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エッセイ:トイ・ストーリー4、あるいは5について

ピクサーには是非トイ・ストーリー5を作ってほしい。

トイ・ストーリー4の最後で、主人公のウッディは、「子ども部屋」を離れて、野良のオモチャになる決心をする。「子ども部屋」は言うなればコミュニティであり、閉鎖された空間だ。閉鎖空間から飛び出した野良のオモチャは、公園で偶然出会う子どもたちと遊ぶ。特定のコミュニティに留まるのではなく、閉鎖空間の外側にある多元的な世界に出ること。トイ・ストーリー4は、オモチャであるウッディが、これまでの価値観を飛び越える決心をする物語だ。


では、飛び出したオモチャたちは、外の世界でどのように過ごしていくことになるのか。少し考えてみたい。



まずは、僕らの現実を見てみよう。様々な価値が認められる現代。多元的な世界は、確かに自由を生んできた。特定の価値を強要することを良しとする人は少ないだろう。一方で、私たちは多元的な世界が問題含みであることも知っている。特定の価値を少しでも強要したとみなされたら、それはハラスメントだと言われる。価値がバラバラになり、個人の利害で現代社会は分断されている。核家族の問題や、承認の問題。核家族化した僕らの世界は、「アンディの子ども部屋」というコミュニティを失っている。


では、オモチャたちはどうだろうか。もし、野良化したオモチャたちが、その時に公園で出会った子どもと刹那的に遊ぶだけなのであれば、結末は見えている。子どもの承認を巡ってオモチャ同士が対立し、お互いの利害で喧嘩するだろう。恐らく争点は土地だ。少しでも子どもと遊べる可能性が高い場所は特権化し、それをめぐって闘争する。人類史の問題がそのままトイ・ストーリーの中で再生産されることになる。


4以降のオモチャたちがおかれる状況は、哲学者ホッブズが言うところの「闘争状態」になるだろう。バラバラになったオモチャたちが、ホッブズ的闘争状態の中でどうやって「連帯」するのか。もし、暴力装置を使った抑圧以外の仕方で、オモチャたちが「連帯する物語」を描けたならば、トイ・ストーリー5は傑作になるだろう。

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