水のような生き方
みなさん、こんにちは。
全ての人と友人のような関係を築くことが出来れば一番良いのですが、どうしても気が合う、合わないという人が出てくるものです。
なので、個人的には気が合う人とのみ付き合うことが大切だと思うのですが、人生において気の合う人のみと交流しないというのは、ほぼ不可能と言えるでしょう。つまり、どう頑張ったとしても、自分にとって気が合わない、感じが悪い人と付き合わなければならないこともあるはずです。そんな時、どうすればよいのでしょうか。
そもそも、なぜ気が合わない人と対話している時に、ストレスになるのか。それは音楽で例えるなら、チューニングが合っておらず、不協和音を聞かされている状態にあるからだと僕は思います。
要するに、自分の価値観と違う、自分の常識と外れている、自分のテンポと違うなど、自分が心地よいと感じる雰囲気のようなものからその相手がかけ離れている状態が気が合っていないということなのです。
このことから、「なんでこの人はこうなんだ」、「もっと周りの人の気を考えて欲しい」などと相手に変化を求める考えが浮かんできて、怒りを覚えたり、不快感を覚えたりするのでしょう。
ただ、この場合相手の立場に立って考えてみると、相手もこちらと同じで、自分にあったチューニングで日々を生きていることは言うまでもありません。したがって、相手にとってすれば、こちらからすればどれだけ不快であっても、今のその状態が心地よいと感じていて、その状態から変化することは不快なわけです。
つまり、社会通念上たとえ相手に非があるケースであっても、相手が自分を改めるかどうかの選択は、当然その相手にあるわけです。ならば、人は痛みより快適さを求めるのは道理であるとなると、おそらく相手が変わる可能性は残念ながら限りなく低いわけです。
だったら、もっとも自身が快適に生きていく為には、相手ではなく自分が何をするべきか、それに注力することが建設的であると言えます。その方法の一つとして、自分のチューニングを相手によって切り替える術を身に付ける、それが出来れば良いかもしれません。
このことから、信念や常識など、時には鉄のような硬い意志を持つことも必要かもしれませんが、ことわざに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉もあるように、柔軟性というものも求められると言えるでしょう。
以上のことから、対人関係においては、水のように透明で、容器によって様々な形になることが出来る生き方こそ、理想的なのかもしれませんね。
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