D.Oの音楽活動のストーリー⑤〜ブルータルメモリーズ〜
D.Oの第二の人生は、ここから始まった。
それくらいブルータルメモリーズは、
感動を記憶に残してくれました。
今回も前回に引き続き、
自身の生い立ちを紹介するような記事を連載したいと思います。
(3年前に書いた、自身のブログからの転載・リライト記事となります)
ヘビメタだったD.Oから、ポップスのD.Oでの再スタート
意気揚々とやっていたデスメタルバンド、RENEGADER。
そのデスメタルバンドの活動を終えたのは、
デスメタル以上に大切なモノに気付かされ
それを機に色々と壮絶な体験も重なって
一度ボロボロの自分となってしまったためなのですが、
それから何もかもを否定してしまい、
(今まで必死でやってきたことを特に否定する)
「今まで何やってたんだろう…」とか、
「これからに未来なんかねぇ…」とか、
とにかく哲学的に考えてしまって
病んで行ってしまったからでした。
もう、飽和している自分と、
何もする気が無くなってダメになった自分とで、
落ちるとこまで落ちてしまって行ってたんです。
バンドを終えてからの僕は独りとなり
ただ生活の為に仕事だけしている状態で、
休日が来ても独りだけでただ海を観に行ったり
ただソフトクリームを買いに行って食べてみたり、
そんな魂の抜けきった自分になってしまいました。
自己否定にまみれて気力が無くなった僕は
以前のオラオラな自分をとにかく消したくて、
ギターを売り払ったり、衣装だった迷彩服や
奇抜な私服を全て捨てました。
そして一度紹介したことがありましたが
「BURST」っていう悪い内容の雑誌を毎月買って集めていたんですが、
ゴシップやサブカルの度合いが卑劣過ぎる内容の雑誌だったので、
それも全て捨てました。
とにかく、あの頃の自分を作り上げて来たものは
全て処分していきました。
そして、大して気もないのに
今まで気にもしなかったCDや音楽雑誌を
適当に買ってみては、
無気力に聴いたり観たりしながら、
ただただ途方に暮れたまま生活をしていました。
そんな抜け殻となった生活から半年が経った頃、
あまりに何もない自分に苦しさを覚えるようになり出し、
5000円で中古のアコースティックギターを買ってみました。
やっぱ音楽で90%できてしまっていた自分は、
完全に音楽を無くすことができなかったみたいで、
何かを演ってまた生き甲斐を取り戻したいと思うようになったのです。
とても簡単でとても楽なスタイルで、
とにかくなんでもいいからステージに立ちたい。
じゃないと、自分の存在がわからないままで生きているほど苦しいものはない。
そんな思いが再びよぎるようになって行きました。
そして僕がとった行動は、
大の仲良しだったヘビメタ仲間を誘って、
今まで演って来なかった形の音楽ユニットをやる
ということでした。
あれだけメタルを否定するようになったのに、
ヘビメタ仲間を誘うなんてと
またヘンな気持ちが駆け巡りましたが、
彼はヘビメタとしてってより、
人として仲良しだったのです。
彼は、Seizyという、因幡ヘヴィメタル連合を一緒に立ち上げた人物でして、
僕が演っていたヴァイオレンスなデスメタルとは180°違う、
メロディックなパワーメタルを演っているヴォーカリストでした。
彼はヴォーカリストとしてパワーメタルバンドを演っているし、
僕はヴォーカリストとしてデスメタルバンドを演っていたし、
「そんな2人が、綺麗で優しい歌を唄うデュオとしてステージに立ったら
みんなどんな反応をするだろう?」
という想像だけが、わくわくさせてくれたのでした。
その頃ちょうど、「月刊EXILE」の創刊号を手に入れた頃で、
EXILEのような人間になって行きたいと思い始めた頃でもあり、
ヴォーカリストとして彼等のような
温かい歌を唄えるようになれたらと思うようになっていました。
実は、孤独に過ごしていた半年もの間、
僕は週4でカラオケに行き、
めちゃくちゃ唄の練習をしていたのです。
独りで。
僕のヴォーカルはデスヴォイススタイルだったし、
しかもまともにVo.をやり出したのが、RENEGADERからだったので、
決して上手に唄える方ではありませんでした。
それなのに凄すぎる歌を唄う、
CHEMISTRYやEXILEくらい唄えるようになりたいという一心から、
たった独りで唄を練習していました。
おかげさまで、その後に立って行ったステージでは、
それなりに唄える自分で活躍することができました。
なので僕等は、
「メロディックパワーメタルバンドのヴォーカルをやっているSeizyと、
ヴァイオレンスデスメタルバンドのヴォーカルをやっていたD.Oが、
優しく華麗に唄いあげるバラエティヴォーカルデュオユニット」
というプロフィールをキャッチコピーにして、
2人ともヴォーカルだということをしっかり位置付けるように、
2人ともパートをVo.と表記して活動していくことにし、
2009年より少しずつ活動をスタートしていきました。
そして2人のユニット名は、
「ブルータルメモリーズ」。
意味は、残虐非道な思い出。
…ダメな名前ですね(笑)
「どういう意味なんですか?」と聞かれる度に
答えにくかったのをよく覚えています。
(じゃあ付けるなよ…)
ガチンコでデスメタルを演っていた過去の自分を揶揄するために、
こんな訳の分からない名前を付けちゃったのです。。
というわけで僕等2人は、
2人ともヴォーカルとしてステージに立つ形式で
このユニットを演って行きました。
そう、最初はカラオケという形で
ステージを演っていたんです。
まあ、大のミュージシャンがカラオケ大会でもないのに
カラオケでステージに立ち、
CHEMISTRYやEXILEを唄うワケだから、
絶対に上手じゃないと話が通らない。
と尻に火を付けながら、
当初このスタイルを続行していました。
こんな、アホなことを始めた2人でしたが、
その後どんどんと話題を呼んで行くことになるのです。
ヘビメタだったD.Oから、ポップスのD.Oでの再スタート
そんなブルータルメモリーズの初ライブは、
地元の本屋さんの周年イベントでした。
その本屋さんでは、
CDコーナーの踊り場がステージとなっていて、
ソコでカラオケを5曲歌いました。
ブルータルメモリーズは、そんなスタートで幕を開けました(笑)
ショップのイベントだったので、
まあ隔たりなく喜んでもらえたステージでした。
それを機に、今までバンドでライブハウスや
野外フェスでしか出たことの無かった2人は、
納涼祭でリサイタルを演ったり
地域の観光イベントで演ったり、
演歌のカラオケ発表会に誘われては
ハーモニーを聞かせた唄を届けたり、
今までに体験したことの無い場所でライブをすることが主になって行きました。
よく唄っていた曲は、
やはりCHEMISTRYとEXILEでした。
CHEMISTRYは、
・You Go Your Way
・My Gift To You
・Almost In Love
EXILEは、
・Everything
・Someday
・I Wish For You
・Rising Sun
・Choo Choo Train
をよく披露してました。
CHEMISTRYはバラードナンバーを、
EXILEはダンスナンバーをカヴァーしていたわけなんですが、
CHEMISTRYではとにかく歌唱で勝負するために披露し、
EXILEは会場をドカンとバズらせるために披露していました。
なので、僕等としては、プロフィール文に
「鳥取のCHEMISTRY」と謳って
ステージをこなしていたのですが、
でもなぜか、どちらかというと
「デキ損ないのEXILE」だと
いじられていました(笑)
そんなことを演って活動をしていると、
こんな依頼がありました↓
鳥取県は「食」を推進している県で、
美味しい農産物や海産物が沢山とれることで有名なのですが、
魚のサバの卸を産業にして営んでいる地方がありまして、
それをモチーフにした食のイベントで「鯖サミット」という
ユニークなイベントが開催されているのですが、
その中で地元アイドル達と同じ扱いで出演をお願いされ、
サバザイルをさせられたことがありました。
お仕事で(笑)。
「EXILEを唄って踊ってくれ」という依頼だったのです。
しかも、午前と午後の2公演で。
僕とせいじは、ATSUSHIとTAKAHIROをやって、
ダンサーには、鳥取大学のダンス部をバックにつけて、
EXILEを再現するというミッションでした。
そして僕等は、
「これだけは、デキ損なってはならないッ!!」
という強い使命と責任を持って、
このミッションを承ったのです。
それからの当日までの日々は、
ブルータルメモリーズが唄と演出の特訓、
鳥取大学ダンス部が振付とフォーメーションの特訓を積み重ね、
当日1週間前になれば、全体でのリハを重ねて
サバザイルを完成させて行きました。
そして当日、本番2公演ともに、
会場は盛大な盛り上がりを見せ、
EXILEの(OKAXILEも)PERFECT YEARならぬ、
PERFECT サバーとして喝采に終わりました。
その当日のステージの様子がこちらです↓
他には、CM撮影をしてもらったことがありました。
とある制作会社の新企画へのモニターとして、
僕等はCMを作って頂くことになったのです。
このCMは、クタクタでやけくそになっているD.Oを、
Seizyが迎えに来て、また音楽をさせようとギターを与え、
ブルータルメモリーズが始まった。
というストーリー仕立となっています。
コンテと演出は、僕が担当しました。
そのCMがこちらです↓
ブルータルメモリーズで一番やったこと、それは「まちづくり」だった
ブルータルメモリーズと言えばコレという物事があります。
それは、因幡ヘヴィメタル連合の時のように、
ブルータルメモリーズが主催する音楽イベントを開催していた
ということです。
こちらもイベントに価値を出す為に、年に一度のペースで行い、
多種多彩な地元ミュージシャンを招いては、
バラエティに富んだ音楽パーティーとして開催を続けてました。
以前はガッチガチのバンドを演っていた自分だったので、
イベントもバンドフェスとして開催するものばかりでしたが、
ブルータルメモリーズとなってからの僕は、
アコースティックやカラオケで活動してたので、
イベントもゆるくてラフに楽しんで頂けるものにしてました。
ライブハウスのようなオールスタンディングではなく、
テーブルとイスをセットして、
座りながらショーを楽しんでもらう形に。
食事を楽しんでもらいながら、
お酒を楽しんでもらいながら、
会話を楽しんでもらいながら、
というスタイルで、
お客様にはくつろいでもらう形に。
そして、出演者さん達も、演奏スタイルがアコースティックな形で
活動しているグループのみで出演を構成してました。
なので、開催会場は
とことんこだわって企画していきました。
普段は音楽をするところではないようなカフェやバー、
それになんとビルの屋上を会場にし、
野外パーティーとして開催したこともありました。
鳥取のバンドのイベントって、
主催者がプロデュースとディレクションをするものに
メンバーシップとして出演バンドが集まり
そのイベントライヴへ参加料を支払って出演する形を取るものなんですが、
(出演バンドはチケットを売って、その支払った参加料をペイできる仕組みで集客を行う)
このブルータルメモリーズのイベントは
ブルータルメモリーズが出演を依頼する流れでアーティスト達が集まり、
主催の僕等が御礼としてギャラやバックマージンを支払い
主催と出演者とで集客をしていく形で開催してました。
傾向として、集客を必死で行うのが
主催のブルータルメモリーズとなるため、
広報にもむちゃ力を入れていました。
なので、開催チラシのデザインやキャッチコピーにもとことんこだわり、
バンドライヴにあるあるの手刷や自作のチラシではなく、
ディレクションから企画して校正し、
印刷会社で刷った広告をリリースしていました。
そのため、広告費は一切ケチらず、
普通のバンドライヴで使う予算より遥かに投資し、出版してました。
おかげさまで、たくさんのお客さんから
チラシが印象的だったと言われウケがよく、
毎回の開催が満員御礼となっていました。
そんな感じで開催を続けて行くと、運営のためのお金を
しっかりと経理しなければならない規模で動かして行くようにまでになり、
スポンサーまで集めて開催するようになって行ったのです。
もうここまで来たら、単なる音楽パーティーだったハズのモノが、
地元の観光や文化を元気にすることをタイアップにして広報するようになり、
とうとう、一つのまちづくりイベントとして見てもらえるようになったのです。
このイベントのタイトルは、
「山陰の夜が、お好きでしょ。」
演歌歌手の石川さゆりさんの名曲、
「ウイスキーが、お好きでしょ。」から引用し、
大人の優雅なパーティーであることを表しながら、
山陰・鳥取のような田舎でも、地域文化として
「音楽が生活のインフラになっている」
ってことを伝えてました。
こうやって時間を辿ってみると、
あれだけ全てを捨ててった僕が
こんな形でこんなにもカムバックし、
新しい自分で活躍して行ったこと、
自分でも不思議に思います。
けどこうやって、人は生まれてから変わらない何かを持って生きていくのでしょう。
だから、結局どこかでその自分を宝物にして、
その自分を世の中に提供して活躍することで、
否定して来た過去に感謝できる時が来るのだと思います。
これは、形がどうであれ、
幸せに向かって行くためのストーリーだったのです。
それを歌にしたオリジナル曲を
2015年にCDとして発表しました。
タイトルは、「Arise Again And Again」
このCDのリリースなんですが、
実は、ブルータルメモリーズの解散を決めた時にリリースをしました。
リリースの時にはそんなことは誰にも言ってませんでしたが、
終えることは決まっていたのです。
なので、このCDをリリースしようと企画した当初は、
500枚や1000枚はプレスして
たくさんの人にブルータルメモリーズを知ってもらえるように
活躍して行こうと思っていたのですが、
それぞれが次の人生のステージへ向かうこととなったので、
100枚限定の豪華記念版として
1曲のみ入りのCDとして発売しました。
(正しくは1曲のヴァージョン違いで2曲入り)
そしてブルータルメモリーズは、
2016年3月、歴史に幕を下ろしたのです。
このブルータルメモリーズでは
CHEMISTRYや EXILEの他に、
とんねるず、
Philip Bailey&Phil Collins、
CHAGE&ASKA、
Peabo Bryson&Regina Belle、
John Cocker&Jennifer Warnes、
Sarah Brightman&Andrea Bocelliなどの、
デュオで歌っているナンバーを中心にカヴァーをしていました。
ミュージシャンとしては、本来
自分達のオリジナルソングを沢山引っ提げて
活動していくものだと思いますが、
僕等は、みんなが、地域が、元気になってもらうために活動をしていたので、
このように、楽しいことが披露できるなら、どんな形でもいいと思って、
一番元気に笑顔にできる形で演って行っただけだったんです。
それは、僕が全てを失った時に、
ただ元気で楽しいこと、ただそれだけが
自分を救ってくれたから、
それに感謝してきた僕だから、
音楽を始めた頃の気持ちに戻って
活動しただけだったのです。
2023年現在、またやってほしいの声が、
今だに耳に入ってきます。
そして実際に、2022年12月18日に、実に7年ぶりに、
一日限りの復活ステージを披露させていただきました。
2人がまた、今の生活での課題や目標を達成し、
再び動き出す時が来るまで、こうやって、
ブルータルメモリーズは
みんなの思い出の中で
いつまでも唄っていることでしょう。
最終回へと続きます