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ゴミと人間の境界線を溶かす。コンポストをわたしの「臓器」と捉えてみたら?

ステイホームは家庭ごみの量を増加させたといいますが、毎週、毎日、ごみ袋をしばりながら、「生きているだけでなぜこんなにもごみが出るのか…」と、もやもやした気持ちになったことがある人も少なくないのではないでしょうか。

気候危機とごみの問題は、どの角度からみても密接に関係していることは明らかです。過剰生産、焼却の環境負荷、分別、マイクロプラスチックなど。
調べてみてすぐにわかったのは、なんと日本のゴミ焼却炉の数は世界で一番多いとのこと。それに、燃やして処理するごみの量も世界一。知らなかったことを恥じつつも、驚きました。こんなに身近に環境問題があったなんて。そして、自分の生活にも確かに心当たりがあります。

自分の代わりにごみを処理してくれている人のこと。脅かしてしまっている生き物たち、生態系のこと。想像力を働かせてみたら、どんなことができるだろう。
今回は、自分の生活の範囲内で実践できる「ケア」として、「コンポスト」のリサーチから、ごみとわたし、ごみとごみ以外の境界線について考えていきたいと思います。


なぜ、コンポストか?

もしかするとすでに、自宅などでコンポストを実践されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。基本的なことかもしれませんが、あらためてコンポストのいいところを「ごみの減量」と「堆肥化」という観点から簡単にまとめます。

家庭から排出されるごみの約3割、事業者含む全体のごみの約4〜5割が、食品由来の「生ごみ」だと言われています。
水分が多い生ごみは、重いために輸送コストがかかり、焼却にも時間と燃料コストがかかります。焼却以外には「埋める」方法もありますが、二酸化炭素の約21倍も温室効果があるメタンガスを発生させる原因になりかねません。私たちが「生ごみ」と呼んでしまっているものの多くは有機資源であり、土の中の生き物・微生物にとっては栄養源になります。彼らによってうまく分解してもらえれば、人間にとっても有用な土や堆肥になってくれるのです。こういった理由からコンポストは、環境負荷を下げる有効な手段として1990年代ごろから広く推奨されてきました。

コンポストは、身近な「ケア」

ごみの減量、堆肥化といったメリットから視点を変え、土の中で起きていることに顔を近づけてみましょう。

土の中には、野菜くずや有機物を分解してくれる微生物たちがたくさんいます。それぞれの微生物には、それぞれに好みの成分や環境があり、彼らが元気でいられたら、コンポストもうまく機能してくれます。人間はコンポストと対峙するとき、匂いを嗅いで手で触って、温度や湿度を確かめて、だいじょうぶかな、うまいこといってるかなと、音にならない微生物たちの声を聞き取ろうとすると思います。このささやかな作業は、ひとつのコミュニケーションのようであり、ある種の「ケア」行為だと言えるでしょう。

土壌のもつもう一つの重要な機能は、[・・・]「分解者」としての機能である。森林の落ち葉、落枝はいつか分解されて、その中に含まれていた植物栄養は再循環される。動物や人間の作り出す排泄物も土壌に還すことによって「こやし」としての価値を得る。これらはいずれも土壌のもつ分解者としての機能に負っており、環境の保全と浄化に果たす土壌の役割はきわめて大きい。

( 藤原辰史 (2019),「分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考」,青土社,p46 )


土づくりが地域をつなぐ「シティコンポスト」

近所の人々で協力を募りコンポストをつくる「シティコンポスト/コミュニティコンポスト」という動きも広まっています。

・ローカルフードサイクリング(福岡県福岡市東区)(NPO法人 循環生活研究所)

福岡県を拠点とする「NPO法人循環生活研究所」は、1990年代から、家庭生ごみからの堆肥づくりを推進する「堆肥講座」に取り組まれてきました。2015年、ローカルフードサイクリング株式会社(以下、LFC)を設立。家庭で使える「コンポストバッグ」や、地域の半径2kmで循環する「コミュニティコンポスト方式」をほかの地域にも伝播させています。

ローカルフードサイクリング 公式HPより


LFCさんの取り組みは東京の真ん中へも。
・ 株式会社4Nature が主催する1.2 mile community compost / CSA LOOP(東京都港区・渋谷区)は、都内でも複数のコミュニティコンポストを開始しています。


個人で取り組むコンポストは、堆肥の活用先がないことや、虫・腐敗・においなどへの不安が課題となっているといいます。コミュニティコンポストは、こういった個人単位のコンポストの課題を改善してきた事例を持っています。LFCさんの調査によれば、個人のコンポスト継続率が2割以下なのに対し、コミュニティコンポストであれば継続率が9割以上にも上るとのこと。

堆肥を農地に提供できたり、その農家さんから収穫された野菜をまた食べられたり、希薄になっていた地域のつながりを温めたり…。生産・消費の一方通行だった暮らしが、コンポストを中心に円を描きはじめているようです。いっしょに土をつくることが、街づくりにつながっているというわけです。


ミミズもいっしょに土&街づくり

また、国外にも面白い事例が。オランダではアムステルダムを中心に、ミミズを住まわせたシティコンポスト「wormhotel(ワームホテル)」が2019年から始まりました。

wormhotel 公式HP https://wormenhotel.nl/vraag/uitleg/ より

生ごみ・紙ごみ・小動物のふんなどを入れることができ、中に住んでいるミミズたちに分解してもらう仕組み。アムステルダム市内だけでも200以上のワームホテルが存在しており、アムステルダム以外の10を超える都市にも設置され始めました。

アムステルダム市は2020年に「Amsterdam Circular 2020-2025 Strategy(アムステルダム市サーキュラー 2020-2025 戦略)」を公表していますが、そのなかでも重要分野に位置付けられている食品・有機性廃棄物についての問題を、市民たちの発想とアクションで解決に向かわせている事例でした。


コンポストは「内臓」と「外臓」のあいだ?

「コンポスト」にまつわって起きていることについて、ちょっと抽象度をあげて考えてみます。

土のなかで、微生物がいろんなものを分解するようすを想像していたら、まるで人間の腸みたいだな、と思いました。(「土と内臓」 に触れたいところですが、また今度…。)
それと同時に、石倉敏明さんがおっしゃっていた「外臓」の概念を、ふと思い出しました。

「外臓」とは、「食料や他の生物とつながっている目の前の風景」を「自分の内臓を外側にひっくり返した身体の延長として捉える」考えかたのこと。

「自分の身体を貫く消化器系のチューブが、実は外部空間と無限に開かれた絡まり合うループを形成している。このループを「外臓」として概念化することによって、個々の身体を外界とつなぎながら、食べるものと食べられるものが共生している世界を理解するような回路が開かれるのではないか。そう思ったわけなんです。」

ÉKRITS <エクリ> 外臓と共異体の人類学
More-Than-Human Vol.7 石倉敏明 インタビュー

「外臓」も「内臓」も、なにかを分解する機能だけを意味するのではありません。自分のからだが今ここに存在していることと、外の環境でいろんなものが生きたり死んだり分解されたり運ばれたりすること、そういう全ての循環を含めて、石倉さんは「内臓」と「外臓」のひとつながりの働きとして表しているのだと思います。
そして自分以外の存在にとっては、自分は「外臓」です。ただ食べる側だけではなく、食べられる側でもある。ムシャムシャと食われてしまうというよりは、死んで分解されていったり、朽ちていったりも含めて。

大きくひとつながりになっている循環のなかの、ひとつの意識の内側と外側。そう考えると、捕食−被捕食の関係はぐるぐると回り、人間と地球環境の対等な関係性が見えてきます。(WONDERの記事「More-than Human Food: 贈与の連鎖としての食から生態系バランスを考える」もご参照ください)

ここで視点をコンポストに戻してみると、コンポストは非常に身近な「外臓」だと言えないでしょうか。
食事の準備をして、自分の口には入れなかったもの、自分の内臓では消化吸収できないと判断したものを「生ごみ」にしている。その生ごみを、燃やしてころして灰にしてしまうこともできます。でもコンポストなら、土の中にいる微生物に分解してもらえる。体内に入ってこなかったものを、自らの手で、外臓のループにのせてみることができる。

食べられなかったものは、自分の代わりに土に分解してもらう。そう考えるとコンポストは、もはや「外臓」というよりも、自分の「内臓」近いような気がしてきました。ベランダにもう一個、わたしの胃がある…。ちょっとホラーな言い回しになってしまいましたが、だんだんと、何気なく見かける土や畑の見え方も変わってくるようです。周りのすべての環境が、臓器のように、静かに分解と循環を続けている。

ここで改めてコンポストに向き合ってみると、自分の体の境界線が溶け出して土に開かれていくような、不思議な感覚が生まれてくるのではないでしょうか。

また、先に例に挙げたシティコンポストは、地域のみんなで「外臓」になる試みと言えます。「腸内環境を健康に」と発酵食品のパッケージでよく見かけますが、シティコンポストは「外臓環境を健康に」してくれる。人間はただの「食べる側」ではなく、分解者としての役割があるとわかり、微生物たちと平等である実感が得られそうです。


「ごみ」とわたしの境界線を捉えなおす器官

コンポストがあると、食べるもの/それ以外 という線引きだけではない、新しい判断軸が生まれてきます。この卵の殻は、わたしは食べられないけど、土の中の微生物なら食べられるかもしれない、とか。

同じように、「この世界は内臓と外臓でできている」と考えてみると、「わたしの外臓は、これを分解して循環させていけるかどうか」という判断軸も、おのずと生まれてくると思います。「土に還る●●」という商品をしばしば見かけるようになりましたが、地球をひとつの生命体と捉えた時の消化活動が不可能にならないようにするには、「土に還る」ことはもはや、新しいものを生み出すときの最低条件になっていくのかもしれません。

もうひとつ重要だと思ったのは、「内臓」と「外臓」は、対立するものでも区別されるものではなく、すべてのものが二つの性質を持っていて平等であり、循環しているものだということ。ごみとわたし。ごみとごみ以外。わたしとわたし以外。それぞれに境界線があると思ってきたけれど、その境界線を曖昧に捉えなおすことで、「環境」や「循環」という言葉が、もっと身体的な自分ごとになっていく

「ごみを減らす」「地域の人々をつなぐ」、それだけでもコンポストは未来にとって価値のある取り組みです。ですが、今回「外臓」をキーワードにぐるぐると考えてみて、それだけじゃないかも!という気づきに出会えました。

自分の体の外もぜんぶ「臓器」だと考えてみる。世界はいつも分解して、分解されて、循環している。コンポストは、ごみと人間と地球の境界線を溶かす、重要な器官になってくれるかもしれません。



参考資料、参考WEBサイト
・「アイランドシティをモデルとした半径2km䛾生ごみ資源化100研究会」(NPO法人循環生活研究所)https://www.recycle-ken.or.jp/files/public/SeminarDetail/0/SeminarDetail_450_file.pdf

「1.2mile community compost」(株式会社4Naturehttps://www.4nature.tokyo/community-compost

・「wormhotel」 https://wormenhotel.nl/

・「アムステルダム市が公表した「サーキュラーエコノミー2020-2025戦略」の要点とは?」https://cehub.jp/insight/amsterdam-circular-2020-2025-strategy/

・石倉敏明さんインタビュー 外臓と共異体の人類学 - ÉKRITS / エクリ  https://ekrits.jp/2020/12/3980/

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本メディアWONDERは「あらゆるいのちをケアする想像力」をはぐくむDeep Care Labによって運営しています。100年後の未来や生態系への想像力が触発される学びや実験、事業を多様なセクターと共創しています。プロジェクトの協働ご興味ある方はぜひお気軽にご連絡ください。

書いた人:三浦真央子( twitter @maokomiura )

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