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十七歳。17歳。じゅうななサイ。


今朝、目を覚ますと十七歳になっていて、今年もいい歳にするぞと思っていたのに、十七歳初日の終わりには視界がぼやけてきて、終いには涙が止まらなくなっていた。


双極性障害の名前が書いてある紙をもらった日からだろうか、それともずっと前?いつからだろうか、自分のことを否定することでしか、自分の存在を感じることができなくなっていた。どうせ死ぬなら自分自身を全世界の人に笑われたって何でも良かった。

この生か死しかない崖っぷちの現状から抜け出すために片道切符を手に、大陸に渡ったのが十六歳と八ヶ月。この冒険が私の人生の最後であり、この冒険が上手くいかずこの島にまた帰ってきたその時は、きっぱりと人生に幕を下ろそうと思っていた。



十六歳と十一ヶ月。一つ目の冒険がもうすぐ終幕を迎える頃。
仲良くなった彼と話していた。今まで短い間だったけど沢山可愛がってくれてありがとう、と伝えると彼は少し間を置いてから話し始めた。

I'm always thinking about you wherever you are on the earth. You are my sister. If I travel somewhere, I’m going to visit the first place that you are.

普段は涙すら見せない彼が涙ながらに私にこう言ったのだ。その瞬間に私の中にあった全ての不安や過去の苦しみが拭われたような気がした。人間を、自分自身でさえ、信じれなくなっていたことがもう既に過去のことであると分かった。私は私が信じたい人を信じれるのだ。その人たちを私は信じたい、と思った。思い出す度に何万回でも涙を流せるほどに愛おしくて堪らない、私の信じれる友達がそこには沢山いた。

その頃の私の頭の中には、「死」というもの自体が姿を消していた。代わりに、私の頭の中に残っていたのは、「生」ということだった。つまり、一つ目の冒険は大成功を納めたわけである。


私は、まだ自分自身を愛することも信頼することも愛でることも出来ずにいる。ただ、この「私」という人間が偶然この世界に生まれてきて、どこに行くにも、何をするにも、「私」という人間が持ってる能力を使うしかないのである。それでも、こんな私を愛してくれている人が沢山いるというのも逃れようのない事実である。だからきっと、「私」という存在はいい人なのであろう。


こんな幸せがあるだろうか。私はこんなに幸せでいいのだろうか。私のことを愛してくれる人が沢山いて、それを肌で耳で目で感じられて信じられる。いま、私の手の中には無限の愛と無限の可能性握られているのだ。私には未来があって、愛するべき人がいるのだ。こんな嬉しい理由で十七歳で初めて、涙を流した。

世界はこれっぽっちも狭くなんかなくて、色んな人がいて、色んな考えがあって。きっとその中に沢山あなたのことを愛して信頼してくれる人がいるはずなのだ。だから、死ぬという選択肢は最期まで早すぎるのだ。


この先の原動力は「私」を愛して信頼してくれてる人への裏切れない気持ちである。その中でまた、少しずつ自分自身を愛せるようになっていきたいと思う。それでは、おやすみなさい。



追伸 十七歳の思春期真っ只中の不安定なこの時期にこんなに幸せな景色を見させてくてたおとう、おかあ。本当に二人の子供で良かったと心の底から思います。ありがとう。まだ暫く会えないけど、きっと何倍も成長して帰るから、心配しないでね。愛してるよ!


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