見出し画像

連載型ショートショート「大人と教え」

会社からの帰り道。最寄駅に21時すぎ。決して早い帰宅ではないが、なぜだかいつもと同じ道を通って帰る気分ではない。寄り道として、いつもと違う道を通る。

商店街を通る。ガラス扉の塾。
ガラス扉は、看板代わりのシールが貼られているものの、中がよく見える。入り口前のカウンターに寄りかかる制服姿の女の子の背中がみえる。
カウンターの向こうにいる先生と話し込んでいるようにしか見えなかった。
直感で思った。女の子はきっとカウンターの向こうの男性講師に夢中だし、話したくて仕方がなくて話していると。

ふとあの頃を思い出す。
私は塾に通っていて、塾にいる時間が好きだった。講師たちと話している時間が好きだった。
その当時は、自分の身近にいる年上男性は何もかも大人に見えていた。自分の知らないものを知っているし、さらには持っている。年齢の差という経験値の差による魅力があると信じて疑わなかった。
塾の先生。教育実習の大学生。アルバイト先のお兄さん。

彼等は皆が、その魅力を持っていたし、私はその魅力の虜であった。思慕を恋慕と勘違いするほどに深く魅了されていた。

10年の歳月が過ぎ、私は20代半ばになった。
私には、8歳上の恋人がいる。
恋人はとても素敵な人だし、恋人にどっぷりハマっているという言葉が、今の私を表現するのにしっくりきすぎている。

でも、それは思慕で形成された恋慕ではない。10年前の年上男性の魅力と恋人の魅力は別物なのだ。私は恋人を憧れ追いかけ続けることばかりではないし、恋人を困らせることだってできる。現に、恋人はよくタジタジとした様子で笑い、困った顔を見せる。私は恋人のその様子を見ると安心する。
恋人とはよく横並びで歩く。私が前を歩く時もある。
恋人が知らないことを私が得意げに教えてあげる。恋人はそれを楽しそうに聞き、もっと知ろうとしてくれる。私が知っていて、恋人が知らないことがあるのだ。

それでも、やはり恋人は年上男性で、経験値が私なんかとは違う。恋人は結婚している。私は結婚をしていないし、結婚をしたことがない。結婚を知らない。

私は、恋人には結婚を知らないで欲しかった。いつも通り私が教えてあげたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?