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感想文:チェンソーマン、あるいは反復の悪魔

「チェンソーマン」の特徴の一つに「反復」があるだろう。

有名映画のシーンをオマージュしているとよく言われるけれど、実際に映画的な演出と「チェンソーマン」はとても相性が良いように思う。

なぜなら、映画には、巻き戻して再生すれば物語が何回でも反復される、という映像メディアの特性があるからだ。


たとえば、最近公開されたアニメでは、OPで沢山の映画のシーンのオマージュが見られた。

複数の映画のシーンを取り上げたということは、これは或るひとつの映画の物語やシーンを特権的にオマージュしている、というのではなく、映画の特性そのものをオマージュしているのだ、と言うことができるだろう。


おそらくこれから先、OPは、OPなのだから当然、アニメ放映のたびに反復される(繰り返される)だろう。

反復されるOPで、映画という反復するメディア特性を、しかもファンの間で何度も視聴されたであろう有名な映画のワンシーン群をオマージュしているというのは、とても気が利いていて小気味良い。


この「映画のメディア特性=反復」は、OP演出だけではなく「チェンソーマン」の物語自体にも当てはまる。

映画は再生されれば、物語のなかで死んだキャラクターは蘇り、また物語という運命に従って死ぬ。

再生すれば、何度でも、何度でも。

この無常の円環とそこからの脱出こそチェンソーマンの物語である。


チェンソーマンは紐を引くたびに蘇る。

チェンソーマンが戦うのは悪魔である。

それは「反復の悪魔」と言って良いかもしれない。

アニメの「チェンソーマン」は、原作の「チェンソーマン」を反復するのだろうか。

それとも反復の悪魔を制し、反復する無常の円環から脱して別の物語を見せるのか。

楽しみだ。


もしも観客が、原作通りの展開を期待し、また原作の反復を喜ぶのであれば、チェンソーマンは反復の悪魔に屈服してしまった、ということになるだろう。

わたしはそんなことのためにチェンソーマンの名を呼び叫ぶ気にはなれない。

チェンソーマンには破壊してほしいのだ。

反復する運命と物語を。

おわり。

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