家族がいてもいなくても
子どものころから実家は新聞を3紙取っていて、長く勤めた元職場には東京新聞含め6紙届いていたこともあり、私は新聞を読むのが好きである。
職場の新聞は翌朝、新しいものと引き換えに清掃の人が片付けてしまうので、よく帰り際に、家で取っていない新聞をもらっては電車の中で読んでいた。
久田恵さんの「家族がいてもいなくても」というエッセイの連載が始まったのはいつだったか。20年近く前だったような気もするけれど、やっぱり帰りの電車で目にした。初めて見たとき30歳前後だった私は変なタイトルの連載だなぁとおもったのを覚えている。
当時の私にとって、家族がいてもいなくてもなんて当たり前のことで、意識するようなことじゃなかったから、このタイトルは「空気があってもなくても」に等しいくらいヘンな感じがした。(空気はないと大変だけど)
そもそも仕事に恋に旅行にと忙しかったから家族の優先順位は低く、タイトルにわざわざ家族という単語を持ってきちゃうんだ、なんでまた?と。
月日が流れ、おそらく連載を始めた頃の久田さんと同年代になり、仕事もリモートワークとなって静かな生活になった今、なんだかこのタイトルを付けた意味がわかる気がしてきた。まさに私のnoteは家族がいてもいなくても状態。
相変わらず、普段はたいして家族のことなんて考えていないのに、文字にするのは娘のこと、両親のことが多い。私も家族とわちゃわちゃやって、やがて一人になって、人生を終えていくんだな、なんておもう年になったのだ。
だからなんだという話だけど…。