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変化と循環にもまれる道を選んだ話

前のダンプが止まっても、そのままブレーキかけないでおこう。

原付バイクで帰宅する際、よく頭をよぎった考えです。

今まで生きてきて、ここまで思い込んでしまう事はありませんでした。

僕は結婚を期にたびたび

自分を変えて生きるか?

死ぬか?

の2択を迫られることになります。

今回は、そんな自分が大切なことに気づくのに約10年ほどかかった話をしようと思います。

【結婚第1期】驚きと戸惑いの連続

自分にとっての普通が、妻にとっての異常であり悪なんだと感じていたのが当時の僕です。

とんかつソースの種類を間違って買って帰ったとき。

約束の時間を30分過ぎて帰ったとき。

言われたことを聞かずに違う行動をしたとき。

僕がこれらの行動をすることで、妻はまるで何かに取り憑かれたような怒りを見せます。

「話を聞け!」

「連絡や共有をしろ!」

「分からなかったら聞け!」

なるほど最もな意見なんですが、日常生活においては僕の通常とは違っていました。

育った環境なのか、元々の性格なのかは分かりませんが、とにかく驚きと戸惑いの連続だったのを覚えています。

【結婚第2期】忘れていた感情を思い出す

こうしたことが日常的になり、驚きと戸惑いが怒りや悲しみに変化してきたのが第2期です。

ようやく、正常な人間の感情が出てきたと言うべきでしょうか?笑

子供の頃を除くと怒りや悲しみに直面する機会は、ほぼ無かった。

特に20代の好き勝手していた時期は、何の変哲もない日常の中で少しの不安と少しの希望の間で揺らいでいました。

夫婦げんか(この段階では一方的に怒られるのみ)から「自分の中には怒りや悲しみがちゃんとあるんだ」ってことに気づき始めたんです。


しかも、それがえらくエゲツない感情👿


とてもじゃないけど表に出せないドロドロしたものであることが分かったし、だからこそ出てこなかったんだとも思いました。

殺したいまでは行かずとも、この時ほど妻をボコボコにしたいと強く思ったことはありません。

それを必死で我慢する為に、壁を殴ったり掌に血豆ができるほど拳を握りしめていました。

この時の妻は、じっと僕の動向を目の前で観察することが多かったです。

頼むから離れてくれ!

手が出てまう!

って心の中で叫んでいるんですが、とにかく怒りを抑えるのに必死でした。

こんなことが数回あったのが第2期です。

【結婚第3期】うまいこと乗りこなせてきた時期

1期2期を経て、妻のことや自分の感情のことを整理した気になり「乗りこなせてきた」と勘違いする時期に突入します。

振り返れば、期間的には1番長かったんじゃないでしょうか?

こうすれば自分の怒りから回避できる。

こうすれば妻は怒らない。

こんなことを、日々考えながら生活していました。

それでも度々トラブルは起こるので、都度内容を更新して自分なりに乗りこなすのが上手になってきた時期です。

苦労の甲斐あって、ようやく自分が楽に生きれる方法を見出してきたと感じます。

自分の怒りを整理し、妻の怒りに対しても上手に受け流せるようになったつもりでした。

結構、自信あったんです。ほんとに…

【結婚第4期】人に与えること「愛」に気づく

これまでの経緯を見て分かるように、もう自分のことで精一杯でした。

人を大切にしたり、思いやりを持てる状態ではないですよね。

やっと自分を楽にする方向性が見出せた段階なので、自分の足で立つのがやっとの1歳児と変わりません。


この時で、すでに40歳🧓


第3期で一通り攻略した結果、次はこんな感覚が芽生えてきます。

「諦め」「軽蔑」「絶望」「落胆」「疲弊」

つまり

自分は頑張った→周囲は認めてくれない→世の中クソやな

系のやつです。

そんな時、ある動画に出会います。

動画の中で、加藤秀視さんという方が「与えることが経済活動になる」と伝えていました。

思い返せば与えられたものばかり。

社会人になって仕事を探すのは自分ですが、仕事自体は会社に与えられます。

与えることを知らない人間が、大人になっていきなり与える側には回れません。

僕は、これを知って与える行為をやってみますが、なかなかうまく行きませんでした。

【結婚第5期】新しい世界が見えてくる

この第5期が直近の状況になるんですが、ここで変化のスピードが上がります。

よく意識が大きく変わることをパラダイムシフトと呼ばれますが、それが立て続けに起こる状態。

パラダイムシフトならぬワールドシフト級の変化もありました。

ここからは少し整理してお伝えしようと思います。

自然とのつながり

これは養老孟司先生から教えてもらった内容です。

自然って何故か人間以外に使われることが多いですが、人間の体も自然なんですよね。

何故か日常では、それから離そうとする動きがあり、敢えて無視しようとしている。

・陽の光を浴びない
・紅葉を見て感じない
・空を見上げない

また自然を感じようとする際も何か理由を付けたがります。

・太陽光はビタミンDを生成するから良い
・紅葉を見ることでストレスが緩和される
・空の色はリラックスの効果がある

これらは間違いではないですが、理屈から入ると感じるのを疎かにします。

養老先生は「どうせ人智を超えたものなんだから考えたってしょうがない。
ただ感じるだけで良いんだよ。」と仰ってます。

子供と外へ出るのが苦痛だった僕にとっては、大きな変化となりました。

子供は大人よりも自然(植物等)を素直に受け入れ、それを見た自分が子供といわゆる自然を素直に感じれるようになったのが、この時期です。

結果的に仕事がはかどり、生活には今までなかったタイプの充実感が出てきました。

左脳を使わず右脳を使う

妻とのディスカッションの中で、左脳と右脳のキーワードが出てきました。

共通言語として左脳が顕在意識で、いわゆる頭で理解しようとする部分。

右脳が感覚です。

過去の夫婦喧嘩を振り返り、こじらせてしまう原因の1つに僕が左脳で考え込んでしまうことが挙げられました。

自分ではずっと理論派で左脳的な人間だと思っていたんですが、大間違い!

その逆で右脳9割の左脳1割だったんです。

自分の行動や心の中にあるジレンマを見た結果、この結論にいきつきました。

壁に当たったときこそ右脳を働かせて感覚に忠実になることで、夫婦関係だけでなく仕事もスムーズ。

思い出したのが、幼少期に右脳的な僕を左脳側に矯正しようとした親の躾で。

だからと言って親を恨んでいる訳でもなく、逆に左脳もある程度使えるようにしてくれたことに感謝しています。

自我を捨てる

自我を捨てて無我になろうとしたきっかけは、妻から「もっと家族を見て欲しい」という強い要望からでした。

妻曰く、僕の言動からは「自分だけが得することを選び、自分だけが楽して、人のことを考えない精神性」が見えるようです。

以前から何度も言われていることですが、言われて気づく程度で自覚がありません。

一度真剣に考えてみようと自分で決めて、どの部分がそう思わせているのか?を考えました。(これも左脳ではなく右脳で感じる要領)

結果、それが自我を捨てて無我になる行為になりました。

この「我」の定義ですが、自分にとっては嗜好品や怠惰に似た感情です。

酒呑みたい、ゴロゴロしながら動画みたい、(副業の)作業したい、パチスロ行きたい、1人の時間がほしい

これ系が常にくっついていることで、どっかで自分の「楽」が入らないか模索していました。

これを捨てて無我になることで、本当の意味で妻のサポートや家族と向き合うことに一歩近づいた気がしたんです。

自分を見つめるとは感覚を感じること

これら全てに繋がるポイントは、自分を見つめることにあります。

自分を大切にするってワードを耳にすることが多くなりましたが、大切にする前に「今自分がどんな状態なのか?」を見つめることが重要です。

現状を知っておかないと、大切にする方法が分からないですよね。

この見つめ方も理論的に考えてはだめ。

感覚として自分の体を感じ切れるのが大前提。

この上でメソッドを活用しながらカスタマイズする必要があったんです。

メソッドに頼って改善すれば、ダメだった時すぐ切り捨ててしまいます。

全ての答えは自分の中だけにあり、それはそれはオリジナリティに溢れたもの。

それを認めた時には真から幸せになり、何もいらなくなるでしょう。

これが、木で言うところの幹を育てる行為です。

最後に

この記事を書いている「今」も、どんどん新たな価値観や視点や世界が生まれています。

そして、この記事は過去の自分に対して書いているものであるため、自分自身の言語で執筆しました。

強いて伝えたいことがあるならば、手段に奔走するんじゃなくて自分の中にある目的を見つけようってことです。


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