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「史上最悪の音楽」を演っていたことに対して、いまだに問い合わせが多い理由


僕は現在、ライフチェンジングコーチとして、

今現在に悩みを抱えて生きている方を支える志事で

日々活躍をさせていただいています。

ですが、noteで触れ合ってくださっている方はもう

僕のホームページ内やプロフィール欄にて

存じてくださっておられるかとは思いますが、

僕は元々「どうしようもない人間」でした。

おまけにダメ押しで、昨年(2022年)の末に発覚した

自分が「発達障がい者」だったってこと。


これくらい、普通に生きることが難しかった自分として

(かなりマシにはなったほうですが、今でも苦しさは残っています)

今日までの人生を何とか生き抜いて来ている、

ひとりの、とある人間です。

そんな僕ではありますが、こんな生々しい自分を

さらけ出し伝えていることからなのか、

あの頃のことであるのにもかかわらず

現在でも大きな反響をいただいたりします。

それについていつも思っていることがあるのですが、

今回、それを少し伝えてみたいなと思ったので、

少しばかり長い文章とはなりますが、

書きしたためてみることにしました。

よかったら、読んでやってください。


デスメタルには「触れてはいけない」


僕はその昔、「デスメタル」というジャンルへ自身を没入させ、

地元鳥取にて、ミュージシャンとして活動をしていたことがありました。

デスメタルという音楽は、言葉の通り、

「死」をテーマにし、それに関連することを表現する

ひとつの音楽ジャンルです。

そんな、人間の心の「究極」な部分を題材にして

伝え訴える形の表現の世界であることから、

言い切ってはならないことですが、この世界へは、

「自分の生い立ちに闇がある人」が集まってくる傾向があります。


家庭内で実際に起きて来ていた家族間の不和。

親の歪なコミュニケーションを受けたことによる愛情形成の欠如。

その結果で、学校生活において

人並みに周りと上手く楽しくやっていくことができない

「自信のない自分」で少年時代を生きて来た人が、

そんな自分の劣等感をかき消したいがためにその世界を利用し、

「人並みに生きたかった」というフラストレーションを爆発させるために暴力的自由表現の世界へとたどり着き、

結果的に、その辿り着いた世界を「自分のユートピア」と設定しハマっていくという、

このようなひとつの道理が存在するのです。

その中のひとりが、僕でした。

こんな世界があることを知って物珍しかったからでしょうか、

それとも、ハードコアなものに果敢にも挑戦していた姿を

汗と涙の結晶として美しく見立ててくださることからでしょうか、

この僕の人生を「栄光な人生」だとフォローしてくださる方がいらっしゃいます。

その世界に直に居たことは無いでしょうに、

すごく「共感してくださる」のです。

正直、こんな人間からしたら、

それは心から、涙が出るほどに嬉しいことなのも本音です。

でも、本当の当事者は、本当にその世界を現場で覗いてきた者としては

こう、伝えておきたいと思います。

デスメタルのような極端な世界なんて、

「触れたって、何もいいことはなかった。」と…


生まれ育った鳥取で感謝しながら暮らし続けているはずの自分が抱く、肌に合わない「生きづらさ」とは


そんな自分だったことから、

地元ではひとりの変わり者として

皮肉にも、「人気者」となり生きています。

ホント、僕からしたら、皮肉でしかないです。

「だからといって、誰がこんな俺を支援してくれるの?ほっといてくれよ…」

と、わがままを言ってみたかったものです。

それくらい、こんな「農耕・水産・土木」を営んで生き続ける属人性な民族のエリアで生まれ育ってきた僕は、

若い頃ではそれはもう「自分を自分らしく出せるところがない」ような

心が便秘になったような様子だったのです。

それもあって、大都会への暮らしに憧れては、

まるで家出かのような形で、一度

単身、福岡へ移住しに行ったこともありました。

今ではそれなりに歳も重ねていますし

長きに亘って地域密着で生きてきた道中において

とある一つの解決課題を持って生きてきたことから、

(若者離れを観光地としての力で阻止することで、自分のような変わり者でも

自分らしく生きていける田舎を作ろうと、慈善事業団体を立ち上げて

観光事業を営んだりしていました)

ここに居続けたとしても上手くやっていける

術や知恵を持ち合わせてはいますが、

でも本当は、そんな今でも「行きにくさ」を感じています。

クリエイティブな人間のやることは

ブッ飛んでいるように伝わるからでしょうか、

ここ鳥取は、新しい発想を受け入れきれないような

「保守的」な人達で社会を保安しているような地域なので、


要注意人物っぽく見られたり、付き合いの悪いならず者として評価されたりがあり、

町内の飲み会の席の終盤で先輩に殴られたりしたことも

ちょこちょこありました。

なワリに、僕が舞台に立って何かしらの表現

(演奏や司会やスピーチなど)をすると、

「傑作だ!!」と言って、バカにしながら

酒の肴にしているわけです。

だとしたら、こんな「稀有(けう)な人間」だと

好評価を頂ける人生だとしてくださっていても、

僕本人の中では、今までの自分のことを振り返ると、

やはり「寂しい人生」だったりするのです。

これが、現実だったりします。

だから、鳥取から、発とうかな。

とか、今でもよく考えたりします。

こんな僕は、何歳からでも、

新しいところでやっていけそうな気がするから。

その方が、合っているような気もして止まないから。

なんか、弱音を吐いているようになってしまっていて

申し訳ありません。。


自分の中の「普通への憧れ」が、異常な世界のことを題材にし、それを舞台で表現させていたってことだった


そうだったのです。

実は僕は、このような想いを持って

今を、今までを、生きていた人間だったのです。

こんなにもご声援をくださる方がいらっしゃる中

こんなことを言ってしまう自分は偏屈者だと思うのですが、

自分では、こんなことをやって来た自分について

「どこがいいのか分からない」んです。

今現在においても「素晴らしいご経験をされてきておられるのですね!」と

本当に感謝してもし切れないほどの温かなお声を頂くのですが、

実際に、当時は本当に自身が「暗黒時代」であったことと、

こんな日本のようなエリアでこんなサブのアンダーなカルチャーに浸かっていた自分が

現役の頃に、酒池肉林な結果(例えばお金が溢れるような状態だったり、女を毎晩とっかえひっかえしながら抱き続けていられるような)を得られていたのだったら、

過去の栄光として武勇伝にしては、今でもそれらに酔い続けていられたのかも知れません。

ですが、一切そんなハーレムなことはなく

当時はどん底だったわけです。


なので、自分自身としては、「消し去りたかった過去」なのです。

だから、もし「おまえ、凄いことやってるんだから、もう一度戻ってくれよ!!」と誰かに言われても、

きっと、戻らないです。

エンターテインメントとして、縁日の端の辺りにいるキャラクターのように場を飾るだけであれば、

マスコット業務などとしてギャラが出るのであれば、オファーされても使命として演じることができるでしょうが、

原則、あの頃の自分(そのような人間)には戻りたくないのです。

だから、「今ではどうしてそんなにも真っ直ぐで温かな方となられたのですか?」と

当時との"ギャップ"に触れてきてくださるわけなのですが、

その、当時があんな感じの自分だったってことによって

何度か死のうとしかけたことがこれまでにあった以上、

もう、まじめに普通で生きて行けさえすれば

僕の人生はそれでいいのです。


普通が、一番いい。

普通に、生きてみたかった。

普通に、仕事して、
普通に、家庭を持って、
普通に、歳をとって行きながら。


そんな人間が現在、どうして苦しんでいる人を支援する職業をやっているのか


ということで今ではもう自分は、あの頃の自分ではなく、

あの頃の自分と同じような、壮絶だと例えられるような人生を辿ってきた人や

今をそう歩んでしまっている人を支えて助けていこうとする立場となる、

「ライフチェンジングコーチ」として生きています。

もうあの頃に戻りたくない証とし、

● 自身が今までを嫌でも壮絶に生きて来たことで、

 「人生のコーチ」となって人様を助け支えることで

  実際に活躍ができるようになったこと。

  (今ではこんな僕に、相談者様や受講生様が居てくだっています)

● もうこれ以上、大切なものを自らの行いによって

  失わないようにして生きて行きたいこと。

●「普通」の素晴らしさ、大切さを

  他の誰よりも知っていると自負できる今であること。

「これらは、何にも代えられない」ってこと。

ただそれらが、「Love,Dream&Happiness」なD.Oとして

生まれ変わらせてくれたからなのです。


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