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人生の過渡期?占いに求める答えの一歩先をゆけ!

今年前半戦、都合により、占いを激しく偵察していました。
とにかく当たらないんですょね!

・・・それは後で書くとして、
普通に、ヨイことが書かれていたら嬉しけれど、その時の安心程度であとは忘れて過ごす~という人が大多数かもしれない。
それにテレビ番組、突然ですが占ってもいいですか?でも、どうせ台本があるのだろぅとか、ロックオンに懐疑的で、受けてるタレントさんの構えの姿勢からしても、世の中、現実世界の努力や実力こそ全てで、あまり信じない人も多いのかもしれません。

確かに、金運がよい~とか、プロジェクトの成功、出会いのチャンス到来!と言われても、普通の固定給の会社勤めだと、臨時収入も、仕事の大抜擢も関係ナシで、無駄な期待は最初からしないに限るのか?

とは言え、昔より占いの精度も上がって、なかなか読むのは楽しい。
昔は占星術というより「星占い」とか「おみくじ」感覚なユルい感じだったけれど、霊視とか、番組でも「神通力で占います」~なんて、最近は言っていいんだね?という感じで、時にはスピ系のリーディングも、風水などとは扱いは別格ながら、テレビでやっているとちょっと嬉しい。

占いに頼る度合いは人それぞれで、信頼度マックスの人だと、注意すべきことやラッキーカラーを忠実に守って、自分の幸せに貪欲な人も少なからず居たりする。私にもそぅいう時期はあります。

結局占いに頼りたい時は、仕事・恋愛・健康、悩み・成功・未来の不安…、内容は何であれ、大丈夫と言って欲しいということかなと思います。

思う答えが得られなかった場合のハシゴ、占い難民になる人も居たりする訳で、・・・思うにその辺り、放浪するのはやめなさい!という占い師さんもいますが、私自身は(もぅこれは趣味とみるとか、単に先に進まず放浪していたい気分の反映とみて)、好きなだけ偵察したらいいんじゃないかと思うんですょ。
いつか、占いに頼らないで言われる前に先に自分で決めて切り開く~なんてタイミングで、その気分に合った占い師さんに出会うと思うので。

・・・と言うことで、結局は自分の気分が一番というお話しでした。

それで、占い結果は、結局どぅでもイイ~なんて言ったら乱暴ですが、どのみち、世界は回ってなるよぅになって、後から意味が解る~なんて事もあると思うんですょ。(映画『マトリックス』じゃないけれど、結果、救世主になる場合もあるし。)

まさに苦悩の真っ最中で、そんなふざけた態度で占いを頼っている訳ではない!という方には怒られそうですけれど、占いは拡大解釈アリで、結局は自分が先、自分がどうしたいかが先、結果をどう捉えてどう行動するのか?ではないかと思います。占いは当たるも八卦で責任をとってはくれません。

それに、こんなことがありました・・・

占いが外れることって、勿論あると思うのですが、俗にいう『当たる占い師』の友人が、外れるなんて変だと首をかしげる事態に遭遇したことがありました。
いくら『当たる占い師』であっても外れることもある~と片付けたい訳ではなく、彼の観た確率の高い想定域と、わたし個人の裁量で変えることのできる可動域の最大限、ギリのところ(または、ちょっと超えちゃったところ)で起こったことの、ギャップが激しいこともあるのかな?…と。
・・・もしくは、私が上手いこと克服したか、ギリ無事だったというのを大変なことと捉えないメンタルの持ち主だったから?

占いというのは(人によるとは思いますが)、結構自分で察知しているけれど、自分の頭で邪魔して、こうなって欲しいとか、勘が外れて欲しいとか、何かしらの葛藤があるので、カードという三次元に落とし込んだもので確認したいとか、冷静に観ることが出来ない自分の手を離れた誰かに判定を委ねたいと思ったりするのではないかと思います。

ありがちなのは、ペンジュラムに白黒つけてもらうつもりが、実は自分で好きな方に回してないか?なんて思い始めて何度もやっていると、自分すら信じられなくなってくるとか。

タロットについても、よく、何度もひいてはいけない~なんて昔は聞きましたし、ネットでも、一日1回しか引いてはいけないと注釈があったりするものもある。
これも、お察しの通り、私は個人的にはタロットを何度ひいても別にいいと思うんですょ。ペンジュラムよりも自分で操作できないですし。カードが当たるなら、何度ひいても同じのが出たり、似たカードが出たりするのでね。

方法はともかく、意見が良い感じに一致していたら勿論問題なくて、タイミングよく、当然背中を押してもらえる~といのがベストで嬉しい結果になりますけれど、逆に、何か意図しない答えについては、全力で忘れようとするか、放浪するとか、・・・、そもそも、そんな時は、そんなコトだろぅと勘付いていたりするのでね。
・・・だったら、どぅするの?というコトなんですけれどね。
(ここ、↑ 実はサラっと重要なコト言ったんですょ。)

だいたい予言は聞いた瞬間から未来が変わってゆくもので、「占いを聞く前と後」みたいな、結局どっちが先か?というとても重要な問題はあるにせよ、先ほどの『マトリックス』の救世主問題のようなことになるので…。
なので、どの道、行き着くべきところへたどり着くのかなと思います。

あと、注意しましょう~というアドバイスは気を付けるべく覚えておくとしても、困るのは、何かネガティブなことが起こる~という方に自分が寄って行ってしまうことかなとも思います。気持ちが負けるというか?
例えるならば、こぼさないように気を付けてね~と言われたらこぼすとか、ボーリングで右側1ピン残りでガーターに注意してねと言われると、余計に意識しすぎて吸い込まれる~みたいな。

いわんこっちゃない!というコトですょね。
まさに、有言実行!THE 引き寄せの法則~という感じですょね。
もぅあなたは引き寄せの達人!

不安や緊張で普通と違う感覚と、潜在的に注意注意と思っていると引き寄せる、そぅいうのは、平常心を保ってほしいなと思ったりします。

大きな流れというのは、概ね決まっていて、人生の変えられない筋書きというのが存在するけれど、だいたいの悩みは大筋よりコマゴマした枝葉の部分だったりするので、大勢に影響はない~なんて言ったら、またこれも乱暴すぎて怒られるかもしれませんが、本線の支流はそれぞれまた本線に合流して、その道すがらの枝葉は、独自キャラの自由な可動域で、遊びの部分なのではないかと思います。

一喜一憂してもいいけれど、楽しんで!そして浮上しよぅ!

さて最初に書いた、占いを激しくチェックしていた今年2020年の上半期ですが、面白いほどに、どの占いも当たりませんでした。

もしかすると、私の人生はそんな感じじゃないってば!というのを、イヤというほど見せられた~という気もします。逆も真なり!?

ちなみにここから、友人占い師が首を傾げた案件について軽く話しますね。

それはかなり難易度の高い資格の二次試験の日のことで、まだ東京に住んでいなかった私は前日、遠距離を上京し、電車やら飛行機やらモノレールやら、色々乗り継いで、当時勤めていたメーカーの本社の同僚数名で食事をし、新宿のホテルに一泊。
翌日の試験当日は会場が近かったこともあり、試験開始時間に合わせチェックアウトを遅らせて、それまで試験勉強をしつつ、余裕で出発したのでした。

アクセスもランドマーク的にもとても分りやすいにも関わらず、なんと道に迷い、試験開始ギリギリに到着。結果的に試験は落ちましたが、外れたかも?というのは試験の合否ではなくて、そもそも、会場にたどり着けないほどの交通に関する災難がある日・・・だったようです。

もしかすると、事前にその日は交通関係に充分注意してね~と言われていたのかもしれませんが、後日、有り得ない迷走でギリ到着~という報告をしたところ、冒頭の、変ですね・・・、という話しになったのでした。

恐らく確率的に、ホントに自信満々アクセス最悪の日で、試験後もまた電車やら飛行機やら、いくつも乗り継いで帰宅した訳なので、どこかひとつくらい乗り過ごして予定通りにいかない日だったのかもしれない。
(実際、有り得ないほど近いのに迷いましたしね。楽観視する性格ではありませんでしたが、自分が方向音痴ゆえ~と解釈していました。)

試験自体は、当時通っていた趣味の講座のおとなりで、この試験の為の講座が開かれていて、それがきっかけで受験したのですが、本職の人すら一次試験にもあまり受からない程で、しかも私は社会人ながら大学にも籍があり、更に、翌週にはまた上京して部屋探しをして、その次の週には本社へ異動という、そんな勉強してるどころの状況ではなくて、転勤という人生の大分岐点の真っただ中の出来事でした。

人生で何度かあると思いまうが、何やら同時多発的に大きな出来事が、それぞれ物凄い速度で追い立てられるように起こったりしません?
そぅいう時って、物理的にも精神的にも、ひと皮むけるというか、大人になるというか、人生のステージの次元が変わるというか、そんな気がします。

占いが全く当たらないという今年前半もそぅですが、何かしら過渡期、転機の渦の中で、特異な状況や、ついでに自分の時間軸が変なことになったり(それこそ別なタイムラインにシフトした時のズレを感じるような?)、そん感じで、物理的にも不思議なことが加速して起こるのかな?と思ったりします。

当然、そぅいう事態では占いをチェックしている場合じゃなくて、何だか判らなくても、とにかく内なる声でどんどん加速して、そして占いすら追い越して~というのが理想かなと思います。

いずれにしても、占いは、というか、人生は、結構どっちでもいいな?とか、ヨイもワルイも一緒だな~なんて思います。
ワルイからヨイところを見せられるチャンスだったりもするし、ワルイから方向転換するヨイ機会だったり、何がヨイ・ワルイという判断はできない訳だな~と思います。

そんな、どっちでもイイ感じな自分が意外に好きです。

こんな、どっちでもイイ感じの考えに触れて、臨機応変、適材適所、喧嘩上等(これは違うか!)、不運も糧にして挽回・逆転、それでも世界は回る~で、たくましく、かつ柔軟な捉え方もアリかななんて、信じるモノの許容範囲を広げtもらえたら嬉しいです。

それでもそんな、切り開いて行けるのは結局は実力のある人だ~とか、自分の悩みは人一倍大きいのだ・・・、と思うような事態に見舞われることもあるかもしれません。
まったくもって他人と自分を比べることなんてできない訳ですが、デキる人と思れる人にはさらに難易度が高めの試練があるやもしれず、こんなレベルや難易度などというのもどぅかとは思うのですが、人が軽々とこなしている課題はホントに簡単だったのか?難しいと思われる問題は本当に解決できないことなのか?ほかに選択肢はないのだろぅか?・・・

答えはありませんが、私からの提案としては、大切な時期や立ち向かうべき問題は、自分ファーストで、自分の心に集中してほしいと思います。

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