるタイプではなく写真だけ取るために安く手に入れたドレスで写真をとり、海外での新婚旅行へお金をかけるタイプだった。結婚式が延期になったようだから、「良かったかこれ使って写真とるだけでも。」と、紙袋に無造作に入れられたシンプルでタイトなドレスとオーガンジー素材のカチュウシャが入れてあった。クシヤクシヤで。

このことを聞いていなかったので、AはBに聞いてみた、Bは「友達がもういらないからくれるって、これでいいじやん。」

???はあ?なんのこと?

Aは「私これ着ないよ、こんな丸められたお古みたいなの、サイズもあってないし、好みでもないし。」Bは何も答えなかった。丸められたドレスの紙袋は押入れの奥につっこんでおいた。

友達からしたら、結婚式が延期になってしまったので、それを使って写真だけでも先に取っておけば、という意味らしいが、Bが必要と言わない限りそんなことしてくるのか??しかもドレスなどにこだわりなく海外へ行くことにお金をかけるタイプの人が、、、、??リサイクルショップか?普通に買ったドレスとは思えな物だった。

理解不能であった。

臨月が近づき、Aの家族とBで外食に行った。
Bはこのころ出張が多く家にいないことが多かったので、Aは実家にその間はいた。出張から戻る時は、二人のアパートに戻るようにしていたが、Bは出張にまたすぐ出るからと、Aの実家で自分も過ごすと言ってくる。Aを思ってくれているんだと理解したが、そのたびにAの母が気を使うことがAにもわかり心苦しかった。

外食先で破水

すぐに実家に戻り、病院へ

陣痛が始まるだろうからと、即入院。

破水してしまっているので赤ちゃんは苦しくなる、なのに陣痛が来なく、赤ちゃんが危険になるので陣痛促進剤を使い陣痛が始まった。
初めての体験、痛い、痛いそれは痛い、促進剤なので感覚も速くすっごく痛い。


Aは6,7ヶ月また切迫早産で入院、まだあと3ヶ月はお腹にいてほしいのに…陣痛が始まるのを、薬でおさえる。

この頃はBも献身的に優しくしてくれていた。
でも、切迫早産への心配を話すと、何故か他人事のようで余計にAの不安は高まり、切迫早産化する。Bにはそれが伝わらないのだ。不思議だった。

大切な存在の人への物理的な目に目える優しさの行動をとるのに、心の支えはできないのか?

不思議だった。

臨月前に退院となり、Aの家族とBで夕食を食べていた、

パンッ

破水、破水した、すぐに病院へ、

実家に戻り荷物を持って入院。

破水したら、陣痛が来ないと赤ちゃんは羊水がなくなり大変ななことになる、なのに陣痛が来なくなり、限界の時間が来て、陣痛促進剤を使用。

促進とつくだけあって、陣痛の間隔が短く痛みも一気にきた。
そりゃあ、痛いです、痛い、痛い、でもお腹の中で、心配をかけていたこの子。
母親が不安定だと胎教に悪いと思い、お腹の子にうたを歌ったり、絵本を読んだり、元気に無事に生まれてきてね。安心感してね。この気持ちと行動を取り続け、妊娠がわかって、色々合って、入院して。
こんな私の所に来てくれて、私を母にしてくれて、こんなにも愛おしい思いを持たせてくれてありがとう、ママはこれ以上の幸せは要らない、無事に産まれてきてね。
Aの思いは、陣痛の痛み出産の痛みを吹き飛ばすほどだった。

はい。力んで、力抜いて。はい。力んで、繰返し

「頭出てきたよ!お母さんがんばって。」

分娩台の手すりを強く握り、必至に力んだ。
「肩でてきたよ。」

そこからは、あっという間に、

「生まれました、13時15分」「お母さん、頑張ったね。」
助産師さんの声が聞こえた、「女の子よ」

あれ、泣き声が…不安が、よぎったが、すぐに、
大きな、可愛い泣き声が聞こえた。

ああ、良かった。神様無事に産まれてくれたことに感謝、感謝しきれないほど、可愛い、愛おしい子が産まれました。

切迫早産のため入院、点滴をしていたので、母乳トレーニングができなかった。産後直ぐに吸わせようと近づけようと、必至に吸う姿、感覚がたまらなく愛おしい。
双子のはずが一人、二人分の子。

Bも父親になり本当に嬉しそうで、幸せのが始まる、3人で楽しい家庭をと心に誓ったであろうと思った。

また始まるとは思いもしない、幸せの絶頂期だった。

つづく

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