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消防士になったきっかけ

自分の消防人生の記録のためには、まずは最初からいかなくてはなりません。
一番古い思い出は保育園の時に、消防署見学ではしご車に乗せてもらったことがあって、その光景は今でも覚えています。
あと、僕の少年時代はドラゴンボール全盛期であり、正義のヒーローになりたくて、消防士こそヒーローだろうと思ってました。
だから、学校でよく聞かれる将来の夢にはことごとく「消防士」って書いてましね。

それで中学、高校と青春時代はそんなことは忘れて、ろくに学校にも行かず、パチンコ、麻雀、バイク、夜遊び等、好き放題してましたね。
今でも母親にはあの頃の話を恨みつらみ聞かされます。ごめんなさい。
で、そんな僕はどうせろくな人生でも無いし、ドカタにでもなってあやしい先輩の後についていこうかとも思っていたんですけど、母親が、頼むから大学に行ってくれ、しかもあんたは地元におったらいけんから都会に出なさい、ってことで大阪の私立の大学に行きました。

一人暮らしをしてみると、いかに今までの自分が甘ちゃんで、母親が苦労をしていたかが分かったんですね。
よく高いお金を払っていかせてくれましたよ。本当に。母親は偉大です。
それで、自分の中でも変わらなきゃってことで、地元の悪友たちとは縁を切り、大学も何とか4年で卒業できる目途がつきました。

就職先はどうしようかと悩んでて、まあいわゆるFラン大学なのでまともな会社に就職できる気がしてませんでした。エントリーシートで落ちる毎日。やっと二次面接まで行くと、空回りの自己アピールは今思い出しても恥ずかしいです。そうして、民間の採用試験に落ち続けたときに、「本当は俺、何がしたいんだっけなー」って思って、昔の自分の夢を思い出し、消防士を目指してみるかと一念発起しました。
大阪の夜の街を一人でランニング、筋トレ、公務員試験の勉強を繰り返し、地元の消防署に合格することが出来たんです。
まあ、大学の友達もびっくりしてたし、ゼミの先生も最初信じてくれませんでしたからね。
時代は就職氷河期であり、人気の公務員にFラン大学のもともと素行の悪い学生(警察のお世話に数回、家裁数回、保護観察数回)が、消防士になったんですもん。ようやく親孝行できたなーって実感しましたね。

今思い出しても、非行に走った高校時代、人生をやり直した大学時代は僕にとっては必要な時間だったかもしれません。
自分の息子がこんなんになったらと思うと戦々恐々ですが・・・

続きはまた書きまーす

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