東京のド下町・浅草に残る戦後の残滓…路地裏に焼肉屋だらけ!伝説の在日コリアン集住地「朝鮮マーケット」を訪ねる
東京の数ある街の中でも「浅草」と言えば下町観光地の代表格としてその座を確固たるものとしている。年がら年中外国人観光客が訪れては街中を闊歩し、東京の下町文化とやらの上澄みをキャッキャウフフと楽しんでは日本的情緒に浸る…そういう場所として定着はしているものの、顔の皮一枚剥がせばとんでもない“東京の暗部”があらわになる…弾左衛門の時代から脈々と続くアウトサイダーの系譜を受け継ぐ稀有な土地として、この土地への畏怖を忘れてはならない。そこでまた事件が起きた。
今年2月14日、台東区今戸のマンションに住む夫妻が4歳の次女に向精神薬や不凍液を大量に飲ませるなどして死亡させたとして逮捕された。この夫妻は浅草エリアの駒形橋たもとにあるホテルの経営者でもあり、ホテルの他にもマンションの家賃収入などで暮らす資産家夫婦としても知られていたが、まあともかく文春オンラインの上記記事でも読めばいかに異常な人物だったかということが書かれている。
“あの奥さんはサイコパス”…だなんて、下手な小説よりもリアルな話ですけれども、逮捕された夫の父親が革製品の加工会社で財を成して、それでホテル経営も始めたというやり手で、しかし2018年に夫人、次姉、父親の三人が相次いで不可解な死を遂げており、単純な児童虐待死案件というわけでもなく、もっともっと事件の内幕は深いようだ。そもそも浅草という土地に渦巻く因縁の深さを思うと、なかなか考えさせられるものがある。
…そんなわけで我々も、異様な虐待死事件や資産家夫婦の存在は露知らず、新年も早々からおめでたムードの浅草の街に出掛けてきたわけだ。浅草寺の裏手にあるアーケード街「ひさご通商店街」の北側入口に降り立つと、東西に横切る言問通りを境に吉原や山谷や今戸などの奥浅草エリアへと続いている。言わば浅草の“表の顔”と“裏の顔”がこの言問通りを隔ててくっきり分かれている。因縁深さを感じますよね…
今回訪れたのは浅草に戦後の時代から存在していた「朝鮮マーケット」と呼ばれたネーミングそのまんまやん!とツッコミを入れたくなる在日コリアン集住地の現状確認のためだ。昭和26(1951)年に在日朝鮮人達が米兵を襲撃した「浅草米兵暴行事件」という出来事が起きた舞台が、ちょうどこの付近だったという。
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